スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (31)

実際のところ、オアーズ川自体に問題は何もなかった。このあたりの上流部では、海に向かって、まだとても速く流れていた。川が湾曲しているところも急流で音を立てて流れていた。この激流と闘っているうちに、ぼくは親指を痛めてしまい、その後はずっと片方の手を宙に浮かせたまま漕がなければならなかった。まだ小さな川なのに水車をまわすため取水されたりしていて、水量が減って浅くなったところもあった。ぼくらは舟から足を出して砂まじりの川底を蹴って進まなければならなかった。それでも川はポプラの間を軽やかに流れ、緑の渓谷を作りあげていた。いい女に、よき本、そしてタバコ。その次に来るのが川で、これほど気持ちのよいものはない。この川が命を奪おうとしたことについては、ぼくは許した。結局、その責任の一端は木をなぎ倒した暴風のせいだし、ぼく自身がへまをしたためでもあり、川に責任があるとすれば三番目になるが、悪意があったわけではなく、海へそそぐという川本来の役目を果たそうとしただけにすぎない。何度も迂回し蛇行して海へ向かっているので、海へそそぐのも簡単ではない。地理学者たちはこの川を正確に再現した地図を描くのは断念したようだった。というのも、この川がクネクネと曲がっているのを正確に描いた地図を見つけることができなかったからだ。実際のところ、どんな地図よりもすごいことになっていた。何時間か急流を下った後で、ぼくの記憶が確かなら三時間ほど漕ぎすすんで集落のあるところまで来たので、ここはどこですかと聞いたところ、その場所はオリニーから四キロ(二マイル半)と離れていなかったのだ。(スコットランドのことわざのように)激流を楽しんで漕ぎ下ったこと自体を誇りに思うのでなければ、まったく動かずじっとしていた場合とほとんど同じことなのだった。

ポプラの生い茂った四角い牧草地で昼食をとった。ぼくらの周囲では木々の葉が風に舞い、ざわざわと音を立てていた。川の流れは相変わらず速くて、のんびりしているぼくらをせかしているようだった。ぼくらは少しも気にしなかった。川はどこへ流れていくか知っているが、ぼくらはそうじゃない。急ぐ必要はなかったし、気持ちのよい場所を見つけたら一服して楽しんだ。この時間、パリ証券取引所では株式仲買人たちが二、三パーセントの値動きに声を張り上げているはずだ。だが、ぼくらは、そういうことは川の流れほどにも気にしなかったし、ビジネスの世界で貴重なその時間をタバコと胃の消化をつかさどる神にささげた。急いでしまうと人としての誠実さが失われてしまう。自分の心と友人の心が信頼できるのであれば、明日は今日にまさるとも劣らないよき日になる。また、その間に死んでしまったとしても、もう死んでしまったのであるから、それで問題は解決されている。

午後になると、ぼくらは舟を運河に運ばなければならなかった。川が運河と交差しているのだが、そこには橋がなく、川は導水用の管になっていて漕げなかった。川沿いの道にいたある紳士がぼくらの航海にひどく興味を持ってくれた。それで、ぼくは、シガレット号の相棒がホラを吹きまくるのを目撃するはめになった。相棒はノルウェー製のナイフを持っていたのだが、実際には行ったことのないノルウェーでの冒険譚をあれこれ語った。相棒はしまいにはとても熱くなっていたが、後で、このとき自分は悪魔にとりつかれていたのだと釈明した。

モイは気持ちのいい小村で、城の周りに堀がめぐらしてあった。近隣の畑から麻のにおいが漂ってきていた。ゴールデンシープという宿では、最高のもてなしを受けた。ラウンジには、ラ・フェレを占拠したときのドイツの砲弾やニュルンベルグの人形、鉢にはいった金魚、あらゆる種類の小間物などが飾られていた。女将は太って地味な格好をした、近眼の、肝っ玉母さん風の人だったが、料理の腕は天才的で、自分でもそう思っているようだった。食事が運ばれるたびに彼女もやってきて、しばらく食事の様子を眺めているのだが、近眼なので目を細めて見ながら「おいしいでしょ?」と聞き、期待した「うまい」という返事が得られると厨房に姿を消した。この宿屋で食べたヤマウズラとキャベツというありふれたフランス料理は、ぼくの抱いていたイメージを一新した。それ以降、食事でこの料理を食べるたびに、ぼくはゴールデンシップで食べたものとの落差にがっかりすることになった。モイにある宿屋ゴールデンシープでの滞在は快適なものだった。

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