スティーヴンソンの欧州カヌー紀行

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スティーヴンソンの欧州カヌー紀行

スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (32)

ラフェールでのさんざんな記憶その日のほとんどは、モイですごした。というのも、ぼくらはのんびりと物思いにふけったりするのが好きだったし、舟で一日に航海する距離をのばすのは好きではなく、朝早く出発するのもいやだった。おまけに、ここはゆっくりして...
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スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (31)

実際のところ、オアーズ川自体に問題は何もなかった。このあたりの上流部では、海に向かって、まだとても速く流れていた。川が湾曲しているところも急流で音を立てて流れていた。この激流と闘っているうちに、ぼくは親指を痛めてしまい、その後はずっと片方の...
スティーヴンソンの欧州カヌー紀行

スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (30)

オアーズ川をモイまで下るぼくらがオアーズ川でカヌーを預けた例のカーニバル氏はとんでもない食わせ物だった。出発する朝、カヌーを置いたところに向かうぼくらを追いかけてくると、料金を安くしすぎたと後悔したらしく、ぼくを脇につれていき、なんだかんだ...
スティーヴンソンの欧州カヌー紀行

スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (29)

狩猟のことから、話はパリと地方の一般的な比較になった。プロレタリアを自称する亭主はパリをたたえてテーブルをたたいた。「パリって何だ? パリはフランスの精髄だ。パリジャンなんてものはいない。それは諸君であり、俺であり、パリ市民すべてなんだ。パ...
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スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (28)

オリニーで相席になった三人目は宿の女将の亭主だった。といっても、昼間は工場で働き、夕方に自分の家である宿に客としてやってくるので、厳密には宿屋の主人というわけではなかった。たえず興奮していて、ひどくやせた、頭のはげた男で、目鼻立ちははっきり...
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スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (27)

相席になった人々ぼくらは夕食に遅れてしまったが、同じテーブルをかこんだ人々は、スパークリングワインをふるまってくれた。「これがフランス流のもてなしなんだよ。一緒に食事したら友達だってわけ」と一人がいい、他の連中も喝采した。相席になったのは三...
スティーヴンソンの欧州カヌー紀行

スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (26)

夕方、ぼくらは手紙を出すために、またカヌーに乗った。すずしくて快適だった。サーカスの見世物になっている動物を見るように、ぼくらについてくる何人かの腕白小僧をのぞいて、この細長い村に人影は見えなかった。大気はすみきっていて、村のどこからでも、...
スティーヴンソンの欧州カヌー紀行

スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (25)

ぼくらがカヌーを一晩預けることになった人については、ここではカーニバルと呼ぶことにする。正確な名前をよく聞きとれなかったし、そう褒めている内容でもないので、その人にとってもその方がよいかもしれない。その日、ぼくらがぶらぶら歩いてその人の屋敷...
スティーヴンソンの欧州カヌー紀行

スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (24)

オリニー・サント・ブノワット休日翌日は日曜で、教会の鐘は休む間もなく鳴っていた。僕の知る限り、この土地ほど信心深い人々が好きなときに礼拝式に出かけられる場所は他にない。明るい日射しを受けて鐘の音が陽気に響きわたり、男連中は犬を連れてビート畑...
スティーヴンソンの欧州カヌー紀行

スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (23)

ついには鐘の音もとだえ、それにつれて日も陰ってきた。楽しいひとときは終わり、オアーズ川の渓谷を影と沈黙がおおった。ぼくらは立派な舞台を見終えて仕事に戻る観客のように、意気軒昂にパドルをこいだ。このあたりでは、川は前にもまして危険になっていた...
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