スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (37)

 

午後、ホテルの外に座っていると、うめいているようにも聞こえるオルガンの甘く荘厳な響きが聞こえてきて、教会から呼び出しを受けたような気がした。ぼくは観劇は大好きだし、芝居の一幕か二幕を見るのもいやではなかったが、そのときに実際に見た儀式がどういう性質のものだったのかについては、いまでもよくわからない。教会に入ってみると、四、五人の司祭と数多くの聖歌隊の少年たちが祭壇の前でミゼレーレ(神よ、われを憐れみたまえ)*1を歌っていた。何かの集会というわけではなさそうだったが、数人の老婦人が椅子にすわり、年老いた男たちは床にひざまずいていた。しばらくすると、黒い服に白いベールをつけた少女たちが、火をともしたローソクを手に、二人ずつ祭壇の背後からぞろぞろと歩いて登場し、そのまま会衆席の方へと降りてきた。最初の四人は聖母マリアと幼児のキリスト像の卓を運んでいる。司祭と聖歌隊も立ち上がり、アベマリアを唱えながら、その後に従った。彼らはこの順序で大聖堂の周囲をまわり、柱にもたれていたイギリス人、つまりぼくの前を二度通過した。一番偉いように思えた司祭は奇妙な老人で、ずっとうつむいていた。口をもごもごさせて祈りを唱えていたものの、薄暗がりでこっちを見上げた顔は祈りに集中している風にも見えなかった。ちゃんと歌っていた他の二人はがっしりした四十男で、いかめしい軍人のようにも見えたし、押しが強そうで、食べすぎたときのような目をしていた。彼らは元気よくアベマリアを軍歌のように輪唱した。少女たちはひかえめで、きまじめな表情を浮かべていた。ゆっくり通路を上がってきながら、彼女たちは一人一人、余所者であるぼくをちらちら見ていった。少女の一団を率いていた大柄な修道女は不満げな様子でこっちをにらんでいる。聖歌隊の少年たちについては最初から最後まで悪ガキといった感じで、ふざけたしぐさをしたりして、この儀式を台なしにしていた。

何の儀式かわからなかったものの、行われていた儀式の精神については、ほとんど理解したと思う。実際にミゼレーレを聞けばわかると思うが、これは無神論者の作曲したものだろう。暗く落ちこむのが善であるのなら、ミゼレーレはまさにそれにふさわしい音楽だし、大聖堂もそれにふさわしい。そこまでは、ぼくもカトリック教徒と同意見だ、――というか、カトリックというのは普遍的という意味だが、この言葉を使うのは奇妙な気がしないでもない。とはいえ、一体全体、さっきの聖歌隊の連中は何なのだろう? 司祭たちは祈っているふりをしながら、なぜ礼拝に来ている信徒たちを盗み見たりするのだろう? 少女たちに強引な指導を与えていた太った修道女は、なぜ列を乱した少女の肘をつかんで揺さぶったりしたのだろう? つばをはいたり、鼻をすすったり、鍵を忘れたりと、聖歌やオルガンの音色でやっと静まった心をまたかき乱すような、いろんなごたごたはどういうことなのだろう? どんな芝居小屋でもよいが、教会の人たちもそういうところを見学してみれば、細部まできちんと詰めておくことで全体が成り立つという意味がわかるのではなかろうか。感情をいかに高めていくかについても、端役にいたるまでしっかりと訓練し、椅子なんかも所定の場所にちゃんと並べておくといったことが必要なのだ、と。

それ以外に、ひとつ、ぼくを悩ませたことがある。ぼくは野外で結構な運動をしているので、神よ、われを憐れみたまえという悲哀感に満ちたミゼレーレを聞かされても耐えられるが、年老いた人たちにはどうだろうか。年齢を重ねた人々は自分の人生における荒波のほとんどをくぐり抜けてきているのだし、人生における悲劇的な出来事についても自分なりの見解を持っていて、そういう人々にふさわしい種類の音楽ではないし崇高というわけでもない。年老いた人々は一般に自分自身のためにミゼレーレを歌うことができるが、そういう人たちでも多くは、自己憐憫の歌よりは、神をたたえる歌の方が好きだと思う。老人にとって最も宗教的な行為は、おそらく自分自身の体験を思い出すことではなかろうか。どれほど多くの友人が死んだか、どれほど多くの希望が失われたか、どれほど多く滑ったり転んだりしたか、そしてどれほど多くの光り輝く日々や喜びに神の導きがあったかということで、こうしたことすべてに、とても説得力のある教訓が確実に含まれているのではあるまいか。

つまり、結局のところ、ぼくはこの荘厳な儀式に心を打たれたのではあった。ぼくらの欧州紀行の全体を示すささやかな絵地図には、これはぼくの頭の中で描いたもので、ときどき思い出して楽しんだりするのだが、その空想の地図では、ノアイヨン大聖堂はいびつなぐらい大きな位置を占めていて、一つの県ほどの大きさでなければならない。ぼくは今も司祭たちがすぐ近くにいるみたいに顔を思い出すことができるし、アベマリアや「われらのために祈りたまえ」などの歌が教会から響いてくるのが聞こえたりもする。ノアイヨンでの他の出来事はすべて、こうしたすばらしい記憶のために消し去られ、ぼくはこの場所について、これ以上書くつもりはない。この町は茶色の屋根の積み重なったところにすぎなくて、人々は静かに当たり前の暮らしをしている。ところが、太陽が低くなると教会の影がさし、五つの鐘の音があたり一帯に鳴り響き、オルガンの演奏が開始されることを告げるのだ。仮にぼくがカトリック教徒になるようなことがあれば、オアーズ河畔にあるノアイヨン教会の司祭になることを条件にしたいくらいだ。

 

脚注
*1: ミゼレーレ - 聖書の詩編51に基づく宗教曲。ルネサンス音楽のポリフォニー(多声音楽)で、厳密には複数の版がある。

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