現代語訳『海のロマンス』56:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第56回)

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島物語   上、サンゴ礁の島々

練習船の朝は、衣服を洗う手に調子を合わせる節(ふし)が面白い洗濯屋の鼻歌に明けて、今日もまた快適な航海日和(こうかいびより)である。

イエーエー、ホーッと、のんきそうにブレース*1を引く当直員の歌に、暁(あかつき)の夢を破られて、上甲板に出ると、寝ぼけ眼(まなこ)をしかと見開けといわんばかりにサンゴの島(環礁、アトール)が間近に浮かんでいる。甲板(デッキ)は写真にとったり、スケッチをしたりする早起きの非番直員で一杯だ。

*1: ブレースは帆桁(ほげた)に付けたロープ。これを引いて帆の向きを調整する。

七十八の島からなるツアモツ諸島の一部、アクチアン群島の一つたるミント島*2である。

*2: 地名については当時と現在では異なる場合が多い。
ツアモツ諸島も、現在では実際の発音に忠実に「トゥアモトゥ」と表記されたりするため、アクチアン群島、ミント島が具体的にどの島を指すのかは不明。

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(Source: Wikimedia Commons)

傘のように広がったヤシの木がサンゴ礁の中ほどにあって、その濃緑の葉かげは静かなる礁湖(ラグーン)にかかり、白い砂は堡礁(バリアリーフ)の波うち際を帯のように包んで、右の端にはしぶきがものすごく上がっている。

このミント島なるものはアクチアン群島中の最大のものであるという。午前七時半、ぼくが六分儀で観測したところによると、左舷正横(ポート・ビーム)二・五海里のところに角距離(アングラーディスタンス)二十九度四十分に見えたから、低くはあるがかなり長い島である*3

*3: 六分儀は、太陽や星の水平線からの高さを測定するための道具で、そのときの時間と高度で緯度経度が計算できるのだが、その応用で、これを横にして島の端から端までの角度を測ることにより、その島までの距離と組み合わせて島の長さを知ることもできる。
六分儀は実際に近年まで土木測量の分野でも活用されていた。

海図(チャート)で見ると、いわゆる「海抜が低い」小さな島々が、視線をはぐらかすように点々と散らばっているところは、諸葛孔明(しょかつこうめい)が魚腹浦(ぎょふくほ)に敷いたと伝えられる八陣の布石そっくりである*4

*4: 三国志の有名な石兵八陣の逸話。
数の上で劣勢な軍が少ない兵をあちこちに分散させて大兵力に見せるという作戦。
逃げる劉備(りょうび)を助けるために諸葛孔明が考案し、追尾してきた陸遜(りくそん)をこの作戦で撃退したとされる。

もしも、この海上の「八陣」に流れこんで首尾よく環礁にぶつかろうものなら、それこそ「大正の陸孫(りくそん)」である。うまうまとサンゴ礁で難破して「魚腹(ぎょふく)」に葬(ほうむ)られるばかりである。

いくら海洋(うみ)が好きでも、ネプチューンと仲良しでも、まだまだ魚腹に葬(ほうむ)られるほど粗末な体は持っていないつもりである。そこで用心した。一週間ばかり前から内心では大いに用心していた。船長と専任教官は南太平洋の地理と、サンゴ礁の成因性質についての知識を与え、一等航海士はサンゴ礁に対する見張り(ルックアウト)の注意と見つけ方とを教えた。

かくして見張り(ルックアウト)は昨日の午後から「二重見張り(ダブル・ルックアウト)」となり、一人は前のマストの上に立つことになった。そうして、いい風であるにもかかわらず、今日の午前九時には総帆(そうほん)をたたんで機走に移り、この危険ではあるが興味をそそる環礁(アトール)を研究・観察するため、わずか三、四マイルの距離を空けて通過することにした。やがて、ベッドフホードとかテナルンガという同工異曲の島が同じ色と同じ形をして灰色に曇った空の下に現れてくる。

サンゴ礁には通常バリアリーフ(堡礁、ほしょう)とフリンジングリーフ(裾礁、きょしょう)との二種類がある。前者はまた、さらに環形礁(かんけいしょう)と線形礁(せんけいしょう)との二つに分ける。

この環形礁(かんけいしょう)の中央の円形の湾がすなわち、よく地理書に書かれている礁湖(ラグーン)で、波静かにして底深く、よく大船・巨船の仮錨地となりうるといわれているものである。

この環形礁で最も有名なものは、このツアモツ諸島、近くにあるソシエテ諸島、小笠原郡島とポリネシアの一部とである。

そうして線形礁で世界最大と称せられる著名のものは、東豪州クイーンズランド沖に東南から西北に走っている千マイルの長さがあるグレートバリアリーフである。

このサンゴ礁の間を縫って進むときは、気温と海温の変化に注意し、晴雨計の昇降に留意し、風向風力、鳥群、魚族の異変等すべて、島に近づきつつある予報をとらえるのも必要であるが、最も努力し心を配って効果のあるものは、とにかく集中力を切らさず見張る(シャープ・ルックアウト)ことである。

忠実にして機知と決断力に富み、優秀なる観察力と周到なる心配りと適格な判断力を有する見張りが、百尺(約三十三メートル)の高いところで、鋭い両眼をまんべんなく水平線の上を走らせていることを自覚するとき、安心と信頼とは人々の心に行き渡る。

というわけで、見張りに立つものは常に海水の変化に注意し、水平線の空の色、雲の形に目を配り、波の砕け(サーフ)や海水(みず)の白い飛沫を見逃すまいと心がけなければならない。

ことに海の色の変化は有力なサンゴ礁発見の手がかりとなるもので、太陽(ひ)を背中にして航海するときは、水面下四、五尋(ひろ)*5までのサンゴ礁は、そのすぐ上の水に淡い褐色か緑色か暗緑色かの色の変化を生じさせるので、たやすく危険を予知しうるとのことである。

*5: 尋(ひろ)は長さの単位。一尋は大人が両手を広げたときの長さ(約1.8m)。四、五尋は7~8メートル程度。

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