米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著
夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第49回)
さらば、うるわしきポイントローマ
サンディエゴ出帆
十月十七日。悲しき別離(わかれ)の日はついに来た。
いざや別離(わか)れん、心に深く、また会うときの喜こびを胸に描いて。
捨てよ、リキュールの瓶! 離(はな)せよ、膝(ひざ)に乗せた乙女を!! ブレース*1引けと、風はささやく。
海洋(うみ)の妖女(ようじょ)マザーカレーは、
シーチャイルドの来たるを待つ*2。
*1: ブレース - 帆船の横帆で帆桁(ヤード)につけたロープ。これで帆の向きを調整する。
*2: マザーカレー - カリフォルニア州のヨセミテ公園を訪れる観光客を相手にしたキャンプ型リゾート施設の当時の女主人の通称(本名はジェニー・エッタ・フォスター)。シーチャイルドは文字通り、海の子、つまり、自分たちを指す。
さらば別離(わか)れん、わが享楽の民よ、「アンクルサム」の子孫よ、「カテドラル(大聖堂)の児(こ)」ミス・ヘレンよ、「カリフォルニアの母」ホラハン夫人よ。
サンディエゴ停泊は五十余日におよび、いろいろと多くの印象と感興と啓示(ヒント)と憧憬とを与えられた船乗りであった。異国(とつくに)の船人(ふなびと)に向かってわけ隔てのないその抱擁は、強い親しみを示しただけ、楽しみと安らぎとが思う存分に享受せられただけ、握手と接吻と抱擁とが華やかな享楽的な色彩の強く輝いた大気の中に与えられただけ、それだけ、十月十七日の別離は悲しく、心惜(くちお)しく、恨(うら)めしく感じる。
船は早朝に錨地を離れ、サンタフィー桟橋に横付けにして、忙しく清水(みず)を積みこむ。
練習船を見送りに来た日米両国の人々は、電車で、または自動車を連ねて、黒山のように桟橋に集まる。こんなに多くの外国人から見送られたことは練習船の記録(レコード)にかつてない、と士官の一人は感嘆する。
黒絹(くろぎぬ)に身を包んだホラハン夫人は、手紙と書籍と花束とをたずさえて、悲し気に来船する。ヘレンとアールからは悲しい手紙が来る。
いよいよ出港用意のラッパが鳴って、見送り人は否応なしに下船させられる。ホラハン夫人は美しい眼に一杯の涙をためて、きっともう一度来いという。その時に汝(なんじ)の指揮する船の上で再会しようという。いよいよ最後のかたい握手をかわしたとき、夫人は口ごもりながら小声で “Good bye, Be blessed by God.”(さようなら、神のご加護がありますように) と言った。急に胸に迫って、変な気持ちとなる。
舫(もや)い綱(づな)(ホーサー)を外し、二千四百トンの大船が徐々に桟橋を離れたとき、「ボンボヤージュ」という太い男らしい紳士の声と、「グットバイ」という甲高い淑女の泣き声とが混じりあった別辞(フェアウェル)が桟橋に一杯になった群衆から発せられる。船はようやく加速度を増して、桟橋の人混みはようやく小さく、ヒラヒラと舞う白いハンケチも風に吹かれる紙片のように見えるようになったとき、最後の悲しい別辞(わかれ)が遠く大波のように、豆のごとくかすむ群衆から流れ出た。船は汽船や工場で鳴らす別辞(わかれ)の汽笛に応えて、三発の長笛(ホイッスル)を吹く。
ノース島を左にまわって、区画整理されたサンディエゴの町を縦に見渡すとき、ゴールドン・ウェストという小さな蒸気船がついてくるのに気がつく。在留日本人が、悲しい別離を遠くローマランドの下で惜しもうと特に艇をしたてて追ってきたのである。
例の「シャム公使」が赤いネクタイをつけ、一人で艇の屋根の上で騒いでいる。練習船の船足が速くなって、ようやくローマランドに近づくに従い、l「シャム公使」以下五十人余の同胞の顔はようやく暗く悲しい感情が激しい言葉となってほとばしりでる。
「おーい、今度来るときは天洋*3の船長となって来いよ」とか、「日本への土産に……かまうもんか……そこの砲台の写真を撮っていけ……」とか、乱暴なことをいう。
*3: 天洋丸(13,454トン)は、大成丸と相前後して進水した大型貨客船で、日本の船として初めて一万トンを超えた。エンジンには最新のタービン機関を採用していた。
やがて艇は三回の「万歳」を唱えて、名残惜し気に艇首をめぐらせて帰っていった。かくして五十余日の長い碇泊の間に、最も複雑な交渉と、最も有人情の生活と、最も軌範的な折衝とを続けてきた二百の「海の民」は、再び四カ月一万二千海里(マイル)の非人情な無刺激な旅にのぼった。マザーカレーの静かな広い懐(ふところ)にいだかれるべく……
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