現代語訳『海のロマンス』79:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第79回)

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その膝下(しっか)に立ちて

二月十四日、ケープタウンの最初の上陸日に、ぼくはアデレイ通りのビジターズ・ルームを訪問して、ケープタウンと、ケープタウン入港当時に最大に関心事だったテーブルマウンテンのことに関して概括的な知識を得ようと試みた。すると、CPCA(ケープ半島登山会)の首席秘書官だというミスター・アディックソンという人が親切にも奥から出てきて、いろいろと説明してくれ、望みとあらば「登山会」の方から有志五、六名を案内者として出してもよい、などとさかんに親切な申し出をしてくれた。英国人はいったん好意を示したが最後、うるさいほど世話をやき面倒をみてくれる国民だと聞き及んでいる。何か親切の後押しが来ているだろうと(少々意地がきたないようだが、決して心待ちしていたというわけではない)、議会の傍聴をすませて船に戻ってみると、手紙が先回りしてすでに届いていたのにはいささか驚いた。そのなかに、「ケープタウンの者にとって、テーブルマウンテンはいわゆる「詩郷(ホーム・オブ・ポエトリー)である。その明暗、対照的な二つの表情は、見る人の想像をそそるに違いない。しかし、この山に対する賛辞(さんじ)は、登山したいという熱烈なる思慕(しぼ)の念と平等に論ぜらるべきものではない。従って、想像して得られた印象がかのラスキンによって描出せられたもののように深(しん)かつ大(だい)であるとしても、真に山の神秘を洞察しその真髄を理解するには、実際にその山に登ってみなければわからない」というような一節があった。

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現代語訳『海のロマンス』78:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第78回)
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五、ハーシェル翁

テーブルクロスと呼ばれる雲の成因と、その雲自体と南東風(サウイースター)との関係はずいぶんと長い間、気象学者が頭をひねった問題であった。そして、今なお的確に理解し説明したものはないが、強いサウイースターがテーブルマウンテンの裏手にあるサイモンズ湾から吹き上がって、生ぬるいインド洋の湿潤な空気が冷涼な山頂にぶつかり、白いテーブルクロスとなるという大雑把な説では皆一致するようである。この白いテーブルクロスが黒く汚れたが最後、獰猛(どうもう)な雲と風とは義経(よしつね)のひよどり越えさながら無造作に落とし来たって、ケープタウンはたちまち塵(ちり)と瓦礫(がれき)の修羅場(しゅらば)となってしまう。figure-p268-modified


※ 一般の世界地図のイメージに合わせて、原図の左右を逆にして示してあります。
サイモンズ湾は、ホオジロザメの見学ツアーでも有名な、広い意味のファルス湾にある小湾です。

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現代語訳『海のロマンス』77:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第77回)

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三、登山道の種類

デビルスピークとライオンズヘッドを左右の両翼とするテ―ブルマウンテンは、さらに後方に、キャンプス湾と並行して南南西の方向に延びている山脈がある。

眺める位置によっては清(きよ)く威厳(いげん)に満ちた十二の尖頭(ピーク)が見えるとされ、それらは十二使徒峰(トゥエルブ・アポストルズ・ピーク)と名づけられている。

この使徒と呼ばれる頂上群とテーブルマウンテンのテーブルとなっている付近の山岳はとくに複雑な形状になっていて、裾野(すその)は広く、標高は高く、さわやかな気候を生じる地形となっている。狭い谷筋や渓谷、高原などが随所に存在していて、いわゆるラヴィーン(山頂から山頂へと続く急峻(きゅうしゅん)なる凹路(おうろ))が合流する地点であると同時に放射状に伸びていく地点にもなっているのだが、この峡谷(ラヴィーン)を通って山頂へと続く登山道は、市街地方面からのものに加えて、キャンプス湾や郊外からのものを合わせると大小七十を数える。

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現代語訳『海のロマンス』76:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第76回)
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二、テーブルクロス

ケープタウンは確かに景勝地である。それは、南アフリカにおけるイギリスのケープ植民地総督だったミルナー卿が「美しきテーブルマウンテンの斜面の上に、他に比肩するもののない気候のうちに、独特なる景観を擁し、ケープタウンは立てり」と賛美されたことを持ち出すまでもなく、その位置と情勢を目の当たりにすれば、なるほどと首肯(しゅこう)するであろう。

六分儀を使って距離を測ってみると、約二マイルの角距離(アンギュラ・ディスタンス)と四十八度の中心角を有する弧度(こど)をなすテーブルマウンテンは、巨人の斧で横なぎに断ち切ったような不思議に平らな頭をケープタウンの正南三千五百八十二フィートの空にさらしている。その険しい断崖が直ちに威嚇するようにケープタウンの背後に迫って、さらには斜めに市の東部を巡って北西に走るものは、海につきるところで岬となって突き出し、はるかに南西の方角の獅子ガ鼻(ライオンズヘッド)と相対して半円形のテーブル湾をその間にいただいている。

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現代語訳『海のロマンス』67:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第67回)

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ケープタウン入港の第一印象

偏差(バリエーション)二十九度西、自差(デビエーション)二度西。羅針盤の針路(コンパスコース)南五十度西、
ライオンズヘッドまでの視距離(ディスタンス)十六海里、テーブルマウンテンまで十六海里、時刻は二月十二日午前十一時半。角距離(アンギュラーディスタンス)、右舷(うげん)船首(バウ)一点より右に約七十度*1。

*1: 偏差: 地球の地軸を基準にした理論上の方位(真方位)と磁石が指す方位(磁針方位)との差。
地域によって大きく異なる場合がある。日本周辺では偏差は一般に一桁だが、極地に近いほどずれは大きくなることがある。
自差: 磁針方位と、船に搭載されている方位磁石(コンパス)の指す方位のずれを指す。
方位磁石は近くにある金属の影響を受けるので、自差は船ごとに異なる。また、同じ船でも向いている方角によってその差は増減する。
ナビゲーションでは、方角ごとの自差を測定した自差修正表を用意しておいて方位の調整を行う。
角距離: 二点間の距離を観測者から見た角度で示したもの。

百十七日と十五時間三分、一万二千七百五十六海里という空前無比の、苦しくも楽しい、長く単調な大航海の後、いよいよ二月十二日午前五時、音に聞こえたテーブルマウンテンがうっすらと紫紺色(しこんいろ)をして夢のように淡く見えたときの感慨は実になんともいえないものがある。

クリーム色の黎明(あかつき)の空から、くっきりと浮き出すように立ちはだかったその紫紺色(しこんいろ)の平たいてっぺん!! エー、くたびれたとばかり、武者震いしながら、ヒューッと無造作に横なぐりになぎ払った、造物主の斧が力強く乳白色の空を流星のように流れたとき、一つの峰は無残にもその肩から上を一直線に断ち切られた。……それがたぶんこのテーブルマウンテンであろう。

見ようによっては、たけだけしい獅子(しし)が伏したまま頭を持ち上げているように見えるライオンズヘッドを前景として、サタンを暗示する鬼ヶ峰(デビルピーク)と、救世主を連想させる十二使徒峰(アポストル)とを左右の両翼として、三千五百フィート(1080m)の空中に偉大なる木槌(きづち)のような頭をそびえかせているテーブルマウンテンは実に深い印象を与える山である。

この尊き偉大なる山を、いたずらに船乗りの方位目標物とするのは失礼である。いたずらにスケッチ上の景勝美の対象物として取り扱うのは気の毒である。少なくともなんらかの哲学的意義と、宗教的崇拝と、理学的帰納とを、この尊くも偉大なる木槌(きづち)のような頭に植えつけなくては申し訳ない。

ぼく自身はこのように崇拝(すうはい)し私淑(ししゅく)しているのだが、それにはまったく頓着しない専任教官は「この山をスケッチしろ」という。命令には従わなければならないので、方位は南6度、距離は十八海里などと書いていると、「やー、妙な鳥が──」と、大きく頓狂な声で注意する男がある。見れば、なるほど妙な鳥が不器用に尻を振りながら海水(みず)の中へついついと潜っている。

太い不細工(ぶさいく)な首と、小さな漆黒(しっこく)の厚い羽翼(はね)とを持った水鳥が、かわいい赤い水かきをお尻の下でひらめかしては、水面をのんびり泳いでいる。見渡すと、暑い夏の光線(ひ)がまぶしくキラキラと海水に輝いて、白い縞(しま)が悪光(わるびか)りする水の面(おも)には、同じような鳥があちらにもこちらにもたくさんいる。「ペンギン」に違いないという者、いや違う、あれは「カモノハシ」だというもの、またもや博学博識を競った連中の議論が甲板(デッキ)に花を咲かせる。

三錨湾(スリーアンカー・ベイ)に近づいたとき、ただでさえ暑苦しい夏の光線(ひ)をもてあそんで、突然に大きな建物の二階からピカリッ、ピカッと、光るものがあった。スコットランド生まれの英語教官の説明で、これは光学式電信機(ヘリグラフ)だとわかったが、「あの建物には俺の友達がいる。したがって、このモールス信号の通信は俺にしているのだ」と推論したのには、さすがの生意気盛りの学生たちも、上には上があるものだと感心しきりだった。

船はようやく近づいて、午後の一時頃からは、ケープタウンの町が見えた。外国の町といえば、昨年、サンピエトロで最初の印象を与えられて以来、いつも判で押したように茶色、とび色、あずき色、橙(だいだい)色、土器(かわらけ)色と刺激的色彩のみが意識の上に残った。ぼくはこういう色は死と衰退と憎悪との連想が見る人の頭脳(あたま)に植えつけられるような気がして嫌いである。わがケープタウンの建築もその色彩の上から見て、この悲しむべき同じ傾向から免れることができないらしく、同じく茶色である。とび色である。土器(かわらけ)色である。死と衰退と憎悪の色である。

なかば石垣を築きかけた防波堤をめぐって港内(なか)に入りかけたとき、英国ユニオン・キャッスル社のバルモーラルという定期汽船(一万三千トン)が出港(で)ていくのに出会った。見ると、防波堤の先端(はし)には、親戚知己(しんせきちき)であろう、ハンカチーフを振りながら別離の涙をぬぐう女、杖やこうもり傘を振る男、いずれも霧の都、灰色の町、ロンドンに帰る者に向かって、六千海里の船路安かれと祈っている者ばかりである。ケープタウン内港は面積六十エーカーのビクトリア錨地(ベイスン)と八エーカーのアルフレッド船渠(ドック)で構成されている。港内(なか)は案外に狭く、五つの桟橋(ジェティ)には、ぎっしりとユニオン・キャッスルのきれいな定期船が舫っている。

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