スナーク号の航海 (48) - ジャック・ロンドン著

第十章
タイピー

 

東の方にあるウアフカ島は、あっという間にスナーク号に追いついてきた夕方の豪雨でまったく見えなくなった。だが、ぼくらの小さな船はスピンネーカーに南東の貿易風を一杯にはらませて快適に進んだ。ヌクヒバ島の南東端にあるマーチン岬を真横に見るところまで来ると、その先には、コンプトローラ湾が大きく口を開けていた。広い入口には、コロンビア川の鮭釣り船のスプリットスル*1のように、セイル・ロックという岩礁が南東のたたきつけるようなうねりや風に抗して立っていた。
「ありゃ何だ?」と、ぼくは舵を握っているハーマンに聞いた。
「漁船」と、彼はじっくり眺めて答えた。
だが、海図にははっきりと「セイル・ロック」と印がつけてあるのだ。
とはいえ、ぼくらが気にしていたのは、その岩ではなく、陸側に入りこんでいるコンプトローラー湾の方だ。陸に三箇所あるはずの湾曲部を必死で探す。夜明けの薄明りを通して、中央の入江に、内陸に深く入りこんでいる谷の斜面がぼんやり見えた。ぼくらは何度も海図と見比べ、中央の湾曲部の谷こそ、奥まで開けているタイピー渓谷だと判断した。海図には「Taipi(タイピ)」と記入され、それが正しいのだが、ぼくは「Typee(タイピー)」を使いたいし、ずっとタイピーを使うつもりだ。というのも、子供のころにハーマン・メルヴィルの『タイピー(Typee)』を読んで、そこに描かれている世界にずっとあこがれていたからだ*2。いや単なる夢ではなく、そのとき、成長して強くなったら自分もタイピーに行くと思ったのだ。世界には不思議なものがあるという思いは、ぼくの小さな心にしみついていた。そうした不思議に導かれるようにして、ぼくは多くの土地を訪れてきたが、それが色あせてしまうことは決してなかった。長い年月が経過したが、タイピーを忘れてはいなかった。北太平洋での七ヶ月の巡航後にサンフランシスコに戻ってくると、ぼくは機が熟したと思った。ブリッグ型帆船のガリラヤ号がマルケサス諸島に向かうことになっていることを知ったぼくは、この帆船の乗組員に欠員はなかったが、タイピーに行きたい一心で、謙遜しつつも給仕として雇ってもらえませんかと申しこんでみた。マストの前で作業する甲板員としての経験はあるものの、正式な資格は持っていなかったし、といって経歴を誇張するほど世慣れてもいなかったのだ。むろん、ガリラヤ号はマルケサス諸島から先はぼくを乗せないで出帆することになるのだ。というのも、ぼくは島で作品に出てくるファーヤウェイやコリコリの現代版の人間を探すつもりでいたからだ。ぼくがマルケサス諸島で職務を放棄するつもりだと船長は気づいたのではないかと、ぼくは疑っている。給仕の職も満席だったのだろう。いずれにしても、雇ってはもらえなかった。

それから、怒涛のような日々が到来し、いろんな計画を立て、結果も残したし失敗もした。だが、タイピーを忘れたことはなかった。だから今、ここにこうしているのだ。ぼくは靄(もや)に包まれた島の輪郭をじっと眺めていたが、雨が激しくなり、スナーク号はどしゃぶりの中を入江に向かって突っこんでいく。前方の視界が一瞬開けたとき、ちらっと見えたセンティネル・ロックの磁針方位を確認した。長い海岸線に打ち寄せている波も見えたが、それも雨と夜の闇にかき消されてしまった。波が砕けている音を頼りに、すぐに舵をきれるようにして、ぼくらはそのまま前進した。コンパスだけを頼りに進むほかなかったのだ。センティネル・ロックを見落とせば、タイオハエ湾も見落とすことになる。そうなったら、スナーク号を風上に向けた状態で一晩ずっと漂白するしかなくない。広大な太平洋を六十日もかけて航海してきて疲れきっている船乗りにとって、陸地に飢え、果物に飢え、長年のあこがれであるタイピー渓谷を見てみたいと切望している船乗りにとって、もう一晩、船にいなければならないというのは、あまり歓迎すべきことではない。

と、いきなり、怒号のような音とともに、雨の中から真正面にセンティネル・ロックが出現した。ぼくらは進路を変えた。メインセイルとスピンネーカーが風をはらみ、速度があがった。この岩礁の風下までくると風が落ち、無風になり、うねりだけが残った。それからまた、風がタイオハエ湾の方から吹いてきた。スピンネーカーを取りこみ、ミズンセイルを上げたが、ほぼ正面からの風で、詰め開きで少しずつ前進していった。測深鉛を投げて水深を測りながら、いまは廃墟となった砦に設置されている赤い灯火が見えないか探した。それが泊地への道しるべになるのだ。風は弱く、気まぐれだった。東風かと思えば西風になり、北から吹いたと思えば南から吹いたりした。どっちの舷側からも、目には見えないが海岸の岩に打ちつける波の音が聞こえた。ぼんやりと崖が見えるようになり、野生の山羊の鳴く声も聞こえてきた。おんぼろ汽車が通過するようにスコールが通り過ぎてしまうころには、ぼんやりと星も見えはじめた。二時間後、さらに一海里ほど湾に入ったところで、ぼくらは投錨した。水深は十一尋(ひろ、約二十メートル)*3。ついにタイオハエに到着したのだ。

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草ぶきの家々
[訳注]
*1: スプリットスル=スプリット(斜檣)+スル(セイル、帆)。スナーク号では船首から突き出したバウスプリットから張っている帆。

*2: ハーマン・メルヴィルは海洋文学の傑作『白鯨』の作者。近年は海洋物以外の多彩な作品群でも再評価がなされている。捕鯨船に乗り組んだことがあり、船乗り時代の体験を元にマルケサス諸島を舞台にした『タイピー』を出版したのは白鯨を発表する前年で、これが処女作になった。時代は異なるが、ジャック・ロンドンとは共通点が多く、彼の愛読書だった。

*3: 尋(ひろ、fathom)は水深を測る単位。一尋は6フィート(約1.8メートル)。11尋は約二十メートル。

スナーク号の航海 (47) - ジャック・ロンドン著

ぼくらは東へと進み、赤道無風帯を通過して南下し、南西からのいい風を捕まえた。この風では詰め開きで風上に向かえば、はるか西にあるマルケサス諸島にもたどりつけるだろう。だが、翌十一月二十六日、火曜日、すごいスコールが襲来し、風がいきなり南東に変化した。ついに貿易風に出会ったのだ。それからはスコールも無風地帯もなく、好天に恵まれ、いい風も吹いてくれた。速度計も元気よく回転していた。シートをゆるめて、スピンネーカーとメインセールを両舷に展開したが、よく風を受けてはらんでくれた。貿易風はどんどん後ろにまわり、北東から吹いてくるまでになった。その間、ぼくらは安定して南西へと進んだ。こういう状態が十日続いた。そうして十二月六日の午前五時、真っ正面の「あるはずのところにある」陸地を見たのだ。ウアフカ島の風下を通ってヌクヒバ島の南端をかわした。その夜、激しいスコールに見舞われ、墨を流したような闇夜になったが、狭いタイオハエ湾にあるはずの泊地へと進路を探りながら進んだ。錨を投下すると、崖の上の野生の山羊が一斉に鳴き出した。強い花の香りがただよってきた。太平洋を横断しつつ南下するこの長い航海がやっと終わったのだ。ハワイを出発して到着するまで、この人の気配のない海を横断するのに六十日かかった。水平線から他の船の帆が見えるということはまったくなかった。
訳注
マルケサス諸島は現在はマルキーズ諸島と呼ばれることもありますが、タヒチを代表とする広い意味のフランス領ポリネシアに含まれる群島です。最大の島がヌクヒバ島で、ここは海洋文学の白眉ともいえる『白鯨』の作者として知られ、近年その多面性が再評価されているハーマン・メルヴィルの『タイピー』という作品の舞台にもなっていて、その作品を愛読していたジャック・ロンドンはこの島に来るのが夢だったのです。

第九章は今回で終了し、次回から第十章になります。このヌクヒバ島での体験が語られていきますが、ジャック・ロンドンのことなので、観光ガイドとは違った一筋縄ではいかない展開になりそうです。

スナーク号の航海 (46) - ジャック・ロンドン著

食料貯蔵庫に追加したもので最も歓迎されたのはアオウミガメだ。重さは優に百ポンド(約四十五キロ)はあり、ステーキにしてもスープやシチューにしても、テーブルに並ぶと食欲を刺激してくれた。最後には絶品のカレーになったが、全員が飯を食いすぎてしまったほどだ。このウミガメは船の風上にいた。大きなシイラの群れに囲まれた海面で眠っているようにのんびり浮かんでいた。一番近い島からでも一千海里は離れている大海原での話だ。ぼくらはスナーク号の向きを変え、ウミガメのところへ戻った。ハーマンが銛(もり)を頭と首に打ちこんだ。船上に引き上げると、無数のコバンザメが甲羅にしがみついていた。カメの足が出ているくぼみから大きなカニが何匹かはい出てきた。ウミガメを見つけたら即座にスナーク号を差し向けて捕獲することで、すぐに全員の意見が一致した。

とはいえ、大海原の王様たる魚といえばシイラだ。シイラほど体色が変化するものはない。海で泳いでいるときは上品な淡い青色がかっているが、体色の変化で奇跡を見せてくれる。この魚の色の変化に匹敵するものは何もない。あるときは緑系の色――ペール・グリーン、ディープグリーン、蛍光グリーンに見えるし、あるときは青系の色――ディープ・ブルー、エレクトリック・ブルーなど青系のすべての波長の色になることもある。釣り針にかかると、ゴールドから黄色味が増し、やがて全身が完全な金色になる。甲板に上げると、波長を変えながら、ありえないほどの青系、緑系、黄系の色へと変化しつつ、と、いきなり幽霊のように白っぽくなる。体の中央に明るいブルーの点があり、それがマスのような斑点に見えてくる。その後、白からすべての色を再現しつつ、最終的には真珠母のような光沢のある色になるのだ。

シイラは釣りが好きな人におすすめだ。釣りの対象としてこれほどすばらしい魚はいない。むろん、リールと竿に細い糸が必要だ。それにオショーネシーの七番のターポンフックを結び、餌としてトビウオを丸ごとつける。カツオと同様に、シイラの餌はトビウオだ。稲妻のように襲いかかってくる。まずリールが悲鳴のような音を立て、糸が煙を出しながら船と直角の方向に出ていくのが見えるだろう。糸が足りるかなと長さを心配するまでもなく、何度か続けて空中にジャンプする。四フィートはあるのがはっきりするので、船に引き上げるまで最高のゲームフィッシングが堪能できる。針にかかると、必ず金色に変色する。一連のジャンプは針を外そうとするためだが、跳ね上がるたびに去勢されていない雄の馬のように金色に輝く体をくねらせる、釣った方としては、これほどきらびやかな魚を見れば心臓がどきどきするし、そうならないとすれば、君の心は鉄でできているか心がすり切れているにちがいない。糸をゆるませるな! ゆるんでしまうと、跳ねたときに針が外れて二十フィート先で逃げてしまう。ゆるめるな。そうすれば、やつはまた海中を走り、ジャンプを続けることになるだろう。なおも糸が全部出てしまうのではないかと不安になるだろう。リールに六百フィートの糸を巻いていたが、九百フィート巻いていたらなと思い始めるわけだ。糸が切れないよう細心の注意を払って魚を操っていれば、一時間もの大興奮のはてに、この魚をギャフに引っかけることができる。そんな風にしてスナーク号の船上に引き上げたやつを測ると四フィート七インチ(約百四十センチ)もあった。

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四フィート七インチもあるシイラ

ハーマンの釣り方はもっと散文的だ。竿を使わず手に糸を持ち、サメの肉を使うだけだ。糸は太いが、それでも切れてバラすことがある。ある日、一匹のシイラがハーマン自作のルアーをくわえたまま逃げたことがある。ルアーにはオショーネシーの針が四本もつけてあった。一時間もしないうちに、その同じシイラが別の釣り竿にかかったのだが、四本の針はついたままだったので無事に回収できた。シイラはひと月以上もスナーク号の周囲にいたが、それ以降は姿を消した。

そうやって日がすぎていった。することがたくさんあったので、退屈はしなかった。することがないときは海の景色や雲を眺めていたが、これがまたすばらしくてまったく飽きなかった。夜明けは、ほぼ天頂まで弧を描いている虹の下から昇ってくる太陽は燃えているように荘厳だったし、日没では、天頂までの青い空を背景に、太陽がバラ色の光に包まれた川を残しつつ紫色の海に沈んでいった。反対側では、昼間は日光が海の深いところまで射しこんでいるため青く穏やかで、波一つなかった。後方では、風があるときには白っぽいトルコ石のような泡だつ航跡ができていた――スナーク号が波を乗りこえて上下するたびに船体が作り出す引き波だ。夜には、この航跡は夜光虫で輝いた。クラゲのようなプランクトンがスナーク号が通った跡を示しているのだ。彗星のように長く波うつ星雲の尻尾がずっと観察できたが、海面下でカツオが通過したためにかきまわされて興奮した無数の夜光虫が発光しているのだ*1。また、スナーク号のいずれの側でも、海面下の闇の中で、さらに大きなリン光を発する生命体が電球のように点滅していた。これは、そんなことには無頓着なカツオがスナーク号のバウスプリットの鼻先で獲物を捕らえようとしてプランクトンと衝突して発光させているのだった。
訳注
*1: いわゆる夜光虫は海洋性プランクトンで、刺激に反応して発光する(ルシフェリン-ルシフェラーゼ反応)。夜の海に青白く光る夜光虫はロマンチックだが、これが大発生すると赤潮として漁業に被害がでることもある。

スナーク号の航海(45)- ジャック・ロンドン著

とはいえ、その夜に雨が降った。水が少ないと思うとかえって喉の渇きを強く感じるものだが、自分の割当分の水をすぐに飲んでしまっていたマーチンは、天幕(オーニング)の下縁で大口をあけ、これまで見たことがない勢いで雨水をがぶ飲みしていた。貴重な水がバケツや桶を満たし、二時間もすると、百二十ガロンもの水が蓄えられた。奇妙なことに、それからマスケサス諸島までの航海ではずっと降雨はなかった。あのスコールがなかったらポンプは施錠したままで、残っているガソリンを燃やして蒸留水を作るしかなかっただろう。

魚も釣った。魚を探す必要はなかった。船の周囲にいくらでもいたからだ。三インチの鋼の釣り針を頑丈なロープの端に結び、白い布きれを餌代わりにつけておくと、それだけで十ポンドから二十五ポンドの重さのカツオが釣れた。カツオはトビウオを餌にしていて、うまそうに見える布きれに針がついているとは思いもしないのだろう。引きも強烈で、針にかかると、釣った本人があっけにとられるくらいの勢いで走りだす。おまけに、カツオは獰猛な肉食系の魚らしく、一匹がかかった瞬間、仲間のカツオがそいつに襲いかかるのだ。船上に吊り上げられたカツオには茶碗ほどの大きさの食いちぎられた跡があったことも一度や二度ではなかった。

何千匹ものカツオの群れが昼夜を問わず三週間以上も船についてきた。スナーク号のおかげで、すばらしい漁を堪能できた。やつらは海上を半海里ほどの幅で千五百海里もの距離を帯状についてきた。カツオはスナーク号の両舷に並行して泳ぎながらトビウオに襲いかかった。なんとかかわして空中を飛翔しているトビウオを後方から追跡し、スナーク号を追いこしていく。後方には、砕け波の前の海面下をゆっくり泳いでいる無数の銀色の魚影が見えた。カツオたちは満腹になると船や帆の陰に入ってのんびり泳ぎながら、ほてった体を冷やしているのだ。

とはいえ、かわいそうなのはトビウオだ! カツオやシイラに追いかけられ、生きたまま食われてしまうので、空中に飛び出すしかない。が、そこでも海鳥に急襲されて海に戻るはめになる。この世界に気の休まるところはないのだ。トビウオが空中を飛翔するのは、別に遊んでいるわけじゃない。生死がかかっている。ぼくらは一日に何千回も顔を上げては、そこで演じられている悲劇を目撃した。一羽の海鳥が旋回している。下を見ると、イルカが背びれを海面につき出して突進していく。その鼻先には海中から空中に飛び出したばかりの、糸を引く銀色の筋が見える。今にも息づかいが聞こえそうだ――パニック、本能の指示、生存の欲求にかられた、きらきらした精妙な有機体の飛翔。海鳥が一匹のトビウオをとらえそこなった。すると、そのトビウオはまた凧(たこ)のように向かい風を受けて高度を上げ、半円を描きながら風下の方へと滑空していく。その下では、シイラが通った跡が泡だっている。シイラは頭上の餌を追跡しながら、大きな目で、朝食となるはずの自分以外の生命体が流れるように滑空していくのをじっと凝視している。シイラはそこまで高く飛び上がれないが、そのトビウオが海鳥に食われなければ遅かれ早かれ海に戻るしかないことをこれまでの経験から知っているのだ。そうなれば――朝食にありつける。ぼくらはこの哀れな翼を持った魚に同情した。これほど欲望がむきだしの血にまみれた大量殺戮を見るのは悲しかった。それからも、夜に当直をしていると、あわれでちっぽけなトビウオがメインセールに当たって落下してきたりした。甲板で跳ねていたりすると、ぼくらはすぐに拾い上げ、シイラやカツオのようにむさぼり食った。朝食だ。トビウオはとてもうまいのだ。こんなうまい肉を食べている捕食魚の体がこれほどうまい肉にならないのか不思議でならない。おそらく、シイラやカツオは餌を捕えるためにものすごいスピードで泳ぐので筋繊維が粗いのだろう。とはいえ、トビウオも高速で移動しているのではあるが。

細いロープに鎖のサルカンと大きな釣り針の仕掛けには、ときどきサメがかかった。サメは水先案内をしてくれるし、邪魔になったりもするが、いろんな形で船を利用しようとする生き物でもある。サメには人食いザメとしておなじみのやつが何種類かいるが、トラのような目に十二列のカミソリのように鋭い歯を持っている。ところで、ぼくらはスナーク号ではたくさんの魚を食べたが、焼いてトマト・ドレッシングにつけこんだサメの肉に比肩できるものはないという点で、ぼくらの意見は一致していた。凪(なぎ)のときには、日本人のコックが「はけ」と呼ぶ魚を釣った。また、スプーンで作った針を百ヤードほどの糸につけてトローリングしていると、長さ三フィート以上で直径三インチほどのヘビのような魚が釣れたこともある。アゴには四本の牙があった。ぼくらが船上で食べたうちでは、こいつが最高にうまかった――肉も香りもすばらしかった。