スナーク号の航海(5) ジャック・ロンドン著

ぼくらは(川や運河などの)内水面でもたくさんのことをするつもりだ。スナーク号は小さいので、それも可能だろう。内水面では、マストを倒し、エンジンで進む。中国には多くの運河があるし、揚子江もある。政府の許可が得られたら、そこで何カ月かすごすことになる。この政府の許可というやつが、内水面の航海で障害になるんだけどね。とはいえ、許可が得られれば、内水面の航海に限界はほとんどあるまい。

ナイル川までやって来れば、そこから上流に向かわないって法はないだろう。ドナウ川をウィーンまで遡(さかのぼ)り、テムズ川を遡ってロンドンまで行き、セーヌ川ではパリまで遡っていくのだ。そうして、カルチェラタンの対岸にもやいを取る。舳先のロープの先にはノートルダム寺院、船尾のロープの先には死体安置所があるってわけだ。地中海からローヌ川を遡ってリヨンまで行き、ソーヌ川に入り、ブルゴーニュ運河を通ってローヌ川からマルヌへ行く。マルヌからセーヌ川に入ってル・アーブルでセーヌ川を抜ける。大西洋を横断して合衆国に着いたら、ハドソン川を遡り、エリー運河を通って五大湖を渡り、シカゴでミシガン湖を離れてイリノイ川や通じている運河を経由してミシシッピ川に出て、ミシシッピ川を下ってメキシコ湾まで。そこまで行けば、今度は南米大陸の大河がある。カリフォルニアに戻るころには、地理について、ちっとは詳しくなっているだろうよ。

家を建てる人はやっかいな問題に四苦八苦することが多いらしいね。だが、彼らがそうした試練を楽しんでいるというのであれば、ぼくは連中にスナーク号みたいな船を建造したらどうだと助言したいね。やっかいな問題ってやつを、ちょっとでも具体的に考えてみようか。エンジンを例にとると、最適なエンジンの種類は──2サイクルか、3サイクルか、それとも4サイクルがいいのか? ぼくの舌はいろんな耳慣れない専門用語でもつれるし、知らないことだらけでわけがわからなくなる。点火方法なんて考え始めたら、岩だらけの土地を旅しているみたいに足は痛いし、疲れきってしまう。開閉式がいいのか火花式がいいのか? 乾電池がいいのか蓄電池を使うべきか? 蓄電池はよさそうだが発電機も必要になる。発電機の出力はどれくらいがいいのか? 発電機と蓄電池を取りつけたのに船の照明を電気にしないのはおかしい。というわけで、照明の数とローソクの本数でまた議論だ。電灯というのはすばらしい考えだが、電灯を使えば、蓄電池も容量の大きいのが必要になるだろう。となると今度はもっと大きな発電機が必要になる、といった具合だ。

ここまで話が進むと、サーチライトもいるんじゃないかということになる。ものすごく役に立つだろう。だが、サーチライトは電気を大食いするので、それを使う間は他の照明はすべて消すことになるだろう。となれば、蓄電池と発電機の出力をもっと大きくするために苦労することになる。ともかくも問題に決着がついたところで、「エンジンが壊れたときはどうする?」と誰かが聞くのだ。そこで、ぼくらはひっくり返ってしまう。側灯や羅針儀用の照明、停泊灯もある。ぼくらの命はそれにかかっている。となると、すべてに対して石油ランプも装備せざるをえないということになるよな。

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[スナーク号の骨組み]

スナーク号の航海 (4) ジャック・ロンドン著

スナーク号の航海にはもう一つの側面もある。ぼくは生きているうちに世界を見てみたいし、一つの小さな町や村より大きな世界を見ておくべきだろう。ぼくらはどんな航海にするかほとんど何も決めていなかった。絶対なのは一つだけで、それは最初の寄港地をホノルルにするということだ。一般的なプランはいくつかあったが、ハワイの次の寄港地については何も考えていなかった。近づいたら決めようって感じだ。要するに、南の海、つまりサモアとかニュージーランド、タスマニア、オーストラリア、ニューギニア、ボルネオ、スマトラなんかを巡って、フィリピン経由で日本まで北上する。それから韓国、中国、インド、紅海、地中海。その後の航海はばくぜんとしていて説明できないが、やりたいことはたくさんあって、ヨーロッパでは国ごとに一カ月から数カ月過ごそうと思っている。

スナーク号は帆走させるよ。ガソリンエンジンは搭載するが、潮流が速いところで風が急にやんだとか、暗礁や浅瀬みたいな危険な海域での緊急用だな。スナーク号の艤装はいわゆる「ケッチ」だ。ケッチはヨールとスクーナーを足して二で割ったようなやつだ。最近はヨール型がクルージングには最高だと証明されている。ケッチはヨール型のクルージングの長所を持っているし、それに加えて、スクーナーの帆走の長所もなんとか取り入れている。こういったことは割り引いて考えなければならない。全部、ぼくの頭で考えたことだからね。ぼくはこれまでケッチで帆走したこともないし、見たことすらない。この理論は、ぼくにはいいと思えるってことだ。海に出るまで待ってくれれば、ケッチでのクルージングと帆走についてもっと話ができるようになると思うよ。

当初の計画では、スナーク号の長さは水船長で四十フィート(約十二メートル)だった。だが、それでは浴室のスペースがとれないので、四十五フィート(約十三・五メートル)にしたのだ。最大幅は十五フィート(約五メートル)。ドッグハウスもホールドもない。船室の高さは六フィート(約一・八メートル)で、デッキは二つのコンパニオンウェイとハッチ一個を別にすれば連続している。デッキの強度を損なうドッグハウスがないという事実は、外洋で何トンもの海水が音を立てて船上にたたきつけることを思えば、気が少しは安まるんじゃないか。大きくて広々としたコクピットはデッキより低い位置にあり、高い手すりで囲まれ、自動的に排水されるようになっているので、昼夜を問わず荒天が続いても快適だろう。

クルーはいない予定だ。というか、むしろチャーミアンとロスコーとぼくがクルーだ。ぼくらは全部自分たちでやるつもりだ。自分の手で地球をぐるっと一周してやろうと思っている。帆走させるにせよ沈没させるにせよ、自分たちでやってみようというわけだ。むろん、コックと給仕係は雇うことになる。火を使って料理したり皿を洗ったりテーブルを整えたりするのはごめんだね。そんなことがしたいんだったら、陸にいたっていいわけだから。それに、ぼくらは見張りにも立たなけりゃならないし操船もしなきゃならない。おまけに、ぼくは食うために、新しい帆や艤装品を買うために、さらにスナーク号が効率よく動いてくれるように整備が欠かせないので、資金稼ぎに原稿も書かなきゃならない。おまけに牧場もある。ブドウ園、果樹園、生垣も育てていかなければならない。

浴室を確保するためスナーク号の全長を長くしたとき、浴室だけでそれだけのスペースは必要ないとわかった。それでエンジンを大きくした。七十馬力だ。これで九ノットで進めるだろうと期待できるので、流れが速くて手に負えないところはないんじゃないかな。

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[写真:スナーク号の建造の様子]

訳注
ヨットの船型について
 ヨール、ケッチ、スクーナーはいずれの比較的小型の二本マストのヨットの艤装(スクーナーは三本の場合もある)。
 ヨールとケッチは後ろのマスト(ミズンマスト)が低く、スクーナーは前のマストが低い。ヨールとケッチは形が似ているが、ミズンマストの位置が舵軸の前にある(ケッチ)か、後(船尾)にある(ヨール)かで区別する。
 ちなみに、小型ヨットで初めて世界一周したジョシュア・スローカムのスプレー号(全長三十七フィート)は出港時は一本マストのスループだったが、航海の途中でミズンマストを船尾に追加してヨール型に改造された。

スナーク号の航海 (3) ジャック・ロンドン著

生きているというのは、それだけで成功した生活であり、成功とはその程度の鼻息のようなものだ。むずかしいことをやり遂げるというのは、厳しく大変な努力が必要とされる環境でうまく調整できたということだし、それが困難であればあるほど、成し遂げたときの満足感は大きくなる。要するに、成功とは、プールの上に突きだした飛び板から前方に飛び出して、体を後方に半回転ひねって頭から水中に飛びこむ者に与えられるものなのだ。いったん飛び板から離れてしまえば、環境はすぐに攻撃し厳しい罰を与えようとしてくるし、失敗すれば水面にたたきつけられてしまう。むろん、誰だってそんな罰を受けるようなリスクをおかす必要はない。揺れない地面の上で、夏の日差しを受けながら、快適で穏やかな環境の岸辺にいることはできる。飛び板から飛びこむ男は、しかし、そんな風に作られてはいないというだけのことである。空中ですばやく体をひねりながら、岸辺にいては体験できない瞬間を生きるということなのだ。

ぼく自身について言えば、土手に座って飛びこむ者を眺めているよりは、自分自身が飛びこむ側の人間でいたい。それがスナーク号を建造した理由だ。ぼくはそういう男なのだ。要するに、好きだから、というに尽きる。世界を周航するのは人生で大きな意味を持つ瞬間である。その瞬間をぼくにつきあって目撃してほしい。ここにいるぼくは、ヒトと呼ばれるちっぽけな動物にすぎない――ちょっとだけ元気があり、肉や血液、神経、腱、骨、脳で百六十七ポンド(約七十五キロ)の重さがあり、全身が柔らかくて敏感で傷つきやすく、誤りをおかすこともあるし壊れやすくもある存在である。ぼくが暴れ馬の鼻先を軽く手の甲で打ったりすれば、手の骨が折れてしまう。水中に五分間ももぐっていれば、おぼれてしまう。空中を二十フィート(約六メートル)も落下すると体がこわれてしまう。ぼくは体温のある生き物なので、ちょっと寒くなると、指や耳やつま先は凍傷で黒ずんで落ちてしまう。ちょっと高くなると、こんどは皮膚に水ぶくれができ、肉はけいれんし、皮がむけてしなびてしまう。さらに、もっと寒くなるか暑くなると、ぼくの生命と光は消えてしまう。ヘビにかまれて、ほんの一滴の毒が体内に入っただけで、ぼくは動けなくなる──永遠に動けなくなってしまう。ライフルの鉛の弾が頭に撃ちこまれれば、永遠の闇に包みこまれてしまう。

誤りをまぬがれることができず、こわれやすく、少し脈打っているゼリー状の生命──それが、ぼくのすべてだ。ぼく自身について言えば、偉大な自然の力というやつは──巨大な脅威、破壊という名のタイタンであり、ぼくが自分の足元で押しつぶしている砂粒ほどにも、ぼくに対して関心を抱かず、感傷的にならない怪物、破壊者たるギリシャ神話の巨神族なのだ。やつらはぼくにはまったく関心がないし、知りもしない。無意識で、無常で、モラルもない。サイクロンだったり、竜巻や雷光、豪雨であったり、潮汐による激流、津波、引き波、海上の竜巻、荒海、引き潮、渦巻きであったり、地震や火山、岩場の海岸に轟音とともに寄せてくる波であり、海に浮いている最大の船も乗りこえていく波であって人間など押しつぶすか海に押し流して死なせてしまう──こうした無慈悲な怪物どもは、人にはジャック・ロンドンと呼ばれ、自分では元気で優秀だと思いこんでいる、神経過敏で弱く、ちっぽけで傷つきやすい生き物のことなんか知っちゃいないのだ。

このような巨大で風が吹き荒れるタイタンの衝突する迷宮や大混乱の中を、警戒しながら通り抜けていくのがぼくなのだ。ぼくというちっぽけな生命体は、それに大喜びするのだ。ぼくという小さな生命は、巨神族を当惑させるか自分の役に立たせることに成功する限りは、自分が神になったような気がするし、嵐をものともせず神のように感じるのは快感である。脈を打ち限りある生命体にとって、自分を神のように感じるのは、あえて言わせてもらえば、神が自分を神だと感じているよりはるかに痛快なことなのだ。

スナーク号の航海(2)  ジャック・ロンドン著

突き詰めて言えば「好きだから」だ。これは信条のさらに奥に秘められていて、生活のかなめに編みこまれている。この信条という名目で、人は何をすべきかについて時間をかけてもっともらしく語るのだが、要するにそれは「好きだから」に帰着し、信条は消えてしまう。「好きだから」酒飲みは酒を飲むのだし、殉教者は毛のシャツを着て罰を受けるのだ。つまり、それが人を酒飲みにしたり世捨て人にしたりすることになる。人は「好きだから」名声を追い求めたり、金を探したり、愛や別の神を求めたりするので、信条とは、多くの場合、その人の「好み」を説明する方便にすぎない。

とはいえ、スナーク号の話に戻して、ぼくがスナーク号で世界を見てまわる旅をしたいと思う理由に関して言えば、自分が好きかどうかにかかっていて、それが自分にとっての価値を決めるのだ。ぼくが一番好きなのは、個人的な成功というやつだ――世間から喝采を受けるような成功ではないが、自分自身の喜びのために何かを達成するということ。昔から言われている「やった! やった! 自分の手でやったんだぜ!」というやつだ。とはいえ、ぼくに関する個人的な成功は具体的なものじゃなければならない。ぼくは偉大なアメリカ小説を書くことよりも、プールで競って勝ったり、振り落とそうとする暴れ馬を乗りこなしたりしたいのだ。誰にもそれぞれ好きなことがあるだろう。ぼくとは反対に水中で競って勝ったり馬を乗りこなすことより、偉大なアメリカ小説を書く方を選ぶ者もいるだろう。

ぼくの人生で最も誇らしい成功、つまり自分の人生で最高の瞬間は、ぼくが十七のときに起きた。ぼくは日本近海で三本マストのスクーナーに乗っていた。台風にみまわれ、全員がデッキに出て、ほぼ徹夜で奮闘したのだった。ぼくは朝の七時に寝床から呼び出されて舵を持たされた。帆は一枚も張られていなかった。ベアポールで風下に向かっていたが、スクーナーはかなりのスピードで進んでいた。波と波の間は一海里の八分の一(二百メートル強)もあり、白波の頂点は風に吹き飛ばされ宙を舞ったので、その波しぶきで二つ以上の波の向こうを見通すことができなかった。スクーナーはほとんど手に負えなくなりかけていて、左右に横揺れし、南東と南西の間で不安定に向きを変えていた。大波に船尾が持ち上げられたとき、ブローチングしそうになった。ブローチングして横倒しになっていたら、船は乗員もろとも行方不明となり「消息なし」と報告されていただろう。

ぼくは舵輪をつかんだ。航海士は少し離れてぼくを見ていた。彼はぼくが若すぎると思っていて、嵐に耐える強さや神経を持ち合わせていないのでないかと恐れていた。だが、ぼくがスクーナーをうまく操っているのを見て、しばらくしてから朝食を食べに下に降りていった。船首でも船尾でも、いまでは全員がデッキの下に降りて朝食をとっていた。船が横倒しになれば、連中は一人残らずデッキまで出てくることもできないだろう。四十分間、ぼくは一人で舵をとっていた。海に翻弄されるスクーナーと二十二名の男の命が、自分の手にかかっていた。一度、船尾に大波が当たった。その波が迫ってくるのが見えた。何トンもの海水が流れこみ、ぼくを押しつぶそうとした。ぼくは半分おぼれかけ、スクーナーも横倒しになりかけた。一時間後にやっと解放されたが、汗びっしょりで疲れ果てていた。だが、自分はやったのだ! 自分の手で舵を握って対処し、何百トンもある木と鉄の船をあやつって数百万トンもの風と波をくぐり抜けたのだ。

そのときの喜びは、二十二人の男達がぼくのやったことを知っていたという事実にではなく――自分がそれをやってのけたというところにあった。当時の仲間の半分以上はもう死んだり所在不明になっているが、自分がやってのけたことに対する誇りは半分も色あせていない。とはいえ、ここで正直に告白すると、自分のやったことを知っている人が少しはいてほしいとは思う。その少数の知っている人は、ぼくのことが好きで、ぼくの方も好きでなければならない。個人的な成功をおさめると、ぼくは仲間の自分に対する愛情は当然だと感じる。だが、これはやってのけたこと自体から得られる喜びとはまったく別である。この喜びは自分自身のものであり、目撃者がいるか否かは関係ない。ぼくは自分がそんなことをやれたときには得意満面になる。栄光に包まれるのだ。自分自身に誇りを持っていることが自分でもわかる。これは自然な感情だ。ぼくという存在を作りあげている細胞すべてが、そのことにぞくぞくするほど感激している。これはきわめて自然なことだし、単に環境にうまく適応できたという満足感の問題でもある。ぼくのいう成功とはそういうことだ。
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訳注
*1 ベアポール: ヨットや帆船での荒天対策の1つで、帆をすべて下ろしてしまうこと。この状態でも、マストに受ける風圧だけで風下に流されていく。

*2 ブローチング: 荒天で風下に向けて進んでいるときに、舵がきかなくなり、船が急激に風上方向に切り上がること。そのまま横倒しになることもある。
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スナーク号の航海(1)  ジャック・ロンドン著

スナーク号の航海
The Cruise of the Snark

ジャック・ロンドン著
Jack London

明瀬和弘訳

Dover edition, first published in 2000
底本:1919年に刊行されたMacmillan版の完全復刻版であるDover版(2000年)

チャーミアンに捧ぐ

入港時も出港時も、航海中も
昼夜をわかたず舵を握り、
非常時には舵を離さず、
二年間の航海を終えると涙した
スナーク号の航海士

「君は外洋に吹きすさぶ風の音を聞いた
そして、大海原にたたきつける雨音も
その歌を聴いた――なんと長く! なんと長く続いたことか!
また出かけようぜ!」

第一章

まえがき

  そもそもは、グレン・エレンのプールで始まったのだ。泳ぐ合間に、水から出て砂の上にねそべり、肌にあたたかな大気を呼吸させ日光をあびるというのが、ぼくらの習慣だった。ロスコーはヨット乗りだった。ぼくにも多少は船の経験があった。となれば、船について語り合うのは必然だ。小型艇や小型艇の耐航性について論じ、スローカム船長やスプレー号での彼の三年間の航海について話し合ったものだ。

ぼくらは長さが四十フィート(約十二メートル)の小さな船で世界を周航するのもこわくないと言い張った。さらに、やってみたいよなとも言い合った。結局、これ以上にやりたいことは、この世にないという話になった。

「やろうぜ」と、ぼくらは言った……冗談半分にだ。
それから、ぼくはそっとチャーミアンに、本気かと聞いたのだが、最高じゃないの、という返事が戻ってきた。

次にプール脇で砂に寝そべって肌を焼いているとき、ぼくは「やろうぜ」とロスコーに言った。

ぼくは本気だったし、彼もそうだった。というのも、やつの返事は「出発はいつにする?」だったからだ。

ぼくは牧場に家を建てているところだったし、果樹園やぶどう園も作るつもりだった。生け垣も植栽しなければならないし、やるべきことは山ほどあった。だから、四、五年のうちには出発しようと思っていたのだが、それ以来、この冒険のことが頭から離れなくなってしまった。どうして、すぐに出発しないのか? ぼくらはもう若くはない。ぼくらがいない間、果樹園やぶどう園や生け垣はそのまま育つにまかせておけばいい。戻ってきてからやっても十分だし、家を建てるまでの間は納屋に住んだっていいわけだ。

というわけで、この航海は本決まりになり、スナーク号の建造を開始した。スナーク号と命名したのは、他に思いつかなかったからだ――この名前にはどこか謎めいたところがあると思ってくれる人のために、ここで正直に言っておく。

友人たちは、ぼくらがなぜそんな航海をするのか理解できないでいる。連中は身震いし、なげき、手を振り上げる。ぼくらにとってはそれが自然なのだということを連中に説明しても無駄だった。ぼくらにとって、乾いた大地の上でじっとしているより小さな船で海に出て行く方が簡単なのだ。連中にとっては、小さな船で海に出るくらいなら乾いた大地の上にじっとしていた方が楽なように。こういう精神状態は、自我が強すぎるためだ。自分自身の価値観から距離をおいてみることができない。自分にとって一番抵抗のないことが必ずしも他の連中すべてにとっても抵抗が少ないわけじゃない、とわかるほどには自我を捨てられないのだ。連中には連中に見あった欲望や好き嫌いの基準があり、その基準で自分以外の者すべての欲望や好き嫌いを判断する。これは不公平だ。ぼくは連中にそう言った。しかし、連中は自分の自我に固執し、ぼくの言うことに耳を傾けてくれはしない。連中はぼくのことを頭がいかれていると思っている。お返しに、ぼくは連中を哀れんいる。ぼくにとっては、いつものことだ。だれだって、自分と意見が違う者の考え方はどこかおかしいと思いこみがちじゃないか。