スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (2)

川の上は快適だった。一、二隻の干し草を積んだ荷船と行き過ぎた。川の両岸にはアシや柳が生えていて、牛や灰色の年老いた馬がやってきた。土手ごしに頭を出してこちらを眺めている。木々に囲まれた感じのよい村には活気のある造船所があり、芝生に囲まれた館も見えた。風に恵まれてスケルト川をさかのぼり、ロペル川までやってきた。さらに追い風を受けて先へと進むと、はるか遠く右岸にボームのレンガ工場が見えてきた。左岸はまだ草の生い茂った田園地帯で、土手ぞいに並木が続いている。あちこちに船着き場の階段があり、婦人が肘を膝に乗せて座っていたり、銀縁メガネをかけてステッキを持った老紳士がいたりした。だが、ボームとそこのレンガ工場群に近づくにつれて、すすけた印象となり、みすぼらしくもなったが、時計台のある大きな教会や川にかかる木の橋のあたりまで来ると町の中心という感じになった。

ボームはすてきな場所というわけではなく、唯一の取柄は、住人の大多数が自分は英語を話せると思っていることだった。が、実際はそうではない。話をしても、何を言っているのか、よくわからない。宿をとったオテル・デ・ラ・ナヴィガシオンについて言えば、この場所の悪いところが全部でているようなところだ。通りに面して休憩室があり、床には砂をまいてあって、一方の端にはバーがあった。別の休憩室はもっと暗く寒々としていて、飾りといえば空っぽの鳥かごと三色旗をつけた寄付金用の箱があるだけだ。ぼくらはそこで愛想のない技師見習い三人に寡黙なセールスマンと一緒に食事をすることになった。ベルギーではよくあることだが、食事はなんの変哲もないものだった。実際、この感じのよい国民の食事に、人を喜ばせる何かを見つけだすことは、ぼくにはできなかった。ここの連中はたえず何か食べ物をつまんだり口に入れたりしているのだが、およそ洗練されているとは言えず、フランス風ではあるが根はドイツ、どっちつかずの中途半端という代物だった。

空の鳥かごはきれいに掃除され飾りもつけられていた。が、鳴き声を聞かせていた鳥の姿はなく、角砂糖をはさむため押し広げられた二本の針金が残ったままで、宴の後のようなもの悲しさがあった。技師見習いたちはぼくらに声をかけようとはしなかったし、セールスマンにも何も言わず、声をひそめて話をするか、ガス灯の明かりにメガネを光らせながら、こっちをちらちら見ていた。顔立ちはよいのに全員がメガネをかけていた。

このホテルにはイギリス人のメイドがいた。国を出て長いので、いろんなおかしい外国の言いまわしや奇妙な外国の習慣が身についてしまっていた。そうした変な流儀について、ここで書いておくことはあるまい。彼女は手慣れた様子で独特の表現を使ってぼくらに話しかけ、イギリスで現在はどうなっているのかと情報を求め、ぼくらがそれに答えると、親切にもそれをいちいち訂正してくれるのだった。とはいえ、ぼくらの相手は女性なのだし、ぼくらが提供した情報は思ったほどは無駄にならないのかもしれない。女性はなんでも知りたがるし、教えてもらう場合でも自分の優越性は保とうとするものなのだから。それは、こんな状況では賢明なやりかただし、そうする必要があるともいえる。というのは、女性が自分をほめているとわかると、たとえそれが道をよく知っているという程度のことであっても、男はすぐに調子にのって鼻の下を長く伸ばしたがる。この手の図に乗った男をあしらうには、女の立場としては、たえず肘鉄をくらわせるようなことをしていくしかないわけだ。男なんて、ハウ嬢やハーロー嬢*1が述べているように「そんな侵入者」なのだ。ぼくは女性を支持している。幸せな結婚をした夫婦は別として、狩猟する女神の神話ほど美しいものはこの世に存在しないと思っている。男が森で苦行しようとしても無駄だ。ぼくらは実際にそうした男を知っている。聖アントニウスもずっと前に同じことをやって悲惨な目にあったではないか。しかし、女性には男の最高の求道者にもまさる、自分に満足できる者がいて、男の顔色をうかがうこともなく、寒冷の地で気高く生きていくことができる。ぼくは禁欲主義者というわけではないが、女性にこうした理想があるということには感謝している。ただ一人を除き、どんな女性に自発的にキスされたとしても、それ以上に、こういった女性という存在がいることに感謝している。自主独立してやっている人々を見ることほど勇気づけられるものはない。スリムで愛らしい娘たちがダイアナ*2の角笛の音に駆られて一晩中森の中を走りまわり、そうした木々や星あかりのように、男たちの熱い息吹やどたばた騒ぎにわずらわされず、オークの老木の間を縫って動きまわっているのを想像すると──ぼくにとってもっと好ましい理想は他にもたくさんあるが──そういう様子を思い浮かべるだけで、ぼくの胸は高鳴ってくる。そうした生き方はたとえ失敗したとしても、なんと優美な失敗だろうか! 自分が後悔しないものを失ったところで、それは失ったことにはならない。それに──ここでぼくの内なる男がでてきてしまうのだが──こっちを軽蔑している相手をなんとか説き伏せていくのでなければ、どこに恋愛における喜びがあるというのか?
脚注
*1: ハウ嬢やハーロー嬢 - 英国の小説の祖と言われるサミュエル・リチャードソンの書簡体小説『クラリッサ』の登場人物。
*2: ダイアナ - ローマ神話の月や狩猟の処女神ディアーナ。ギリシャ神話では月と貞潔と狩猟の女神のアルテミスとなり、鹿の角と関係が深い。

スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (1)

ロバート・ルイス・スティーヴンソン著
明瀬和弘訳

原著の序は本文の末尾に掲載します。

アントワープからボームまで

アントワープ*1のドックではちょっとした騒ぎになった。港湾作業の監督一人と荷役人たちは二隻のカヌーをかつぎ上げると船着き場に向かって駆け出し、おおぜいの子供たちが歓声をあげながらそれを追った。まずシガレット号が水しぶきをあげて水面に突進し、アレトゥサ号がすぐにそれに続いた。ちょうど外輪式蒸気船がやってきたところで、船上の男たちは大声で警告し、監督や荷役人たちも波止場からどなっていた。とはいえ、ぼくらのカヌーはひとかきふたかきしただけで、軽々とスケルト川*2の中央部まで進んだ。行き交う蒸気船や港湾作業の人々、陸の喧騒はすぐにはるか後方に遠ざかった。

太陽はきらきらと輝き、上げ潮が時速四マイルでいきおいよく流れていた。風は安定していたが、ときおり突風が吹いた。ぼくはこれまでカヌーで帆走したことはなかった。正直、この大河のど真ん中で初めて経験するという不安はあった。この小さな帆に風を受けたらどうなるのだろう、と。最初の本を出版したり結婚に踏み切ったりするのと同じで、未知の世界に乗り出していくようなものだろう。とはいえ、ぼく自身の不安はそう長くは続かなかった。五分もすると、ぼくは帆を操るロープをカヌーに結びつけていた。

これには自分でも少なからず驚いた。むろんヨットで他の仲間と一緒にいるときには、帆を操るロープはいつも固定していたが、こんな小さく転覆しやすいカヌーで、しかも、ときおり強風が吹くような状況で、同じやり方をする自分が意外だった。それまでの自分の人生観がひっくり返るような感じでもあった。ロープを固定しておけば、たばこだって楽に吸えるが、ひっくり返るかもしれないという明らかな危険があるときに、のんびりパイプを吹かそうという気になったことは、これまで一度だってない。実際にやってみるまで自分でもよくわからないというのは、よくあることだ。だが、自分で思っている以上に自分が勇敢でしっかりしているとわかって自信が持てたという話は、あまり人の口からは聞こえてこない。似たようなことは誰でも経験しているだろうが、妙な自信を持ってしまうと、この先で自分に裏切られるかもしれないという不安があるので、そういうことをあまり人に吹聴しないのではないか。もっと若いころに人生に自信を持たせてくれる人がいてくれたら、危険は遠くにあるときにこそ大きく見えるが、人間の精神の善なるものはそう簡単には屈服しないし、いざという時に自分を見捨てることは稀か決してないと教えてくれる人がいてくれたらと、心から思う。そうであったら、ぼくはどれほど救われていたことだろう。とはいえ文学では誰もセンチメンタルになるし、こんな勇気を鼓舞するようなことを書いてくれることはないだろう。

脚注
*1: アントワープ - ベルギー北部の都市(オランダ語ではアントウェルペン)。
*2: スケルト川 - 源流はフランス北部。ベルギーのフランドル地方を流れて北海にそそぐ国際河川。スヘルデ川、エスコー川(フランス語)とも呼ばれる。

スティーヴンソンの欧州カヌー紀行

ジャック・ロンドンの『スナーク号の航海』に続いて、ロバート・ルイス・スティーヴンソンの『欧州カヌー紀行』(新訳)の連載を開始します(6月4日から毎週日曜日)。

R.L.スティーヴンソンは『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』などの作品で知られる十九世紀イギリスの作家で、晩年(というか、四十四歳で死亡しているので短すぎる人生の後半)は療養をかねて南太平洋のサモアに移り住み、その地で没しました。

この紀行は二十代の若きスティーヴンソンが友人と二人で大陸(ヨーロッパ)にカヌーを持ちこんで旅した記録です。

カヌーといっても、セーリングカヌーです。一人乗りですが、一人では持ち運べない重さがあるようなので、現代の感覚ではディンギー(機関や船室のない小型ヨット)に近いかもしれません。

スティーヴンソンの母国のイギリスもそうですが、ヨーロッパは船が航行できる大小の川とそれを結ぶ水路が縦横に張り巡らされていて、ほとんどすべての地域を国境をこえて航行することができます。高低差があってもロック(水門)を利用すれば低地から高地へ行くことも可能です!

本作には故吉田健一の名訳(岩波文庫)がありますが、現代の若い人々には旧字体を含めてとっつきにくい印象があるため、現代感覚の新訳でお届けします。