スナーク号の航海 (29) - ジャック・ロンドン著

波に乗ったり波と闘ったりすることでぼくが学んだ方法の一つは、抵抗しないということだ。なぐりかかってくる相手は、こちらからよけてしまうに限る。顔面をひっぱたこうとする波があれば、その下にもぐりこんでしまえばいい。足から先に海に飛びこみ、波には頭上を通過させるのだ。決して身構えたりしない。リラックスしよう。体を引きちぎられようとしたら、一歩譲ればいい。引き波につかまって、海の底で沖に持っていかれようとしたら、それに逆らってはいけない。逆らったところで、引き波の方が強いに決まってるのだから、おぼれてしまう。逆らわず、流れにそって泳いでいけば、体にかかる力が弱くなったように感じられる。そうやって流れに乗っていれば体を押さえつけられることもないし、海面に向かって少しずつ浮上していくこともできる。そうやって海面に出てしまえば、おぼれる心配はなくなるわけだ。

波乗りをおぼえたければ泳ぎが達者でなければならないし、海にもぐるのにもなれていなければならない。それができたとして、あと必要になるのは頑丈さと常識だけだ。大波のパワーは想像を絶する。めちゃくちゃにかきまわされるし、人間とボードは何百フィートも引き離されてしまう。サーファーは自分の身は自分で守らなければならない。救助に駆けつけてくれるサーファーがどんなに大勢いたとしても、それには頼れない。フォードやフリースがいてくれるという安心感のためか、大波にもまれたら、まず自分で泳いで脱出しなければならないということを、ぼくはつい忘れてしまった。そのときのことを思い出してみると、大波がやってきて、この二人はそれに乗ってずっと遠くまで行ってしまったのだ。彼らが戻ってくるまでの間、ぼくは何十回となくおぼれかけた。

サーフィンではサーフボードに乗って波の前面をすべりおりることになるが、そのためにはまず自分から滑りださなければならない。ボードとサーファーは、波が追いついてくるまで、陸に向かってかなりの速さで自分から進んでいかなければならない。波がやってくるのが見えたら、ボードに乗って向きを変えて波に尻を向け、全力で海岸にむかって漕ぐ。いわゆる風車みたいに腕をぐるぐるまわして漕ぐのだ。波の直前でスパートする。ボードに十分なスピードがついていれば、波がそれを加速してくれて、四分の一マイルもの長さの滑走が始まることになる。

沖ではじめて大波に乗れたときのことは決して忘れない。波が来るのが見えた。向きを変え、必死でパドリングした。腕がちぎれるかと思えるほどだ。ボードのスピードはどんどん増していく。自分の背後で何が起きているのか、わからない。風車みたいに漕いでいるときに振り返ったりはできないのだ。波が盛り上がり、シューシューという音や波がくずれる音が聞こえた。ボードが持ち上がり、放り投げられるように突進した。はじめのうちは何が起きたのか、さっぱりわからなかった。目を開けても何も見えない。白い波しぶきに埋もれていたのだ。だが、そんなことは気にならなかった。波をとらえたときの至福ともいえる喜びだけを感じていた。三十秒ほどで、物が見えるようになり、息もできるようになった。ボードの鼻先三フィートほどが空中に突き出しているのが見えた。体重を前にかけるようにしてボードの先端を下げた。そのとき、ぼくは荒々しく動いている波のど真ん中で静止していたのだった。海岸が見えた。ビーチの海水浴客たちもはっきり見えた。とはいえ、その波で四分の一マイルもサーフィンできたわけではない。ボードが波に突き刺さらないよう重心を後ろに移動させようとしたのだが、体重を戻しすぎて波の背面に落っこちてしまったのだ。

サーフィンをはじめて二日目だったし、自分がとても誇らしかった。四時間もサーフィンをして、終わったときには、明日もまた来よう、ボードに立って見せるぞと思っていた。だが、その思いは先延ばしになってしまった。翌日にはベッドに寝ていたのだ。病気ではない。どうにも動けなくて寝たきりだったのだ。ハワイの海のすばらしさを語ろうとして、ハワイの素晴らしい太陽のことを言いそびれてしまった。熱帯の太陽である。六月初旬なので、頭上に太陽がある。狡猾で二枚舌なやつだ。ぼくは人生で初めて、自分が日焼けしたことに気がつかなかった。両腕、両肩、背中は以前にも何度も日焼けしていて、いわば免疫はできていた。だが、下半身はそうじゃなかった。そして、サーフィンに熱中していた四時間というもの、足裏をハワイの太陽にまともにさらしてしまっていたのだ。裏側が太陽にさらされていたことは、サーフィンを終えてビーチに戻るまで気がつかなかった。日焼けすると、はじめのうちは熱を感じるだけだが、それがひどくなると水ぶくれができてくる。それに、皮膚にしわがよると関節も曲がらなくなる。それが翌日ずっと寝ていた理由だ。歩けなかったのだ。今日こうして原稿をベッドで書いているのはそのためだ。こうやってサーフィンができない状態におかれるより、サーフィンしてる方がずっと楽だ。明日になれば、そう、明日になれば、またあのすばらしい海に入って、フォードやフリースと一緒にサーフボードの上に立ってみせるさ。明日がだめなら、その翌日か、またその翌日に。ぼくは一つだけ決心した。自分が足に翼をつけて海の上を飛ぶようにサーフィンできるようになるまで、日焼けして皮のむけたマーキュリーになるまで、スナーク号でホノルルを出帆することはない、と。

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