スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (48)

以前、セーヌ・エ・マルヌ県の宿に滞在していたとき、旅芸人の一行がその宿にやってきたことがあった。父親と母親、それに夫婦の娘二人と色の黒い若者で、娘の方はどちらも歌をうたったり芝居をしたりしたものの、これで舞台に立つとは厚かましいと思えるレベルで、若者の方はどこか教師のようでもあり生意気な塗装工のようでもあるといった感じだったが、歌も演技も悪くはなかった。こういうお粗末な旅芸人の一行に芸達者という言葉を使ってよいのであれば、一座で一番の芸達者は母親だった。興行主の父親は、おかしな田舎者をうまく演じている妻をどうほめてよいかわからず、ビールで赤くなった顔をしてうなづきながら「ま、ご覧になってください」とだけ述べた。ある夜のこと、彼らは厩舎前の庭にランプをともして上演を行った。ひどく出来の悪い出し物で、村の観客たちも冷ややかに眺めていた。翌晩はランプが点灯されるとすぐに雨が激しく降ってきたので、彼らは大急ぎで荷物を片づけ、寝泊まりしていた納屋に避難しなければならなかった。体は冷え切り、びしょ濡れで、晩飯も抜きになってしまった。朝になり、ぼくと同じように旅芸人に好感を持っている親しい友人が連中をなぐさめようと少しばかりカンパを集めてきたので、ぼくが連中のところへ持っていくことになった。その金を父親に渡すと、彼は丁重に礼を述べ、台所で一緒にコーヒーを飲みながら、道路や観客について、また景気が悪いことなどについて話をした。

ぼくが戻ろうとすると、その旅芸人の親父は立ち上がって帽子を脱いだ。「すいません」と彼は言った。「ずうずうしいと思われるかもしれませんが、もう一つお願いがあるんです」 ぼくはとたんにうんざりしかけた。が、彼は「私らは今夜も公演をするんです」と語を継いだ。「もちろん、あなたやお友達からお金はいただきません。もう十分いただきましたからね。でも、今夜の出し物は本当にいいものなんです。あなた方に来ていただけると信じていますよ」 それから、肩をすくめて笑った。「おわかりでしょうけど、これも芸術家の見栄ってやつです!」 これだ! 芸術家の見栄! ぼくが人生についてそれほど捨てたものではないと感じるのは、こういうことがあるからだ。くたびれた服を着て、酒をちびちび飲んでいる、能なしの放浪者にも見えるような人間が、こうやって紳士然としてふるまい、芸術家としての見栄や矜持を持っているのだ。

とはいえ、この人よりもぼくの印象に残っている人がいるのだが、ヴォーヴェルサン氏という。最初に会ったのは二年ほど前だが、ぼくとしては、これからもまた再会できればと本気で願っている。ここで彼の最初の出し物を紹介しておこう。このプログラムは朝食のテーブルに配ってあったもので、楽しかった日々の思い出としてとっておいたのだ。

皆様
マドモアゼル・フェラリオとデヴォーヴェルサン氏が今夜歌う曲目をご紹介します。

マドモアゼル・フェラリオの歌う曲は「ミニオン」「小鳥」「フランス」「フランス人が眠っている」「青い城」「どこへ行きたいの?」です。

デヴォーヴェルサン氏の歌う曲は「マダム・フォンテーヌとロビネット氏」「馬に乗って」「不幸な夫」「おだまり、子供たち」「ちょっと変わった私の隣人」「このような幸せ」「私たちは間違っている」です。

彼らは食堂の隅にしつらえられた舞台で公演を行った。口に葉巻をくわえたデヴォーヴェルサン氏がギターをかき鳴らし、従順で忠実な犬のように、マドモアゼル・フェラリオから目を離さない様子は見ものだった! 公演の最後にトムボラという福引券を賭けた一種のビンゴゲームのような競売が行われた。ギャンブルの刺激すべてが織りこまれているが、夢中になったからといって恥ずかしいわけではないという、娯楽としては申し分のないものだった。というのも、皆が負けるのだ。デヴォーヴェルサン氏とマドモアゼル・フェラリオのために皆がポケットを探ってお金を出し、それを失うのを競いあうのである。

デヴォーヴェルサン氏は小柄で、黒々と豊かな髪をして、愛想がよく魅力的な雰囲気をまとっていた。歯並びがよければ、その笑顔の魅力はもっと増したことだろう。氏はパリのシャトレ座で役者をしていたのだが、舞台のフットライトの熱やまぶしさのため神経をいためてしまった。そういう舞台には向いていなかったのだ。そのとき、マドモアゼル・フェラリオ、つまり当時のアルカザール座にいたマドモアゼル・リタ嬢が旅芸人になることを選択した彼と人生をともにすることに同意した。「彼女の思いやりは忘れられません」と彼は言った。とても細いズボンをはいていて、氏を知る者の間では、それをどうやって脱いだり着たりするのかというのが問題になっていたほどだ。彼は水彩でスケッチを描き、詩を書き、辛抱強い釣り師でもある。宿の庭の隅を流れている澄みきった川で、魚を釣りもせずに、何日もずっと釣り糸をたらしていたこともある。

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