現代語訳『海のロマンス』88:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第88回)

(前回までのあらすじ)南アフリカのケープタウンに寄港していた大成丸は、いったん西に引き返す形で大西洋をセントヘレナ島まで北上することになります。ナポレオンが流罪となり没した島です。

ケープタウン出港に際して、同地で縁ができた人物二人についても述べ、練習船の山あり谷ありの世界周航記は、今回から後半となります。

九、古谷駒平*氏

二月十二日に入港して東埠頭(ひがしふとう)に船を横づけしたとき、ぼくらはあまたの「ビーチ・コーマー」や「ショワー・ハッガー」**の間にまじって、ナポレオン帽に麻の洋服を着た一人の紳士の花束を持った姿を見落とすわけにはいかなんだ。これが今、南アフリカで日本を代表して盛んに成功している古谷(ふるや)さんだなとすぐ気がつく。

* 古谷駒平(ふるやこまへい、1870年~1923年): 実業家。明治時代にケープタウンで「ミカド商会」という日本の雑貨や東洋の古美術などを取り扱う事業を立ち上げ、アフリカで最も成功した日本人と呼ばれた。
十七歳でアメリカに渡り、サンフランシスコを経てハワイで雑貨商となったが、アヘンの密売に関与したとして逮捕されて帰国。二十七歳のときに妻を伴ってアフリカに移り、ケープタウンに「ミカド商会」を開いて成功した。
第一次世界大戦後に帰国し、関東大震災で死亡した。享年五十五。

** ビーチ・コーマー: 海岸で漂着物などを探す人。
 ショワー・ハッガー: 外洋を目指さず沿岸から離れない船乗り。 続きを読む