オープン・ボート 4

一方、機関手と記者はボートを漕ぎ続けていた。漕ぎに漕いだ。

彼らは同じシートに腰かけ、それぞれ一本のオールで漕いだ。やがて機関手が両手で二本のオールを左右に持って漕ぐようになった。それから記者が交代し、同じように両手で左右のオールを漕いだ。彼らは必至に漕いだ。細心の注意が必要なのは、船尾で休んでいる方が自分の番になって漕ごうとするときだ。小さなボートで席を移動するのは、卵をあたためているメンドリから卵を盗みとるよりむずかしい。まず、船尾で待機していた方が手を漕ぎ座にそってすべらせ、壊れやすい陶器でできているみたいに慎重に移動しなければならない。それから漕ぎ座にいた方が手を反対側にそってすべらせるのだ。すべてに細心の注意を払っわなければならなかった。二人が互いにすれ違うときには、ボートに乗っている全員が迫ってくる波を見張っていた。そして船長が「よく見ろ。さあ、いまだ!」と叫んだ。

茶色いカーペットみたいな海藻の塊が、ときどき島のように出現した。そうした海藻の塊は、明らかにどっちの方向にも動いていなかった。海藻の塊はほとんど静止していた。それで、ボートの男たちは自分たちが岸の方にゆっくり流されているとわかったのだった。

船首にいて後方に目を配っていた船長は、ボートが大きな波で高く持ち上げられると、モスキート湾の灯台*1が見えたといった。やがて、コックが俺も見たといった。そのとき、記者は漕いでいたのだが、自分もどうしても灯台を見てみたいと思った。とはいえ、はるか遠くの陸に背を向ける格好で座っていたし、波をうまくやりすごすのが最優先だったので、振り返って眺める機会はなかった。やっと、それまでより穏やかな波が来たので、波でボートが持ち上げられたとき、西方の水平線をちらっと眺めた。

「見えたかね?」と、船長がきいた。

「いいえ」と、記者がゆっくり答えた。「何も見えませんでした」

「もう一度、見てみなさい。こっちの方角だ」と、船長が指で示した。

別の波の頂点にきたとき、記者は指示された方向を眺めた。今度は、揺れ動く水平線の端に何か小さな動かないものが見えた。ピンのように尖っていた。こんな小さな灯台を見つけるのは、よほど注意していないと無理だ。

「あそこまで行けると思いますか、船長?」

「風が持ってくれて、ボートが水没しなけりゃね。他に手はないし」と、船長がいった。

小さなボートは高く盛り上がった波に持ち上げられては水しぶきに洗われ、海藻のないところでは動いていることすらよくわからなかったが、少しずつ進んでいた。ボートは大海原にもみくちゃにされながら、溺れかけた子供のように奇跡的に船首を上にあげて進んでいた。ときどき目の前いっぱいに広がった海水が、真っ白な煙が充満するようにボートに流れ込んできた。

「くみ出したまえ、料理長」と、船長は冷静な声でいった。

「承知しました、船長」と、元気のよい返事が返ってきた。

脚注
*1:モスキート湾の灯台 ─ フロリダ半島中部の大西洋に面した湾にある、米国でも有数の高さを誇る灯台(53m)。

 

『オープン・ボート』は、作者のスティーヴン・クレイン自身が経験した船の沈没と小型ボートでの漂流に基づくもので、この灯台も実在している。



ErgoSum88 [Public domain]

灯台は光が遠くまで届くよう岬などの高い場所に造られることが多いが、この地域は平地なので、灯台自体を高くしてある。


なお、モスキート湾付近にはモスキート沼やモスキート川があり、行政区画もモスキート郡となっていたことから、この付近では開拓者たちもさぞ蚊に悩まされたのだろうということがわかる。

現在、モスキート郡はオレンジ郡、モスキート川はハリファックス川、モスキート湾は、十六世紀のスペインの開拓者にちなんでポンス・デ・レオン湾と名称変更されている。

オープン・ボート 3

波の頂点でボートが跳ねると、風が無帽の男たちの髪をかき乱した。ボートがまた船尾から着水すると、水しぶきが乱れた髪をなでつけていった。盛り上がった波は丘のようで、その頂点にきたとき、一瞬だが、風が吹き乱れている広大な光かがやく大海原が見えた。このエメラルドや白や黄色の光に満ちた荒々しく自由奔放な海は、おそらく壮大で、おそらく輝かしくもあっただろう。

「いいぞ、陸に向かって風が吹いてる」とコックが言った。「そうじゃなかったら、どうなるんだろうな? 考えたくもねえけど」
「そうだな」と記者が言った。
 あれこれ作業で忙しい機関手は、無言でうなづき同意した。

 すると、船首にいた船長がユーモアと侮蔑、悲しみの入り混じった複雑な笑顔を見せ、「助かりそうだとでも思っているのかね、君たちは?」と言った。

すぐに三人は黙った。気まずく咳ばらいしたり口ごもったりした。こんな状況で何かしら希望的観測を述べるのは子供じみていて馬鹿げていると、彼らも感じたのだった。とはいえ、心の中では疑いもなく、なんとかなるんじゃないかと感じててもいるのだった。若者というのはそんなときは強情になるものだ。彼らは若くもあったし、あからさまに示された絶望には反抗したいという思いもあった。だから、船長に反論せず黙りこんだのだ。

「まあ、そうだな」と、船長はとりなすように言った。「なんとか陸には着けるだろうよ」

 だが、彼の声の調子には、条件つきだぞと思わせるものがあったので、機関手がそれを受けて「そうです! この風が続いてくれさえすれば!」と続けた。

 海水をくみ出していたコックは「そうそう! 波でひっくり返りさえしなけりゃな!」と言った。

中国製のネルの生地でできているようなカモメが、ボートの周囲を飛んでいた。洗濯ロープにかけられ強風で揺れるカーペットのように、茶色い海藻の塊が波とともに揺れ動いては巻き波になってくずれ落ちたりしていたが、カモメたちはその近くの海面に降りて浮いたりもしていた。海鳥の群れが平気な様子で浮かんでいるので、ボートに乗った連中には、それをうらやましがるものもいた。というのは、荒れ狂う海といえども、カモメにとっては、数千マイルも内陸の草原ライチョウの群れに対するようなものにすぎなかったからだ。カモメたちは何度も近くまで来て、黒いビーズ玉のような目でボートの連中を見つめた。鳥はまばたきをしないので、監視されているようで不気味だし、何かをたくらんでいるようにも見えたので、男たちは鳥に向かってどなったり、あっちに行けと叫んだりした。一羽のカモメが接近してきて、船長の頭の上に降りようとした。そのカモメは円を描かず、ボートに並行して飛びながら、ニワトリのように短く空中を斜めに移動した。物欲しそうな黒い目は船長の頭に向けられていた。「くそったれの畜生が」と、機関手が鳥に向かって叫んだ。「てめえの体はジャックナイフでできてるみたいじゃねえか」 コックと記者もその鳥をあしざまにののしった。当然のことながら船長も太く重いもやい綱の端でその鳥を追い払いたいと思っていたのだが、あえてそうしなかった。というのも、激しい動作をすると、自分たちを乗せたボートが転覆してしまいかねないからだった。船長は手を広げ、あっちに行けと穏やかに追い払った。カモメに狙われたことで弱気になっていた船長は、ともかく頭を守ることができてほっとしたように息を継いだ。その鳥を何か嫌な不吉なもののように感じていた他の男たちもほっと一息ついた。

オープン・ボート 2

この救命ボートに乗るのは、ロデオの暴れ馬に乗っているようなものだった。馬とボートを比べても、大きさにたいして変わりはない。ボートは馬のように跳ねたり船尾を下にして立ち上がったり、海面に突っこんだりした。波が来るたびにボートは高く持ち上げられ、とんでもなく高い柵に突進するようにも思えたが、こうした海水の壁を登っていく様子は神秘的でもあった。波の頂点は白濁した泡になっていて頂点から崩れ落ちていくので、そのたびにボートは宙を飛び、海面に激突しては水しぶきをあげながら滑り落ちていくのだが、次の脅威となる波の前で武者震いするようにまた揺れ動くのだった。

海で特筆すべきことは波に限りがないということだ、波をうまく乗りこえてもすぐにまたボートを沈めようとたくらんでいる次の波が押し寄せてくるという事実がそれを示している。長さ三メートルのちっぽけなボートに向かって波が次々に押し寄せてくるのを見ると海の資源にはきりがないことを痛感させられるが、こういうことを小さなボートで海に出たことのない普通の人々が経験することはあるまい。灰色の海水の壁が迫ってくるたびに、ボートに乗っている人間の視界から他がすべて遮断され、こんなにひどい波はこれが最後かなと、つい思ってしまうほどだ。波の動きには非常に優雅なところがあって、巻き波が頂点に達して崩れ落ちるのをのぞけば、音もなく迫ってくるのだった。

青白い光を受けたボートの男たちの顔は灰色だったに違いない。視線はたえず船尾の方向に向けられ、異様な光をやどしていたことだろう。その様子を高いところから眺めていれば、そうした光景は全体として疑いもなく絵のように美しかっただろう。だが、ボートの男たちにはそれを眺める余裕はなかったし、かりにあったとしても、心はそれ以外のことで占められていた。太陽はたえず空を背景にゆれていたし、海の色が灰色からエメラルドグリーンに変化したので夜が明けたことを知ったのだ。黄金色の光の筋が走り、泡は雪のように舞っていた。夜が明けていくんだなという認識はなかった。自分たちに向かってくる巻き波の色がそれに応じて変化したことに気がついただけだ。

コックと記者は互いにかみ合わない言葉で海難救助の詰め所と避難小屋の違いをめぐって言い争った。コックは「モスキート湾の灯台のすぐ北に海難救助の詰め所があるんだ。俺たちを見つけてくれればすぐに船を出して拾い上げてくれるぜ」と言った。
「誰が俺たちを見つけてくれるって?」と記者。
「詰め所の連中さ」とコックが言った。
「避難小屋に詰めてる人間はいないぜ」と記者が言った。「俺の知る限り、船の難破に備えて服や食料が保管されているだけさ。スタッフが配属されてるわけじゃない」
「いるんだよ、本当に」とコックが言った。
「いるわけねえだろ」と記者が言った。
「おいおい、俺たちはまだそこに着いたわけじゃないんだ」と、船尾の機関士が口をはさむ。
「そうだな」とコックが答えた。「俺のいうモスキート湾の灯台の近くにあるっていうのは避難小屋じゃないんだ。海難救助の詰め所のほうなんだ」
「だから、そこまでまだ遠いんだって」と船尾の機関士が言った。

オープン・ボート 1

今回からスティーヴン・クレインの『オープン・ボート』の新訳をお届けします。

 スティーヴン・クレイン(1871年~1900年)は米国の自然主義文学の先駆とされる作家で、『赤い武功章』『街の女マギー』などの作品があります。

 二十八歳で早世したため、作品の数は多くなく、日本で知られているとは言えませんが、フォークナーやヘミングウェイなど後の世代の作家にも大きな影響を与えました。

 特にヘミングウェイは、若い作家志望者に与えた必読書十六冊のリストに、クレインの『オープン・ボート』と『青いホテル』の二作品を含めるなど、高く評価していました。このリストにはトルストイの『戦争と平和』やドフトエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』、スタンダールの『赤と黒』、エミリー・ブロンテの『嵐が丘』など、世界文学の傑作が網羅されています。

 

『オープン・ボート』は、クレインが通信員として向かうために乗っていた船がフロリダ沖で沈没したため、三十時間漂流した後に生還したという彼自身の実体験に基づくものです。

 

最初はノンフィクションの手記として発表され、後にフィクションとして『オープン・ボート』という作品にまとめられたものです。

 

ちなみに、ヘミングウェイが若い作家志望者に示したという必読書十六作は、こうなっています。

 

『青いホテル』スティーヴン・クレイン
『オープン・ボート』スティーヴン・クレイン
『ボヴァリー夫人』ギュスターヴ・フローベール
『ダブリン市民』ジェームズ・ジョイス
『赤と黒』スタンダール
『人間の絆』サマセット・モーム
『アンナ・カレーニナ』トルストイ
『戦争と平和』トルストイ
『ブッデンブローク家の人々』トーマス・マン
『歓迎と別れ』ジョージ・ムーア
『カラマーゾフの兄弟』ドストエフスキー
『英語韻文集』オックスフォード大学出版
『大きな部屋』E.E.カミングス
『嵐が丘』エミリー・ブロンテ
『はるかな国 とおい昔』ウィリアム・ハドソン
『アメリカ人』ヘンリー・ジェームズ

 

オープン・ボート

 

沈没した蒸気船コモドア号から脱出した四人の男たちの、
事実にもとづく物語

スティーヴン・クレイン 著
明瀬 和弘 訳

誰も空の色はわからなかった。視線は水平線に向けられ、自分たちに次々に迫ってくる波を見つめていた。波はスレートのような濃い灰色で、頂点は白く泡だっていた。四人とも海の色ははっきり見えていた。水平線は狭くなったり広くなったり、急に沈みこんだり盛り上がったりしていて、その縁はけわしい岩山のようにギザギザになっていた。

彼らが今乗っているボートは、たいていの家にあるバスタブよりも小さいくらいだった。次々に押し寄せてくる波は悪意に満ち残忍で、切り立っていて、しかも大きかった。こういう波の頂点にある泡は、舟を支える実体がないので、小さなボートの操縦ではやっかいだ。

コモドア号の調理担当だったコックはボートの舟底にしゃがんで、自分と海を隔てている六インチの船べりを見つめていた。両腕の袖をまくり上げていたが、舟底にたまった海水をくみ出そうとするたびに、ボタンをとめていないベストの前みごろが垂れ下がって揺れた。「くそったれ! いまのはやばかったな」と何度も言った。そう言うたびに、コックはきまって大荒れの東の海面を見た。

機関士は小さな救命ボートに積んであった二本のオールの片方で舵をとり、ときどきふいに立ち上がっては船尾ごしに渦をまいて飛びこんでくる海水を避けようとしていた。そのオールは薄くて小さく、何度も折れそうになった。

乗客だった記者は、もう一本のオールで漕ぎながら、波を眺めては、自分はどうしてこんなところにいるんだろうと思っていた。

負傷した船長は船首で横になっていた。この時点ではすっかり意気消沈し、周囲の状況にも無関心になっていた。どんなに勇敢で忍耐強い人でも、会社が倒産したり、戦闘で敗北したり、船が沈んだりというような場合には、否応なく、少なくとも一時的には、こういう心理状態に陥ったりするものだ。新米だろうとキャリア十年のベテランであろうと、船長の心は船と共にあるものなのだ。しかも、この船長は、夜明け前の薄明で見た光景、振り返った七つの顔と、先端に白い玉をつけたトップマストの帆柱が波に揺れながらだんだん低くなり、やがて沈んでいった様子に衝撃を受けていた。

それから彼の声音に変化が生じた。言葉や涙をこえた、落ち着いてはいるが、深い悲しみが感じられた。

「舟の向きはもう少し南だ、ビリー」と、船長が言った。
「もう少し南ですね、船長」と、船尾の機関士が応じた。