ぼくはこの機械仕掛けの人形の動きがとても気に入ったので、鐘が鳴るときは見逃さないよう注意していた。シガレット号の相棒はそんなぼくを小ばかにしていたが、やつ自身もかなり気になっているようだった。オモチャの人形を建物の上で冬の厳しさにさらしているのは、あまりほめられたことではない。ニュルンベルク製の時計の前に、人形用のガラスケースでも置いたらどうだろう。とくに子供たちが眠りにつき、大人も布団にもぐりこんで高いびきをかいている夜間に、こうしたお菓子のジンジャーブレッドでできたような人形たちがウインクしたり、星や天をめぐる月に向かって鐘を鳴らしたするのは場違いな気がしないだろうか? 雨水を吐き出す部分の彫刻が猿のような頭を傾けていたり、磔刑場に向かうキリストの苦難を描いた古いドイツの版画の百人隊長のように国王が軍馬に乗ったりしているのはともかく、オモチャの人形たちは、朝になって子供たちが家の外でまた遊ぶようになるまで、綿にくるんで箱にしまっておくべきだ。
コンピエーニュの郵便局には、ぼくら宛の手紙がたくさん届いていた。郵便物について問い合わせると、このときばかりはとても丁寧な対応で手渡してくれた。
ぼくらの旅は、ある意味、コンピエーニュでこうした手紙を受け取った時点で終わったといえるのかもしれない。旅の途上という魔法がとけてしまったからだ。その瞬間から、なかば帰国したも同然だった。
旅に出るときは手紙を書いたりするものではない。書くのが大変ということもあるが、手紙を受けとってしまうと、休暇を楽しんでいる気分がだいなしになってしまう。
「自分の国と自分自身から離れてみよう」 そういう気持ちで、しばらくの間、それまでとは異なる新しい条件の別の生活に飛びこんでみたいのだ。その間、友人たちとは連絡を絶ち、自分の好きなものとも関係を持たず、出発するときには自分の心は自宅の机の中に置いてくるか、旅行カバンに詰めて終着点まで先に送っておく。友人からの手紙は、旅が終わってから、それにふさわしい気持ちで楽しみながら読むことになる。だが、これだけのお金をかけて、はるばるカヌーを漕いできたのは外国を旅するためだったのだが、手紙はずっと追いかけてきて、まだ自分の国にいるような気分になってしまう。手紙の主たちはぼくの足にひもをつけていて、ぼくは自分がひもでつながれた小鳥だと感じてしまう。手紙はヨーロッパ中を追いかけてきて、自分が放り出して逃げてきた、あれこれの小さな悩み事を思い出させてしまう。人生という闘いに「待った」がないのはよくわかっているが、一週間の休暇すら許されないのだろうか?
出発した日、ぼくらは六時には起きた。ホテルの人間はぼくらにほとんど注意を払わなかったので請求書にも書き忘れがありはしないかと期待したが、しっかり細かいところまで記載されていた。事務的に処理する職員に対し値切りもせずに支払いをすませると、ぼくらは誰の注意を引くこともなく、ゴム製のバッグを抱えてホテルを出た。気にかけてくれる人は誰もいなかった。小さな村で一番に早起きするのは無理だが、コンピエーニュほどの規模の町になると、朝はのんびりしたもので、町の人々がまだガウンとスリッパ姿でくつろいでいる間に、ぼくらは起床し立ち去ったのである。通りには玄関前を掃除している人しかいなかった。公会堂の上にいる人形の紳士たちの他に、正装している者は誰もいなかった。人形たちは露にぬれ、金箔もきれいになって光っていて、世の中というものを知りつくした、プロ意識による責任感に満ちていた。ぼくらが通りかかると、六時半の鐘が打ち鳴らされた。彼らなりの別れの挨拶だと感じた。日曜日の正午でさえも、こんなに上手に鐘は鳴らされなかった。
川に浮かんでいる洗濯台で衣服を洗っていた、早起きで──夜も最後まで仕事をしている──洗濯女たちを別にすれば、見送りは誰もいなかった。彼女たちはとてもにぎやかに、いつもの朝をすごしていた。腕をぐいっと川の中に差しこみ、水の冷たさも平気なようだった。自分だったら、こんなに朝早くから冷たい水で仕事するのは嫌だなと思った。とはいえ、ぼくが自分の生活を彼女たちと交換したいとは思わないように、彼女たちも自分の生活をぼくらの生活を交換したいとは夢にも思っていない風だった。彼女たちは洗濯台の扉のところに集まって、ぼくらが陽光を浴び川霧に包まれてカヌーを漕いでいくのを眺めていた。そして、ぼくらが橋を通過するまで、背後から大声で声援を送ってくれた。