同じことをイギリスでやってみれば、すぐに反駁されるだろう。とんでもない、自分の生活はひどいもので、あなたの方が恵まれてますよ、と。フランスのよいところは、だれもが自分は恵まれているとはっきり認めることだ。彼らは皆、自分の恵まれている点について承知していて、それを他人にも示すことに喜びを感じている。これは信条として確かによいことだ。自分の境遇をなげくことをいさぎよしとしない国民だが、ぼくに言わせれば、それも雄々しいと思う。ぼくは、イギリスで立派な立場で裕福でもある女性が、自分の子供について「貧乏人の子」と卑下するのを聞いたことがある。相手がウェストミンスター公で、自分のことを卑下したとしても、ぼくならそんな風にはとても言えない。フランス人はこうした独立の精神に富んでいる。おそらくそれは彼らが共和制と呼んでいる制度によるものだろう。というか、本当に貧しい人がとても少ないので、卑下して泣き言をいっても誰にも相手にされないからなのかもしれない。
荷船の夫婦は、ぼくが彼らの生活ぶりをほめるのを聞いて喜んでくれた。あなたが私たちの生活をうらやましいというのは、よくわかります、あなたは間違いなくお金持ちでしょうから、お城のような船を作って運河を旅することができますよ、と。そうして、ぼくを自分たちの住宅でもある荷船に招待してくれた。狭いところですがと謙遜しながら船室に招き入れたが、そういうところまで飾り立てるほどの金持ちではないということなのだろう。
「ここに暖炉がほしいんですよね、こっち側に」と、夫が説明した。「そうすれば、中央に机と本などすべてが置けるんです。そうなれば言うことなし――そうすれば、すっかりよくなるはずです」 それから、もうそうした改築を実際に行ったように彼は部屋を見まわした。想像の中で船室を美しく飾ったりするのは、これが初めてじゃないことは明らかだった。またお金ができたときには船室の中央に机が置かれることになるのだろう。
妻はカゴで三羽の小鳥を飼っていた。たいした鳥じゃない、と彼女は説明した。立派な鳥は高価だからだ。彼らは去年の冬にルーアンでオランダ産の小鳥を探したそうだ。(ルーアンだって? とぼくは思った。犬や小鳥を飼い、煮炊きをする煙突のついた住居でもあるこの船で、そんなところまで行ったのだろうか? そして、サンブル運河の緑の平原のときと同じように、セーヌ河畔の断崖や果樹園の間に船をとめて過ごしたのだろうか?) この夫婦は去年の冬はルーアンでオランダ産の鳥を探したそうだが――それは一羽十五フランもしたらしい――なんと、十五フランとは!
「こんな小さな鳥が、ですよ」と、夫はつけ加えた。
ぼくがずっと褒め続けていたので、この人のよい夫婦は卑下することはやめて、インドの皇帝と皇后のように、荷船や快適な生活について誇りをもって語り出した。こういうのをスコットランドでは聞いていて心地よいと言うが、聞いている方も、世の中も捨てたものじゃないという気になってくる。もし人の自慢話が、架空のものではなく実際にその人が持っているものについてであれば、それを聞いている側もどんなに元気づけられるかを知っていれば、人はもっと自由にもっと優雅に自慢するようになるのではないだろうか。
それから、夫婦はぼくらの航海についてあれこれ質問した。彼らはとても共感したようで、自分たちの荷船を捨てて、ぼくらと同行したいと言わんばかりだった。こうした運河を航行する船で暮らしている人々は、定住する気持ちもまだ固まりきっていない放浪の民だからだろう。とはいえ、定住したいという気持ちもあることは、かなりかわいらしい形で露呈した。妻の方がふいに眉をひそめたのだ。「でもね」と彼女は言いかけて口をつぐみ、それからまた、ぼくに独身かと聞いた。
「そうです」と、ぼくは言った。
「連れのお友達は?」
彼も結婚していなかった。
それが――幸いだった。彼女は、妻を家に残して夫だけが旅に出るというのにはがまんできなかったのだ。だが、妻帯者でなければ、ぼくらのやっていることは何も問題ないわけだった。
「世の中を見て歩くことほど」と、夫が言った。「価値のあることは他にないですよ。熊のように自分の生まれた村にしがみついている人は」と、さらに語を継ぐ。「何も見ていないんです。そうやって死を迎えるわけです。何も見ないまま、ね」
この運河に蒸気船でやってきたあるイギリス人のことを、妻が夫に思い出させた。
「イテネ号のモーンスさんかな」と、ぼくは口にしてみた。
「その人です」と、夫が同意した。「奥さんと家族、それに召使いも一緒でした。水門では必ず陸に上がって村の名前を聞いていました。船に乗っている者や水門の管理人にね。そうしてメモをとるんです。何でもかんでもメモってましたっけ! 私が思うに、賭けでもしてたんでしょうね」
ぼくらの航海については賭けだと説明すれば納得してもらえる。だが、メモをとるというのは、別の理由があるような気もした。