現代語訳『海のロマンス』48:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第48回)


船長の失踪など、思わぬトラブルで長期滞在するはめになったサンディエゴから、いよいよ出帆するときがやってきます。
再び世界一周航海が再開されますが、今回は最後のサンディエゴ滞在記です。

世界一のテントシティー

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写真 上)世界一のテントシティー 
(写真 中)カリフォルニアの母と大成丸ボーイ 
(写真 下)ラモナの家とその「結婚の鐘」

同県の友、瀬黒(せぐろ)氏と、いわゆる世界一のテントシティー見物に出かける。

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現代語訳『海のロマンス』31:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第31回)
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お世辞しばり

墨絵の龍を壁間の軸にとばした狩野派の元祖はなかなかえらいと、印象派の画家は言う。サンディエゴ停泊の短時間に、いわゆる米人かたぎなるものを洞察した自分はさらに偉いかもしれぬ。

八月三十一日、練習船がパイロット(水先案内人)を乗せ、検疫(けんえき)を済ませて、コロナドビーチの砂嘴(さし)を右にまわったとき、大工小屋のような海務所から、あわてて飛び出た一人のアンクルサムが、例の星模様、青白だんだら縞の国旗を半分下げて丁重に挨拶をしてきた。思いがけないところで、思わぬ人から、予期せぬ温かい握手をうけたような印象を与えられて、思わず乗り組みの士官学生をして破顔せしめた。オヤと、張りつめた心のタガがゆるみはじめたような、キツネにつままれたような変な気持ちになる。片鱗(へんりん)はそろりそろりと出現する。

船がいよいよ進んでサンタフキーの埠頭(はとば)近く、例の五百四十貫の大錨(おおいかり)を投げこんだとき、かの有名なホテル、デル・コロナドの尖塔(タワー)からヒラヒラと、うれしい日の丸の旗が翻(ひるがえ)った。ここにも、人をそらさないアンクルサムかたぎがほの見える。墨はようやくその濃淡や光沢をおびてくる。

今日は九月一日である。停泊して最初の日曜である。日曜は祈祷(きとう)と遊山(ゆさん)とお饒舌(しゃべり)とに、なお長い常夏(とこなつ)の明るい時間を利用するのがヤンキーである。物好きな連中がたくさんやってくるだろうと、いささか心構えてしまう。

まもなく、他人が予期し、心構えをするとき、その心構えを現実にすることで生じる愉快と満足とを与えるのは二十世紀の紳士淑女の作法であるとばかりに、続々とやってくる。

午後の二時ごろともなれば美しく着飾った人々が、イヤというほどガソリンエンジンのボートを寄せてくる。来る奴も来る奴も、舷(げん)から降ろしたはしごを上るや否や、いきなりナイスシップという。「汝(なんじ)の親切なる案内によって美しき汝(なんじ)の船を見んことを望む」とかなんとかと言う。世に金縛(かなしば)りという語がある。拝(おが)み倒(たお)しという方法がある。が、世辞(せじ)しばりという外交的秘法はあまり聞いたことはない。

案内員というありがたい役目を頂戴(ちょうだい)し、これぞと思う一群を案内する。梯子段(はしごだん)を上るとき妙齢の一淑女が無言のままサッと白い手(て)をさしだし、遠慮会釈もない様子に、自分の判断力に少なからざる混乱が生じた。危うくも平素(へいそ)自慢の機知(ウイット)が本物かを問われそうになる。それで、黒いヴェールの奥の、まつげの長い涼しい眼を見つめる。青い練(ね)りようかんのような双眸(そうぼう)は静かに澄んで何らの冒険的の閃(ひらめき)を示さない。紅薔薇(ウインターローズ)のような頬には、何ら羞恥(はにかみ)の色が見えぬ。顔全体に何ら動揺したような様子もない。どうも女らしからぬ心理状態をのぞいたような気がする。

言問(こととい)に行って団子が出る以上は、江ノ島に行って貝細工を売りつけられる以上は、梯子段(はしごだん)を上るときは男の手にわが手を託(たく)すべきであるという論理で決意した手の出し方である。そういう顔をしている。「降るアメリカに……」とかなんとか、いきどおってなげいて自刃(じじん)した日本の娘に比べると、大変な差異(ちがい)である。このように腹の中で東西の婦人の心性比較論をしていると、すぐ耳元でグッドルームと言う。

見れば、一同は海図室の前に集(たか)っている。進んで士官のサルーンをのぞいては「プリティ」といい、無線電信室を見ては「フィックスドアップ(整理されている)」という。尻がむずむずして薄気味がわるい。

機関室(エンジンルーム)の前に来たとき、見るつもりかとたずねる。例の危なそうな鉄格子や、いかめしい鉄バシゴをみて、しきりにかかとの高い靴や白い長いスカートを気づかっているようだ。気をきかして、婦人(レディー)の入る場所ではないと言えば、しかしクリーンであると言う。眉をひそめながら、口で笑うという、ちょっと日本人には真似のできない矛盾した表情を巧みにやってのける。

連れのヒョロ長い大男が、金巻のハバナたばこを出して、吸えと言う。タバコはきらいだと答える。酒は飲むかと言う。頭(かしら)を横に振ってみせる。「よい習慣だ」と、くる。誠にもってやりきれない。何と言ってもほめる。どうやら世辞(せじ)しばりになりそうである。たぶらかされるものかと、ちょっと深刻な顔(グレイブ・フェイス)をしてみせる。が、そんなことではへこみそうもない。「君の制服(ユニフォーム)は具合よく(カンファタブル)見える」には参った。三等羅紗(らしゃ)十五円の冬服は、思わぬ知遇を感じたか、うららかな午後の日光に照らされて、ユラユラとのどかな陽炎(かげろう)を吐きながら、やや黒光りする。

最後に上甲板に出たとき、いきなり落花生の袋のようなダブダブしたズボンのポケットに毛むくじゃらの手を突っこみ、二十五セントの銀貨をとりだして、無造作に握らせようとする。少なからずシャクにさわる。「日本人は清廉(せいれん)の君子(くんし)である」とか、「お金は人心を俗化し、詩歌(しいか)の醇境(じゅんきょう)を蹂躙(じゅうりん)する厄介な物である」などと説明し納得させたいが、自分の腕前では、あいにくそんなむずかしいことは言えそうもない。しかたなく、簡単に「わが練習学生はこのような厚意を辞退すべき苦しい立場にいる」とやる。

「グッドボーイズ」と景気よく返事だけはするが、目に表れた疑問のひらめきは明らかに、おのが労力に対する報酬をこともなげに捨てて顧(かえ)みない、不思議な小人国の民の心理状態をいぶかしむような心の乱れを示している。

かくて、約半時間のお世辞しばりの後、この厄介きわまる連中は、惜しげもなく、完全なアメリカ人の考え方についての黙示(ヒント)を与えて、タラップを下りていった。ガソリンエンジンのボートに乗り移ったとおぼしきころ、グッドバイと、さらし飴(あめ)が南風に吹かれたような調子の甘ったるい別辞(フェアウェル)が聞こえた。

その晩、舷窓(スカットル)を通してはるかに水に映ずる黄や青のキネオラマ*1のような灯影(とうえい)をながめながら、温かいボンク(寝床)に横たわったとき、次のようなことを考えて、今日の西洋人の所作と、新聞や雑誌に現れたヤンキーの性格と、前回のサンピドロ航海の際における観察とを総合して、想像力と理解力と、牽強(こじつけ)学との濾器(フィルター)を通して、アメリカ人(アンクルサム)の観念は、おおよそ次のように五つに分けることができると思った。

*1: キネオラマ - 明治時代に流行した、小さな人工物の風景などに巧みに光を当てて楽しませた興行物。

第一は、表情と愛嬌が豊かで卓抜した人と人との交際についての観念である。これは今までの説明でほぼ説明できたつもりである。

第二は、各個人の権利義務を重視する自己中心主義によって、容易にその権威を無視する国家というものについての観念である。

第三は、ミス時代とミセス時代とによって、社会道徳が豹変(ひょうへん)するその家庭的観念である。

第四は、殊勝にも、世界はみな同胞(どうほう)、人種平等をモットーとする、その宗教的観念である。

第五は、夫婦間においてさえも出納会計を区別するという、その商業的観念である。

この厄介な五つの、それぞれ独立し、ときとして矛盾したもろもろの観念を包含(ほうがん)し、巧みに時と場合に応じて、それぞれに使い分けるヤンキーは、たしかにジャグラー操一(そういち)*2くらいの技量はあるとほめてやるべきである。

*2: ジャグラー操一 - 明治期に縄抜けなどの演目が人気を博した奇術師(1858年~1924年)で、欧米にも巡業した。

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