現代語訳『海のロマンス』104:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第104回)

上甲板の鹿

ここにちょっと「大成丸観」の著者としての自分を紹介しておく必要がある。

余は名前はまだない。種族は双蹄類(そうているい)の鹿族(しかぞく)で、スプリンクボック属である*。今から一年と三ヶ月前にアフリカの東岸モザンビークの森林中で生まれたのだ。

* この「鹿」は一見するとシカそのものだが、現在の分類では、「偶蹄類(ぐうているい)ウシ科スプリングボック属」になる。
並外れたジャンプ力を持つことでも知られている。

今から一年と三月ばかり前にアフリカの東岸モザンビークの森林の中で生まれたそうである。ところが、まだほんの子供のときに捕らえられて同地のユニオン・キャッスル汽船会社の支店長の手元で養われることになった。それが、数奇(すうき)なる運命は執拗(しつよう)に罪のない自分に祟(たた)ったものとみえ、いくばくならずしてその支店長がある機会を利用して敬意を表するための進物(しんもつ)としてケープタウンの同じ会社の支店長に贈られた。

ところが元来気の小さいケープタウンの衛生局は、動物は伝染病の媒介者だという口実で、一切輸入し上陸させることを差し止めたので、処置に苦しんだ汽船の船長は、見当違いの敬意を表するため自分をとうとうこの練習船の船長の足下(そくか)に捧(ささ)げたという次第である。

幸いに、練習船には好物のジャガイモの貯蔵にことかかなんだので、自分はさしさわりなく丸々と太ってきた。

ジャガイモは船中で唯一の生鮮食品だとのことである。いつぞや、「この鹿も幸福(しあわせ)なものさ、ぼくらでさえあまり食えないフレッシュを常食としているからな」などの、心細い会話を立ち聞きしたこともあった。

一、すさまじい唱歌

このごろは朝から晩まで鍋(なべ)の上に座っているような暑さである。午後の四時というにもう夕飯を済ましてしまう学生諸君の動作をひそかに偵察すると、ボタボタとインゲン豆のような汗をこぼしながら、「こうなると、食事をするのが一種の苦痛だね」などと、先を争っては逃げるように上甲板へとはい上がる。

いかに熱帯の航海でも、南東の涼しい貿易風に吹かれる上甲板はさすがに広い涼み台の観がある。

で、ここで、すこぶるいい気持ちになった連中はやがて浮かれ出して、日課のごとくさまざまの軍歌や唱歌を合唱する。自分は南アフリカで鹿となってまだ日本語というものに親炙(しんしゃ)せぬためか、それがなんだか唐人(とうじん)の寝言(ねごと)のようでさっぱりわからぬが、連中の歌は多くは竜頭蛇尾(りゅうとうだび)で、いつの間にかフーッと途中がなくなってしまう。

ただ、その中で完全に最後まで歌い終わるのは、なんでも「桃から生まれた桃太郎」という歌である。聞くところによると、この歌は日本ではわんぱく盛りの鼻たれ小僧か小娘の社会に限ってのみ使用されるそうである。それを子供の二、三人もいそうな年配の堂々たるひげ面の男が臆面(おくめん)もなくドラ声で怒鳴り散らすところは天下の奇観である。

しかし、こんな乱暴な輩(てあい)の乱暴な合唱も、さすがに四時から七時半までの薄暮当直(イブニング・ワッチ)中に限られているのは、混乱と無権威のさなかに一筋の自覚と節制が通っているのを示す一例で、儒教主義や黙従主義の教育家、社会政策家の杞憂(きゆう)をうち消すに十分なる発見であろう。

初秋の静かに力ない夕日はリギン(索具)の隙間(すきま)から甲板(デッキ)を照らして、飽満(ほうまん)した芋腹(いもばら)で倦怠(けんたい)を味わいながら、うつらうつらと夢心地に、まさに人の世の一切の杞憂(きゆう)を忘れようとする大事の瀬戸際に、にわかに耳元の近くでハンドポンプの運転が始まって、続いてそれに拍子を合わせて二、三十人の合唱の声が起こった。

彼らはいましもサニタリータンク(浄化槽)に水を入れつつあるので、歌は今まで聞いた種類のものに比べると、リズムといい抑揚といい、内容といい効果といい、全然毛色の異(かわ)ったものであった。

ボヒーの夢を揺籃(ようらん)の 静けき床に結ぶとき
目玉ランプのものすごく あたりかわまず怒鳴り込む。

冷たき雨に寒き風 寝ぼけ眼(まなこ)を襲い来て
破れかぶれの雨合羽(あまがっぱ) 淪落(りんらく)の身をかこちつつ。

見張りの務め重くして 偲(しの)ぶ無常の鐘(かね)の音に
落花の邦(くに)を嘆じつつ ゲルンリギンに鼻(はな)赤し。

ブレイス引けとの号令に 飛び出す健児(けんじ)足早く
顔のみ猛(たけ)き野次馬の 声は力にまさるなり。

菜(さい)の不足を補いて 辛(つら)さも辛(つら)しタクアンに
さらに二杯を追加して 我迎天の威(い)も凄(すご)し。*

すさまじい歌もあったものだ。

練習生の一人のMという男の作だそうだが、これほど赤裸々に、これほどてらいもなく、これほど虚心坦懐(きょしんたんかい)に自己を告白し自叙できれば、まずもって会得(えとく)し悟(さと)りを開き達観(たっかん)せる大勇者と認めてやって差し支えない。こういう勇者に限って必ず座右にうぬぼれ鏡などというけち臭いものを備え付けておく不心得(ふこころえ)はないそうである。

船乗りになって、「真の男らしい」生業でひとつ苦しんでみようなどと志す若い男たちはすべからく、この辺の機微をわきまえる必要があるだろう。

                                あなかしこ。

* タンツー節として現代の帆船でも歌い継がれている(?)。
歌詞については、時代や船ごとに微妙に異なっているが、本書の記述から推して、由来はこの練習船・大成丸にあるらしい。

ちなみに、タンツーとは「仕事にとりかかる」という意味の (to) turn to が語源とされるが、ヤシの実を二つに割ったもので甲板を磨く作業。これを厳冬期に裸足(はだし)でやるのは……

こちらは、現代の航海訓練所のタンツー節

*****

ボビーの夢を揺藍(ようらん)の 静けきベットに結ぶ時
目玉ランプの物凄(もの)く あたりかまわず怒鳴り込む

ブレイス曳(ひ)けとの号令に 飛び出す健児(けんじ) 足早く
顔のみ猛(たけ)き野次馬の 声は力に優(すぐ)るなり

草木も眠る丑(うし)三つに 暫(しば)しまどろむハッチメン
折(おり)から呼子(よびこ)が鳴りわたり リーフォアブレース よいやさのさ

タンツーかかれの号令に ガシャガシャサイドに 押しやられ
七つのお鐘が鳴るまでは プープデッキをはいまわる

七つの鐘はまだおろか 八つのお鐘が鳴るまでは
八つのお鐘が鳴るまでは プープデッキをはいまわる

霙(みぞれ)降る夜の冷たさも ロイヤル畳(たた)めの号令に
脱兎(だっと)のごとく飛びついて ゲルンリギンを登り行く

一人旅路の大成(たいせい)に 言い寄る英船「チーフ船」
暫(しば)しウインク千鳥足(ちどりあし) 老大成も気は若い

洋上はるか東に 思案(しあん)たっぷり白砂の
かんざし姿は誰を待つ 惚(ほ)れた信夫翁(あほうどり)が離りゃせぬ

帆影(ほえい)映ろう甲板に ごろーり夢を結ぶ時
通うは遠き故郷の 夢を破られログ流せ

寒さと霧にせめられて 外套合羽(がいとうかっぱ)の達摩(だるま)さん
ブレース引けとの号令に ハッチの陰から踊り出す

ダウンローヤル待構え 猿のごとくに駈け上り
ゲルンのあたりで一休み ローヤルヤードで一仕事

※細部の表現については資料によって異同があります。

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現代語訳『海のロマンス』103:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第103回)

セントヘレナへの決別

セントヘレナは、三月二十日の朝十時に出帆した。

あまりにも風向が見事だったので、文字どおり帆で出るという予定であった。ところが、いわゆる月に叢雲(むらくも)、花に風、「帆船に軍艦」といえばいえるわけで、あいにく当時、石炭積み込みのため練習船の風下に碇泊(ていはく)しておった英国軍艦ヒヤシンス号のお尻がだんだんと出張ってきて、あわよくば鞘当(さやあ)てでもしかねまじき形成となったので、にわかに変更して、平常(いつも)の通り機走で出てしまった。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』102:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第102回)

花雫(はなしずく)せよ、沈黙の谷

いずこに彼は今や在(あ)る!!
かつては超人と謳歌(うた)われ、傲慢(ごうまん)と誹謗(そし)られた彼。
全欧の覇権(はけん)とたわむれ、各国の王の位を弄(もてあそ)び
地球というテーブルで、人骨(ほね)のサイコロを振った彼。
すさまじき最後を見なかったか。人の世から離れた遠き孤島に。
心ある人は独り静かにただ微笑(ほほえ)みて泣くべし。

とは、「人食鬼」、「悪魔」、「猛獣」などと恐れ、嘲(あざけ)り笑う以外にはこの大英傑を呼ぶことのできなかったジョンブル(英国人)の中のただ一人(いちにん)の、真摯(しんし)にして感傷的な謳歌者たるバイロン卿の有名な賛辞である。

ナポレオンが死去した際には遺骸(いがい)を英本国に送るべしという、コックバーン司令官に下った内令は途中で変更された。新総督サー・ハドソン・ローエは、万一の際におけるナポレオンの墓地は、生前に彼が最も愛慕(あいぼ)した谷に定むべしとの訓令を受け取った。

ごつごつとした形状(かたち)のセントヘレナという孤島における六年間。

ナポレオンは、まぶしいくらいに光り輝き、目もくらめくばかりに絢爛(けんらん)だった過去の追憶に生きるの外(ほか)は、閑暇(ひま)あるごとに日々、気の毒なほどに狭苦しく限られた土地の上に、窮屈な馬上の散策を試みては、はかなき瞬間の満足を、意義も努力も責任もない当時の生活において見いだすことを寂(さび)しい日課とした。

そして、その散策は常に、ロングウッドの館から三マイルほど北西にあたるゼラニウムの谷に向けられた。鬱然(うつぜん)と茂る木の間に鳴く鳥の音もかすかに、風もないのにホロホロと散るゼラニウムの花雫(はなしずく)がなんとも艶(えん)なる山懐(やまふところ)に、この偉人は散策する場所を静かに見いだした。

猜疑(さいぎ)と白眼(はくがん)との圧迫に耐えずして、水に乏(とぼ)しく霧に苦しめられるロングウッドの館をさまよい出た彼は、ビロウドのような青い草に身を投げて、耳元近くでこんこんと湧き出る泉の声を聞きながら、木の間を透(す)かして悠々(ゆうゆう)たる白雲の流れていく様子を仰ぎ見るとき、しばしば、志を得ず囚(とら)われの身となった愁(うれ)いを忘れたのであろう。

清らかに湧(わき)いずる泉の音と、無心の風に吹かれてなびける二本の柳樹(りゅうじゅ)とは、彼をこれほどまでに強くゼラニウムの谷に執着させた最大のものであった。

帝(てい)が後年、総督本人に向かって、「今後十数年をいでずして英国のカストレリー卿やバサルスト卿やその他の連中は、今、吾(われ)と言葉を交わしている君ももろともに、いずれも皆、忘却の墓に葬られてしまうだろう。もし、将来において君らの名前を記(しる)す者がいるとすれば、それは君らが吾に対して無礼侮辱(ぶれいぶじょく)を加えたとしてであろう。これに反してナポレオン帝は長く歴史上の花となり――」と憤慨(ふんがい)したごとく、ハドソン・ローエの過酷(かこく)で無情なる圧迫の手はひしひしと帝(てい)の周囲に加えられた。

――実際、ローエはこの偉大なる囚人の看守役たる歴史的名誉をまっとうするの道は、ただもっぱら誅求(ちゅうきゅう)束縛(そくばく)を厳にするの一途(いっと)のみであると考えたかも知れぬ

――しかも、帝(てい)はなお平素(へいそ)、このローエが統治している小領地たるこの谷を思慕(しぼ)して、その最後の病褥(びょうじょく)にあっても、

「余(よ)、もし健康を回復したら、あの泉のほとりに記念碑を建てよう。もしまた、このままに死ねば、あそこに遺骸(いがい)を葬(ほうむ)ってくれ」とまで言われた。

一八二一年五月五日、紆余曲折(うよきょくせつ)の多かった五十二年の生涯を遺伝性の胃がんに終わった帝(てい)の葬儀は、ゼラニウムの谷で、同年五月八日に行われた。

英国の歩兵にかつがれた棺(ひつぎ)の上には、紫色のビロウドと、帝(てい)がマレンゴの決戦で銃弾により穴があいた外套とが置かれた。

追悼(ついとう)し回想して涙に泣き崩れたる女性等を乗せて随行する馬車、馬に乗ったベルトランとモントロンの二人の伯爵、総督ローエおよび提督マルコルム二の両氏、帝(てい)の生前の愛馬などからなる葬列は、島生活の六年間を通じて帝に最も愛撫(あいぶ)された小ナポレオン、ベルトランを先頭に静かに谷へと下っていった。

宗教上の儀式が終わってレンガ工事に着手中、いちじるしく帝(てい)を敬愛していた群衆は、争って帝(てい)が生前に好きだった柳の枝をとって記念にしようとした。この憧憬にもとづく真情の流露(りゅうろ)を見せつけられた総督は、いちじるしく機嫌をそこない、制止するよう厳命を発した。が、群衆の来襲はますますはなはだしくなり、制止の命令も役に立たなかったので、ついに帝(てい)に対する最後の反抗的私憤を示すため、墓に柵をめぐらせ(今も墓の周囲には柵が現存している)、さらに、見張りの哨兵(しょうへい)を配置して人民の墓参を禁ずるに至った。

されど、ぼくは、死後においてなお迫害と陵辱(りょうじょく)から脱することができなかった憐れなる世界最後の偉人に報いるに、

“Si taceant homines, facient te sidera notum, sol nescit comitis immemor ease sui”
(人が沈黙を守れば、星、なんじの名を輝かす。彼の輝ける太陽は永劫にその友を忘れない)というエピグラムを以てしよう。


セントヘレナ島での滞在記は今回で終了し、次回からは、セントヘレナを出発して南大西洋、インド洋、太平洋を進む帰途の航海となります

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現代語訳『海のロマンス』101:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第101回)

ああ、ボナパルト将軍

L'impératriceMarie-Louise
ナポレオン夫人、マリー・ルイーズ皇后の肖像画(ルーブル美術館蔵)
François Gérard, Public domain, via Wikimedia Commons

一八一五年の八月十一日、愁(うれ)いをおびて静かなるドーバーの海を横切って北の方トーベイの港へと急ぐ英国軍艦ベルロフホン号の後甲板(こうかんぱん)に、新たに悲しき追憶の痛手に悩み、悲憤(ひふん)し懊悩(おうのう)する心持ちを包み隠すことができないまま、希代(きだい)の英雄たる大ナポレオンが立っていた。 続きを読む