ヨーロッパをカヌーで旅する 6: マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第6回)


シーアネスからドーバーまで鉄道でカヌーを運ぶことにした。機関車の燃料となる石炭を積んだ貨車の上に積むしかなかったが、土砂降りの雨が降りだし、風も強くなったので、蒸気機関から出る火花が大量にカヌーにも吹き込んでしまう。それで、カヌーは大型のスーツケースみたいなものだからと頼み込んで、なんとか貨物車に積むことができた。今度の長旅は、こんな風にして始まった。

ロンドン・チャタム・ドーバー鉄道会社は、この新種の「箱」を乗客の手荷物として取り扱ってくれたので、追加料金を支払う必要はなかった。ベルギーのオステンドまでの船旅でも、汽船会社は同じように寛大に取り扱ってくれた。というわけで、イギリスのカヌーイストが大陸に渡る際には「このコースがお勧め」だ。

ベルギーに渡航する前、ドーバーに一日滞在した。必要な物資を買い入れ、カヌーで使うジブ(前帆)を腕の良い職人に仕上げてもらった。ドーバーでは、カヌーを緑色の海に浮かべ、埠頭の先端付近の、波が打ち寄せているあたりで試走を兼ねてカヌーを漕いでもみた。ベルギーのオステンドでも、押し寄せてくるうねりに乗ってみたり、巻き波や堤防の砕け波の近くで漕いでみたりもした。オステンドでは、風はドーバーほどではなかったが、引き潮が強くて波も高かった。浅いところでは、太った海水浴客たちがパチャパチャやっていた。アヒルのようにすいすい泳いでいる人もいた。妙な服を着せられ、波で体が上下するたびに泣き叫んでいる子供たちもいて、大人たちは大喜びしていた。そうした光景を横目で見ながら、幅が広くて直線上の運河で帆を揚げて静かに進んでみたりした。

そこからまた汽車に乗ったのだが、鉄道会社にかけあって事情を説明すると、カヌーを貨物車で運ぶことに同意してくれた。ブリュッセルまでの「超過貨物」分の料金として一フランか二フラン払った。ブリュッセルでは、カヌーを荷車に載せ替え、街なかを突っ切って別の駅まで運んだ。夕方にはナミュールに着いた。ここでは夜の保管場所として宿の主人が空き部屋を提供してくれたので、椅子を二つ並べてカヌーを載せておいた。

翌朝、ポーター二人に担いでもらって市街地を抜け、サンブル川でカヌーを漕いだが、漕ぎ下るというほどのこともなく、すぐにムーズ川*1に合流した。

きらめく川面に光輝く太陽、小さく可憐なカヌー、うきうきする心、積みこみ終わった荷物たち、速い川の流れ──こういうものを、だれが徒歩や鉄道や汽船や馬の旅と交換しようと思うだろうか?

こういう航海の最初の段階では、快適な流れがあれば、それで十分に満足できる。岩や急流の魅力についてはまだよくわかっていないからだ。川旅では、川にいるというだけで目新しいことの連続なのだから、初めのうちはこのムーズ川のように静かで、のんびりできる、ちゃんとした川を選ぶべきだ。川岸は水辺から見るとおとなしい感じだが、流れの中央に出てみると新鮮な景色がひろがっている。普通の旅行では車窓に見えている風景が、川の上では自分を中心に一気に拡大し、前方から押し寄せてくるのだ。川に浮かんで穏やかに揺れていると、景色はこっちでは大きくなり、あっちではまた新しくなって、次から次へと自分に向かって迫ってくる。

最初の浅瀬では、ぼくは慎重の上にも慎重を期した。カヌーから降り、手にかかえて渡ったのだ。それからひと月もすると、こういう浅瀬があっても平気で突っこんで舟底を小石でがりがりこすりながら突っ切ったりするようになってしまった。とはいえ、この最初の障害物に遭遇したときは心細くて、どうやって乗りこえようかと思案したものだ。そのとき、うまい具合に男が一人やってきて(ま、たいていはそうなるんだが)、二ペンス払うというと、喜んでカヌーを抱えて陸上を迂回するのを手伝ってくれた。それで、またカヌーに飛び乗ったわけだ。

脚注
*1 ムーズ川 - フランス北東部からベルギー、オランダを経て北海へとそそぐ全長950キロメートルの川(オランダではムース川ともいう)。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 5: マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第5回)


帆を揚げて進んでいくと、だんだん川幅が広くなり、川の水も塩からくなってきた。ぼくはこの界隈の地形についてはよく知っていた。以前、ケント号という小さなかわいいヨットに犬を一匹乗せ、海図に方位磁石とヤカン一個を積んで、テムズ川の河口付近を二週間ほど航海したことがあったのだ。

蒸気船のアレクサンドラ号がやってきた。階段状になったアメリカ式の高いデッキには大勢の人々がいて、この小さなカヌーに歓声をあげてくれた。ぼくらの航海が新聞に掲載されていたのだ。もうここまで来ると、両岸は遠くかすんだ青色になり、川というよりは海という感じになってきた。ノールまで来ると、イルカの大群に遭遇した。悪さをするわけではなく、すばしっこく動きまわる愉快な連中だ。これまでイルカがこれほど近くに寄ってきたことはなかった。カヌーがあまりにも小さいので、シャイで利口なイルカたちにとっても、それほど警戒すべき相手とは見えないのだろう。カヌーは波を乗りこえるたびに揺れたし、イルカたちはパドルが届きそうなところまで何度も近寄ってきたが、追い払ったりはしなかった。連中に尾で一撃されれば、こっちの方がすぐにひっくり返ってしまうからだ。

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マクレガー本人が描いたセーリングカヌーでの航海の様子

サウスエンドまで快適なセーリングだった。それから豪雨になったので帆をおろし、シューバーイネスまでパドルを漕いだ。砲兵隊の野営地に数日滞在する予定にしていた。第一回の射撃競技のために全国各地から集結しているのだった。

英国陸軍砲兵隊は、ぼくらのようなこのイベントの志願兵を丁重に遇してくれた。将校の四分の一が砲兵隊の全国会議に出かけていて留守だったので、余計な気を使わずにすんだ。とはいえ、この野営地は低湿地に作られていて、あちこちぬかるんでいた。ヨークシャーやサマセットやアバディーンなどからやって来た、六十八ポンド砲を扱う頑健で背の高い男たちも、ぬかるみで苦労していた。彼らは分厚いブーツをはき、ユーモアもあった。小雨が降り続くなか、キャンプファイアを取り囲んで歌をうたったりした。翌日は標的に向けて砲撃した。彼らは正真正銘の志願兵だった。

風がちょっとした嵐くらいに強くなってきたので、荒れた海域でカヌーの耐航性を徹底的にためしてみる絶好の機会のように思えた。ひっくりかえって岸に打ち上げられでもしたらカヌーは損傷するだろうし、ぼくも泳いだ上に服も着替えなければならなくなるだろう。

このロブ・ロイ・カヌーの浮力には、あらためて驚かされた。安定性が失われることもなかった。波と波の合間に、マストを立てて帆を揚げることもできた。この実験ではカヌーに荷物を積まなかったので、びしょ濡れになってもまるで気にならなかった。あらゆることを試し、あれこれやってみて、これなら大丈夫だと確信が持てた。

翌朝早く、出発した。向かい風だったので、サウスエンドまで大荒れの海でパドルを漕いた。着いてから服を乾かしたが、乾くまで水浴びを楽しんだ。水温はぬるかった。そこでカヌーを汽車に積みこみ、サウスエンドの埠頭からは列車の旅となったのだった。

テムズ川では、新しいのや古いの、豪華なものなど、いろんな種類の船を目撃することができるが、ぼくらのカヌーは驚くほど人々の興味と好奇心をかき立てた。その理由については特定できない。海に出ていく船としてはあまりに小さいことに驚く人々もいたし、パドルの漕ぎ方が従来の方法とは違っているので、それにびっくりする人もいた。帆を揚げていると、多くの人が面白がってくれた。ロブ・ロイ・カヌーの優美な形が気に入ったという人もいれば、ヒマラヤスギを張ったデッキや小粋な旗に感心する人もいた。多くの人は船長たるぼくの服装をじっと見つめ、「どこへ行くんだい?」と聞き、その後でもまだ、こっちをじっと見つめていたりしていた。ぼくもたいてい「本当のところ、自分でもよくわからないんですよ」と答えたりした。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 3:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第3回)


長い間ずっと観光地から観光地へという団体旅行を繰り返していても十分に楽しいという人はいる。もう一歩踏みこんだ旅がしたいと思う人々は、ブラッドショー版のこみいった鉄道時刻表を眺めながら旅のプランを練り、大型スーツケースやバッグに帽子を入れる箱やステッキ持参で、お仕着せではない旅を楽しむわけだが、夜汽車で海外に到着するときには、あれこれ手配する必要があるし、知らない町でどのバスに乗るかも決めなければならない。ほっとできるのはホテルの寝室にたどり着いたときで、ため息まじりに「やれやれ、どうやら無事に着いたぞ!」と叫ぶわけだ。

だが、山々や洞窟、教会や美術館、廃墟や戦場をたっぷり見てまわり、経験を重ね、いろんなことを学んでくると、旅では楽しみよりも心配が先に立つようになり、以前に駆け足でながめてまわった国々での自然の景観やその地の人々の生活をもっと知りたいと思ったりするようになる。

ヨーロッパ大陸の大小の河川はイギリスの旅行者にはほとんど知られていないし、その美しさや流域の生活すべてをきちんと見てまわった人もいない。

ガイドブックをなぞって町から町へと移動する旅で、旅行者はこうした河川を渡ってはいるし、水辺の景色に感嘆もいるのだが、それきり忘れてしまう。また蒸気船に乗って夕方まで堂々とした大河を下ったり、川沿いに走っている鉄道に揺られて汽笛を聴きながらトンネルとトンネルの間で愛らしい川をちらっと眺めたりすることもあるが、そういうものはすぐに通りすぎてしまう。

だが、豊かで美しい風景は、旅行者には関係なくそこに存在していて、新鮮で宝石のような生活や人々が、訪れてくれる人を待っているのだ。そういうところは地図に描かれていないし、ラベルもなく、どんなハンドブックにも掲載されていない。そういう宝に遭遇する喜びは、そのためにエネルギーをついやす勇気を持つ旅行者のみに与えられるのだ。

ぼくらはカヌーに荷物を積みこみ、この川という新しい世界の旅に出ることにした。こうしたことすべてがそろってはじめて「人間とその苦闘の物語」*1になる。

ところで、服装はどうだったか、説明しておこう。

今回の旅でのぼくの服装といえば、カヌーに乗っているときは、灰色のフランネル地のスーツを着ていた。また別に買い物や日曜に着て出かけるような普通の軽装の服も持っていた。

「ノーフォーク・ジャケット」は、ブラウスのようなゆったりとしたフロックコートで、肩にトレンチコートのようなヨーク、腰にベルトがついていて、ポケットが六個もある(原注3)。このすばらしい新流行のコートのポケットそれぞれに何か品物を入れ、ケンブリッジの麦わら帽子、キャンバス生地の渡渉靴、青い眼鏡、防水のオーバーコートを用意し、加えて、日よけ代わりにも使える予備の前帆(ジブ)があれば、雨でも晴れでも、深みでも浅瀬でも、空腹でも退屈していても、きっと旅の一日を存分に楽しむことができる。

まず四時間ほど漕ぎ、休憩したり流れにまかせて漂ったり、本を読んだり帆走したりする。その後でまた三時間まじめに漕ぐ。それから、川で泳いだり宿屋で入浴して着替えたり、散歩を楽しむ。そうやって夕方にはまた気分を一新し、うまい食事に舌鼓をうちながらバカ話で盛り上がったり、本を読んだり、絵を描いたり、手紙を書いたりしてから寝るというわけだ。

イギリスが選挙で盛り上がり、国会議員が座席を奪い合い、弁護士が忙しそうに駆けずりまわり、ウインブルドンで最後の議席が決まる七月末には、旅の用意はすべて整い、気温も十分に暑くなっていた。さあ、ロブ・ロイ・カヌーで旅に出るときだ。


原注3
二度目、三度目、四度目の航海にも、これと同じ服装で出かけたが、ボタン一個欠けることはなかった。

 

訳注
*1:人間とその苦闘の物語 - ローマ時代のラテン語の詩人ウェルギリウスの叙事詩『アエネーイス』の一節をもじったもの

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ヨーロッパをカヌーで旅する 2: マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第2回)


ここで紹介するのは、そういったカヌーを使った旅の最初のものだが、ほかにも多くの人々が後に続いている。ロイヤル・カヌークラブが刊行している「カヌーイスト」には、そういう人々の一覧が掲載されている。このクラブの会長は英国皇太子で、世界中に六百名の会員がいる。

ぼくが名づけたロブ・ロイ・カヌー*1はオーク材で作ってあるが、デッキ部分にはヒマラヤスギを使った。大きさはドイツの鉄道の貨物車に搭載できるサイズに抑えた。つまり、全長十五フィート(約四・五メートル)、幅二十八インチ(約七十一センチ)、高さ九インチ(約二十三センチ)で、重さは八十ポンド(約三十六キロ)だ。三カ月の旅に必要な荷物は、三十センチ四方で深さ十五センチの黒い袋一個にまとめた。パドルは長さ七フィート(約二・一メートル)で、両端に水をかくブレードがついている。帆走用の帆は四角形の縦帆(ラグセイル)と三角の前帆(ジブ)の二枚。装飾といえるのは、きれいなブルーの絹でできた英国国旗だけだ(原注1)。

この小さなカヌーを手に入れてから、これでどこへ行けるのか、どの川を漕ぐことができるのか、景色がきれいなところはどこなのかを調べるのは、けっこう大変だった。

ロンドンで調べてまわったが、ろくな成果はなかった。パリのボートクラブですら、フランスの川のことについて何も知らなかった。むろん連中はライン川のことは知っているのだが、それはそこがドイツとの国境だというだけのことで、ライン川から先では、ぼくの旅は未知の発見をする航海になるはずだ。だから、この旅が休暇をカヌーに乗ってすごそうという多くの人々にとってのよい刺激になればと思うのと同時に、似たようなカヌーの旅をする人が遭遇するであろうトラブルを減らすことにつながればとも願っている(原注2)。

とはいえ、何も川下りの「ハンドブック」を作ろうってわけじゃない。楽しいことをしようという意欲にあふれた者は、地図にちゃんと載っている川や水路図誌が整備された運河だけを旅することからは、いずれ足が遠のくんじゃないだろうか。たとえば『モーゼル川上流域案内図』から抜粋したものを次に引用するが、こういう、こと細かにびっしり書きこまれた案内書に黙々と従うのではなく、過酷な荒野で、夏でも快適にすごせる装備を持ち、自由きままな旅を夢見てはどうだろうか。その手のガイドブックから実際に引用してみると、

(一) 「右に曲がり、小川を渡り、幅が広く急な森の小道をアルバースバッハの集落まで登る(約40分)。集落は緑濃い草原にある。5分もすると十字路に着く。そこからは「I**」に通じる道を進むこと。10分で低地にある「r**」に着くが、そこに製粉工場がある。さらに10分進み、「r**」へのゲートを抜けると、3分で「I**」に至る踏み分け道になるが、それは礼拝堂に通じている。15分もすると、森へと続く砂利道は登りになる」
(某ライン川ガイドブック、94ページ)

むろん、この手のガイドブックをバカにして笑うつもりはない。旅人にとってはしっかりした道案内として役に立つし、作家にとって有益なこともあるだろう。旅をはじめたばかりのころは、すべてをスムーズに楽に行いたいものだし、荷物を蒸気船や汽車で運搬し、イギリスからの客が多いホテルに宿泊して馬に乗ったり歩いたり、あなたが何を食べたいのか何を見たいのか、何をしたいのかをよく知っている人々と一緒になって移動していくためには、そういうガイドブックが必要だし親切でもあるのだから。


原注1: 今回の航海を終えた後、筆者はもっと短くて幅も狭い改良型を作った(名前は同じロブ・ロイだ)。そのカヌーでスウェーデンやノルウェー、デンマーク、ドイツのホルシュタイン地方や各地の河川を航海した。

 

その旅の記録は『バルト海の航海』(未訳)にまとめてある。こういうカヌーの改良についても、木版画の挿絵とあわせて、その本に記載しておいた。三隻目のカヌーは六カ月間の航海中にカヌーの内側にもぐりこんで眠れるようにしたが、それについての詳しい説明は『ヨルダン、ナイル、紅海、ゲネサレでのロブ・ロイ』(未訳)に記載した。これはパレスチナやエジプトおよびダマスカスの河川や海でカヌーを漕いだ旅の記録である。四番目のカヌーは、オランダのゾイデル海や周辺の島々、フリースラントの海岸で使用した。一番新しいロブ・ロイ・カヌー(七隻目)は、スコットランドの北にあるシェットランド諸島やオークニー諸島、それにスコットランドの湖で漕いでみた。

 

原注2:ドイツやオーストリアの最良の地図にも誤りがあった。川ぞいにあるとされた村を、ぼくは一マイルも離れた森の中で見つけたし、自分のボートから離れないぞと決意した者には(立派な決心だ)役に立たなかった。

 

訳注*1:ロブ・ロイはロバート・ロイの略称で、ジョン・マクレガーが故郷スコットランドの英雄のロバート・ロイ・マグレガー(こちらはマグレガーとにごる)にちなんで名づけたとされる。

robroycanue筆者自身の挿絵から

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