スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (5)

ロイヤル・スポーツ・ノーティーク

ラーケンの近くで雨がやんだ。だが、すでに日が沈み寒かった。ぼくら二人はずぶ濡れで、しかも厄介な問題に直面していた。アレ・ヴェルトのはずれに近く、いよいよブリュッセルに入ろうかというところまで来ていたのだが、運河を航行する船が水門で列をなして待機しているのだった。上陸しやすそうな場所はなかったし、夜にカヌーを置いたままにできる馬小屋のようなものもなかった。ともかく、なんとか上陸して居酒屋に入ってみた。何人かのパッとしない客が主人を相手に飲んでいた。主人はぼくらには無愛想で、馬車置き場や馬小屋のようなものが近くにあるのか知らなかった。ぼくらが飲みにきたのではないとわかると、追い出したくてたまらない様子だった。客の一人が助け舟を出してくれた。どこかこの付近の端っこに船を着けられる場所があり、他にも何かあるようだと教えてくれた。その話はばくぜんとしていたが、それを聞いたぼくらは、自分たちに都合のよいように解釈した。

確かに水門付近の隅に船を着ける場所があった。一番高いところにボート競技用の服を着た容姿端麗な男が二人いた。ぼくがアレトゥサ号で近づいて聞くと、一人がここにぼくらのカヌーを置いても何の問題もないと言った。もう一人は口からタバコを抜きとり、そのカヌーはサール&サン社製かいと尋ねた。この名前をきっかけに、ぼくらは互いに同類だとわかった。他にも五、六人がロイヤル・スポーツ・ノーティーク*1という看板があるボートハウスから出てきて話に加わった。彼らはとても礼儀正しく、おしゃべりで、熱心だった。会話には英語のボート用語がまじり、イギリスのボート・ビルダーやクラブの名前も出てきた。恥ずかしいことに、ぼくは自分の母国で自分がここにいるのと同じ数の人々に暖かく迎えられる場所はないのではないかと思う。ぼくらがイギリスのボート乗りだというだけで、ベルギーのボート乗りたちは歓迎してくれたが、迫害を逃れて英仏海峡をわたってきたフランスのユグノー教徒*2を、イギリスの新教徒たちはこんなに暖かく迎えてくれたのかなとも思ったりした。とはいえ、どんな宗教も、共通のスポーツほど人々を結びつけることはないのではないだろうか?

ぼくらのカヌーはボートハウスに運び込まれ、クラブの従業員が水洗いしてくれた。帆は干され、すべてが見事に整頓された。一方、ぼくらは知り合ったばかりの同胞に二階へと案内された。同胞というのは、彼らがぼくらをそう呼んだのだが、洗面所も自由に使っていいと言ってくれた。一人は石鹸を、一人はタオルを、三人目と四人目はぼくらが荷物を下ろすのを手伝ってくれた。その間ずっと、質問攻めで、敬意と共感が示されたのだった! こんなありがたいことはなかったと言っておきたい。

「そう、そう。このロイヤル・スポーツ・ノーティークはベルギー最古のクラブなんですよ」

「会員は二百人いるんだ」

「ぼくらは」──ここで引用している発言は、言われた言葉そのままではなく、たくさん話をした後で、ぼくの記憶に残ったものを述べているのだが、彼らは若々しくて率直で愛国心にも満ちていた──「ぼくらはすべてのレースに勝ったんですよ。フランスの連中にだまされたのを除けばね」

「濡れたのは、ここに置いとけば乾くよ」

「なあ兄弟! イギリスのどんなボートハウスでも、ぼくらと同じことをしてくれると思うよ」(そうであってほしいと心から願っている)。

「イギリスでは、シートはスライド式だよね?」

「ぼくらは昼間は商売をやってるけど、夜になれば、こんな感じで真剣に取り組んでいるってわけ」

こうした発言があった。彼らは全員が昼間はベルギーでビジネスに従事していたが、夜は人生にとって大切なことに取り組む時間を確保していた。ぼくは分別というものについて誤った考え方をしているのかもしれないが、これはとても賢い考えだと思う。文学や哲学に関係する人々は手垢にまみれた考えや偽の基準を排除しようと日々懸命になっている。そういう人は、頑固なまでに信念をつらぬき、自分にとって以前の新鮮な人生観を復活させ、自分がもともと本当に好きだったことと必然的に耐えることだけを学んだこととを区別するのが仕事だ。このクラブの連中は心の中で、それを明確に区別できていた。何がすばらしくて何が悪いのか、何が面白くて何が退屈なのかを明確に認識していた。年をとってくると、そんなのは幻想だと言うようになる。中年の悪夢のような勘違い、人の精神から生命を徐々に絞りとろうとする習慣の力は、こうした幸福の星をちりばめた若いベルギー人たちにはまだ影響しはじめていないのだった。彼らはまた、ボート競技に対する自発的で長く続いている愛情に比べれば、自分が仕事に抱いている関心など些事にすぎないと知っていた。世間がそうすべきだというものに疑問を持たず首肯するのではなく、自分が何が好きなのかを知ることが自分の魂を生かし続けることになるのだ、と。そんな人は心も広く、商売の才覚とは違った何かに正直でいられるだろう。友人は自分の意志で選び、個人として共感をもって愛し、友人をその地位の添え物と考えたりはしまい。要するに、自分の本能に従って行動し、神が作りたもうた自分自身の姿を維持し、自分がよくわかりもしない原則に従って大切に思ってもいない目的のため社会という巨大な機関の歯車になっていない人、そんな人たちだ。

*1: ロイヤル・スポーツ・ノーティーク - 1865年に設立されたベルギーでも古参のスポーツクラブ。当初はボート競技が中心だったが、現在は他のスポーツも含めた総合スポーツクラブになっている。

*2: ユグノー教徒 - フランス宗教改革におけるカルビン主義の改革派。十六世紀後半、大量虐殺などの弾圧を受け、イギリスを含む諸外国に亡命した。

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