米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著
夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第114回)
南米の美都
世界三景の随一
日本に生まれて、まだ日本三景の一つさえ知らぬぼくが、不思議にも、幸か不幸か船乗りとなってネプチューン大王の寵児となりすました前世からの奇妙な因縁のためか、ここ南緯二十二度五十四分、西経四十三度十分という、故国にとって地球の真裏に当たる場所において、世界三大景の随一と呼ばれる、絵のごときリオ・デ・ジャネイロの水郷に親炙(しんしゃ)する機会に恵まれたのは、実(じつ)にありがたき幸せである。
実(げ)に、「リオはよいところ、南を受けてアンデスおろしがそよそよと」である。
思えば、銀灰色の s の雲*ゆるやかに北へ流れる空と、蒼茫(そうぼう)として暗い神秘的な深みを持った夜の海との間にあたって、あたかも迷い迷いてまだ浮かばれない人魂(ひとだま)のように明滅しているフリオ岬の閃光灯を右舷正横(アビーム)に望んだのは、四月十六日の真夜中(ミッドナイト)であった。
* sの雲: 雲の略称で s で示されるのは層雲 (St)と層積雲(Sc)。
どちらもどんよりして、入道雲(積乱雲)などとは異なり、雲の形が明確ではない。
赤いマークのついているところがフリオ岬。リオ・デ・ジャネイロの湾はその西(左)側(地図はクリックすると拡大します)。
練習船・大成丸は地図の右上方から海岸線に沿ってフリオ岬を過ぎてリオへと向かった。
船尾に立って、彗星のごとく長い光芒(こうぼう)を一直線に後ろに曳(ひ)くきれいな船脚(ウェイキ)を見つめていると、こういう場合にえてして湧いてくる正体の判明せぬ物の哀れさがしみじみと感ぜられて、理由(いわれ)のない涙がハラハラこぼれそうになった。
美しい泊(とまり)に対するいたずらな想像がその大部分を占める。
浮かれ気味の若やいだ心は、過去の痛ましい平凡で単調な航海生活を顧みて、あわれむ念と入り交じって、一種のいわれなき忙(せわ)しい気分となる。
今から四百余年前の一五〇二年の正月一日にも、これと同じような気分を持ったマドロスを乗せたギャレー船が、はじめてこの絵のごとき(ピクチャレスク)泊(ポート)を訪れたのである。
青い水が末広に、目も涼しく、満々と満ちわたれる様子を見た発見者のアメリゴ・ベスプッチ*は、これこそ幸(さち)多き富める川の口だろうと、すなわちリオ・デ・ジャネイロ(正月の川)と命名したという。
* アメリゴ・ベスプッチ(1454年~1512年)はイタリアの航海者。
新大陸を発見したのはコロンブスだが、その新大陸なるものがアジアとは別の大陸であることを確認したのがアメリゴ・ベスプッチで、アメリカ大陸という名称は彼の名前に由来する。
ちなみに、それ以前にも北欧からグリーンランドに渡った人々が存在していたし、そもそもコロンブスが誤ってインディアンと名づけた原住民自体が、はるか大昔の紀元前に、ベーリング海峡経由でユーラシアから北米大陸に移動していたわけで、新発見とはあくまで西欧社会にとっての「新発見」にすぎない。
見方や立場を変えれば同じ景色が違って見えるという好例でしょうか。
実(げ)に広大でつかみどころがないようでいて、どことなく静寂(しっとり)したところのある港である。
満々朗々とうち湛(たた)えた水が広々と空のはてまでつらなって、ひょうたん形(なり)に深くよどんだ湖水のような港である。
さらに言い換えれば、関八州(せきはっしゅう)*の天地にノアの大洪水が来て野をも丘をも浸しつくした後に、筑波や秩父を小さな島のように取り残した氾濫(はんらん)せる水が、青い秋空の下に碧玉(へきぎょく)を溶(と)いたように広く深く澄みわたったともたとえるべき港である。
* 関八州(せきはっしゅう): 江戸時代の関東八か国の総称。関は箱根の関所で、それから東の地方(相模 さがみ、武蔵 むさし、安房 あわ、上総 かずさ、下総 しもうさ、常陸 ひたち、上野 こうずけ、下野 しもつけ)を指す。
** 碧玉(へきぎょく): 石英(せきえい)の一種で、不純物が含まれているため不透明で色がついている。
この場面では青いものを指していると思われるが、緑や赤などさまざまな色がある。
この気晴らしのよい穏やかな港の景色に、立体的に「線(ライン)」と「色彩(しきさい)」と「感じ」とを加えて加工しようとして、イタリアのルネッサンス式の建築物や、毛槍(けやり)のように頭を振り乱しつつたちはだかった檳榔樹(ロイヤルパーム)や、弩級(どきゅう)型の戦艦(ドレッドノート)*や、外輪船(パドルホイール)タイプの渡船(フェリーボート)や、三角帆(ラティーンセイル)の漁船の舟歌や、船艦の軍楽(バンド)やらが調和して心地よく行き交っている。
* ド級型戦艦: 巨大口径の大砲と高速航行が可能な蒸気タービンを搭載した、当時の代表的な戦艦のタイプ。
ド級はドレッドノート型という意味で、弩級(どきゅう)とも書く。
左の方はパンデアスカールの丘に至るまで一面に、アメリカ物語のごとき市街が一帯の入江(バロア)に沿って連綿と続き、右の方は、対岸のニテロイとの間に遠くはるかにかすんで帆船のマストが林立する商港がほのかに見えるが、例の有名な白い花崗岩(かこうがん)、青い松樹(しょうじゅ)の世界の松島はとんと見当たらない。大小八百どころか、どこかに影を収めたか、これではただの八つもあるまいと疑われるほどに、島は厄介者にされて、ただ水のみ広く幅をきかしている。
しかし、いわゆる風と波とに送られて遠く湾の中央まで出てみたら、見えなんだ島も走馬灯のようにグルリグルリと旋転して、美しい姿を視界に現(あらわ)し来るかもしらんと自ら慰(なぐさ)めた。
南北十七マイル、周囲五十海里(マイル)のリオ・デ・ジャネイロ湾の狭いひょうたん形をした入口の左岸十五海里(マイル)ほどの海岸沿いに、わがリオ市の市街地ができあがっている。