ヨーロッパをカヌーで旅する 61:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第61回)
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スイスのバーゼルまでは近いので、朝は遅くまで寝て休養をとった。起きると、カヌーを橋の向こうまで運んだ。景色のよい中洲はテラス付きの庭園に作り替えられている。ここでカヌーを水面に浮かべた。この数日というもの、激流を漕ぎくだってきたので、あちこち無数にぶつけたりしている。そういうときの音はとても大きかったので結構な力がかかったと思われるのだが、愛艇はまだ堅牢なままで、とくに大きな問題はなさそうだった。自設計なのでそういう専門家の目で見ても、報告すべき損傷はどこにもなかった。この後の航海でカヌーの船体や板材を酷使し、さらにひどい目に会うことになるのだが、それはまだ先の話だ。

この日の出発では、大勢の女性たちが見送りにきてくれた。女たちは日傘を振り、男たちは万歳と叫んだり喝采したりしてくれた! カヌーは滑るように川を下っていく。「別れの会釈」代わりに、カヌーからは黄色のパドルを頭のまわりで振った。空いている手がないので、友人に対する感謝の意を示すために思いついてやってみた。

レインフェルデンについて、旅行ガイドブックのベデカー誌には「この町を過ぎた下流側で、ライン川はまた急流となり、ホーレン・ハーケン(曲がりくねった急流)と呼ばれる渦ができる」と記載されている。こわい情報で名前もおどろおどろしいが、ここに書いてある「渦」はそう気にするほどのものではなかった。

川に沿って鉄道の線路があった。汽車の音が聞こえる。「ここはまったく未知の荒野で予測もつかない土地」というわけではないことを思い出させてくれる。陸より一段低い位置にある川に浮かんでいると、両側にある土手の向こうが実際にどうなっているかを忘れてしまうことがある。道路から見る風景はよく知られているが、低くなった水面から見上げる景色はまた様子が違っている。どんな景色でも、陸から見た場合、視界は水平線までの距離を直径とする半円になっていて、周囲の空はアーチ状だ。だが、カヌーに座って眺めると、そうした風景は巨大な扇形に姿を変えてしまう。前方の澄みきった水面を視点として、そこから広がりながら両側の岩や木々や苔むした堤防などの土手が斜めに高くのびていく。これはテムズ川のようなふだんから見慣れた川でも同じだ。とくにオックスフォードとロンドンとの間の陸の風景はよく知られていて、旅行者も感嘆したりしているが、同じ場所の光景でも、川を漕ぎ下りながら眺めるとまた違って新鮮に見えてくる。テムズ川のように、曲がりくねって流れながらすばらしい景色を展開している川は少ない。

とはいうものの、ぼくのカヌー旅も、今では文明世界に戻ってきつつあった。よそ者には街並みや宿で体験するすべてのことが物珍しいという、心地よくもシンプルな生活は終わりかけていた。これまでとは対照的に、この文明世界では、天然ではなく合成したロウソクを使っていて芯切りバサミが不要だったり、英語が話せると自称するウェイターが横に座ってぼくの腕をつかんで自信満々に「ビーン・グリーン」(「インゲン豆のような緑色」を指しているらしい)と言ったりしている。彼の英語でぼくが気に入ったのは「花野菜」で、ぼくらが「カリフラワー」と呼んでいるものだ。

あなたがドイツを旅していて、内陸にある村でウェイトレスが大声のドイツ語で話しかけてきたとしよう。彼女の早口のドイツ語は、あなたにはちんぷんかんぷんだ。彼女は自分の言うことがまるで理解できない客を新しい動物でも見たように眺めている。が、やがて客もウェイトレスもどっちも笑いだすことになる。そういう世界を旅してきたわけだ。

だが、ぼくはいま、ライン川で一隻のボートがロープで引かれれているのを見た。舟を引くための道が確保されているのではなく、男たちは草むらを歩きながら舟を引っ張ったり浅瀬を渡ったりしているだけで、ごく素朴な形ではあるのだが、ボートについてこうした光景を目撃するということは、いつでもどこでも上陸できる、自由きわまりないすばらしい森林地帯を抜けてしまったということを改めて悟らされたのだった。

何度か西に向かって曲がった後で、バーゼルの街にある二つの塔が見えてきた。沈みかけている夕日がまぶしくて、正確に見分けることはできなかった。それで、そのまま漕ぎ続けた。九月十四日、川辺にあるホテルにカヌーを引き上げた。バーゼルの街にかかっている橋はすぐに物見高い通行人や野次馬であふれた。ここは、例のずぶぬれになった四つの漕ぎ座がある五人組のボートが数週間前に到着したところだ。建物の所有者は、また別のイギリスのボートが来たというので喜んでいた。今度はずっと小さなボートで、乗っているのも一人きりだったが、こっちは先を急ぐ風でもなく服も濡れてもいない。ぼくは街を散歩した。とある教会に入ってみた(スイスのバーゼルだから、むろんプロテスタントの教会だ)*1。ちょうど洗礼式が行われているところで、大勢の人が集まっていた。赤ん坊は母親から父親へ、教会の聖職者(クラークからミニスター)へと手渡しやすいように枠付きの台に寝かされていた。ぼくは赤ん坊という存在には畏敬(いけい)の念さえ抱いているので、こういう風に、どこか機械的に赤ちゃんを取り扱うことには強い違和感を感じてしまう。

*1: ドイツのマルティン・ルターと並ぶ宗教改革の主導者だったツヴィングリやカルバンはスイスの出身で、当時のスイスにはプロテスタントが多かった。
現在のスイスでは、イタリアやスペインなど南欧系の労働者の移住により、宗派統計上はローマ・カトリックがプロテスタントを上回っている。

洗礼式が終了するとすぐに、幸福そうなカップルが前に進み出た。これから結婚するのだ。新郎はぱっとしない風采だったが、新婦は美しかった。とはいえ、もう若くはなく、五十五歳くらいに見えた。花嫁の付き添い人や七面倒くさそうな関係者の姿は他になかった。式がすむと、このカップルは、女たちがクスクス笑うなかを歩いて出て行った。花婿は次にどうしたらよいのか、よくわかっていないらしく、新婦の前後を歩いたり横に並んだりしていたが、どこか居心地悪そうで、結局は彼女のそばからつかず離れずの斜めの位置を確保して歩いていき、二人とも別の建物に姿を消した。これから結婚生活をはじめる儀式として、これほどロマンティックの対局にあるものは見たことがない。とはいえ、こういう式にも取り柄はある。うっとうしい「両家の顔合わせの食事会」で、新しく親戚になる二組の人々が相手を探りあうという、うんざりするような儀式がないのだから。そういう食事会では、腹もへっていないのに一緒に食事をし、相手のしょうもない話に耳を傾けているふりをすることで、互いに親密になることを期待されているのだ。とはいえ、ぼくとしては、旅先で出会った人々の不可解な風習なんかを批判したいわけではないので、宿の話に戻そう。喫茶室で、あるフランス人と出会った。その人はロンドンで生活していたことがあり、これからロンドンに行くという二人のメキシコ人に現地のホテルについて説明しているところだった。ロンドンの「コーヒーハウス」や「レスター・スクエア」にあるホテルについての彼の説明は笑えた。「スクエアはイギリスではスクアと発音されるんだ」などと言っていた。

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現代語訳『海のロマンス』46:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第46回)
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グラスカッター

十月十二日(土曜)。大掃除と洗濯がすんで「日曜」という楽しい期待を明日に控えた、平和なすがすがしい「土曜らしい雰囲気」が人々の顔に浮かぶ。

午後、カッターを艤装して、楽しい半日を静かなサンディエゴの内海に遊んで、遊びくたびれた十余人は、ボートをコロナド半島の先端にあるノースアイランドに寄せる。

このノース島には、かの有名なカーチス氏の経営にかかる「カーチス飛行機学校」なるものがある。

練習船(ふね)が八月三十一日に、この静かにして絵のような泊(とまり)に入港して以来、日に何度となく船のまわりを滑走したり飛翔したりする幾組かの水上飛行機があった。はじめのうちは、あのすさまじいエンジン音の爆音も、あざやかで見事な着水や飛行の技量も珍しかったが、しまいにはすっかり馬鹿にしてしまって、自習室で本でも読んでいるときは、またかとばかりうるさがられた。

しかし、それでもときどきは、金髪緑眼(きんぱつりょくがん)の佳人(ひと)を乗せて鋭く水を切って滑走するときや、巧みに練習船(ふね)の帆桁(ヤード)とすれすれに飛んで、きわどい離れ技を演ずるときは、惜しげもなく拍手と歓声が全船から流れ出ることもあった。こんなときには、操縦者はきっと片手を上げて挨拶したものだ。

その学校の桟橋へ船をつけて、白いジャンパー姿の男がドヤドヤと上陸する。見ると、桟橋の根元の方に一人の老人が腰をかがめて、箱のような変な格好の船型と、奇怪なる設計図(プラン)とを並べて、深い瞑想にふけっている。通りすがりに言葉をかけても、振り向きもせぬ。しないのも道理、この老人こそ、この学校の師範代で、二週間に一遍ずつまわってくるカーチスの代教授をしているほどに技量抜群な人だというが、多年の飛行ですっかり鼓膜を破ってしまったのだと……

イッシャー君というのが出てきて、いろいろと案内もし、説明もしてくれる。学校(ここ)には「水上」と「陸上」の二種類あることや、キムピー嬢、近藤氏、武石浩波(たけいしこうは)氏の三人はみなこの学校で練習を受けたこと、自分はパリの飛行機学校で、ドイという日本学生と友達であったなどと話す。

「カーチス飛行機学校」といえば、いかにも立派なようであるが、実は五十エーカー(約二十万平米、東京ドーム四個半)ばかりのだだっ広い草原(くさはら)に、破れかかった汚い家が二、三軒と、修繕工場一棟と、「水上」「陸上」の飛行機格納庫各一棟ずつとモーター試験場とがあちこちにたたずんでおった。

ちょっとでいいから乗せてくれと頼んだら、おそまつな滑走用の一台の「カーチス」式複葉機(バイプレーン)を出してきた。彼らはこれを「草なぎ機(グラスカッター)」と呼んでいる。誰だったか、スイッチをつなごうとしたら、やれ大変とばかり、差し止められた。その代わりに写真をとってもよいと許可された。写真を撮りにわざわざ頼みにくる連中も多いらしい。

「水上」の方は例のイッシャー君が、この「フロート」がどうで、この「翼(プレーン)」の浮揚力がどれくらいで、支柱(ステイ)の受ける力が最小となるよう応力が計算されていて、発動機(モーター)の爆発周期は何分の一だとか、むずかしいことを詳しく説明してくれたが、ひどいなまりのあるアメリカン英語でペラペラときた講義の大部分はとうとう「理解」できないままだった。

ローマランドの一日

船長艇(キャプテン・ガレー)を艤装して、音に聞こえしローマランドに一日の清遊を試みる。同舟の友は五人。

    この山に仙人おわす水仙花

月が似合うローマランド、日没が似合うローマランドは、また花も似合う。

しめやかな春雨の軽いうきうきした足音が、野に響き、水に響いて、けぶるような紗をすかしたような情趣を生み出すとき、美しき水仙花やクローバーは今を盛りと咲かせた花からしずくがしたたり落ちている。

方形係数(ブロック・コエフィーシェント)*1がわずかに〇・六の船長艇は、少しキールを水につけただけの軽い姿で、鏡のように静かな入江の水を、朝の八時頃の下げ潮に押されながらすべるように走っていく。

*1: 方形係数(肥せき係数とも呼ぶ)は、船の太り具合を指す指標。
水線下の容積の太さ(やせ)具合を示し、この値が小さいと細身でスピードも速いイメージになる。
具体的には 「船の排水容積」と「水線長×水線幅×喫水」の比で、船型が完全な直方体だとすれば方形係数は「1.0」になる。
大量の荷を運ぶよう設計される貨物船は、旅客船に比べて、この値が大きくなる傾向がある。

セントラル教会の招待会(イブニング・ソサエティ)で、晴れやかな三日月眉と、すずしい張りのある目と、黒いビロウドの帯飾りとをつけた、世にも美しいサンディエゴの娘と歓談笑語(かんだんしょうご)したその翌日(あくるひ)の朝である。

光輝ある初秋の光線(ひかり)は透き通った水に落ち、帆をかすめる小鳥の影が、水底の細石(こいし)や藻の葉にさっと黒く落ちては、また元のように明るくなる。この快適な朝の景観と、ブドウ、オレンジなどのカリフォルニアの美果を積みこんだ心丈夫とは、今日の行楽をして、期待あるものたらしめ、意義あるものたらしめる。

パビリオン・ハウスの検疫所を右に見て、おそろしく長い海藻(ケルプ)の中を流れ下った艇は、十時にローマランドの砲兵隊連隊合宿所の下へと漕ぎ寄せる。

カーキ色の兵隊さんが往来する合宿舎(カンティーン)には青いツタが見事にはいまとわって、その二階からは音色もゆかしいピアノが漏れ聞こえてくる。一軒の将校宿舎のベランダには五、六人の奥さん連中が集まって、紅茶を飲みながら静かに世間話にふけっている。

こんな俗世間を離れたような生活を眺めながら、船乗りの間に有名な例のローマランドの灯台(ライトハウス)に着いたのは十時ごろであったろう。

青いサボテンの花が目もはるかに連なる先に、太平洋の波打ち際に沿って白い建物と海抜百フィートの灯台とが見える。

キャピテン・ビーマンという、七十ばかりの好々爺(おやじ)の灯台長や、その細君や、一等灯台員など、家族総出で歓迎してくれる。

話によると、この灯台は今から二十三年前に建てられた回転灯で、四百三十二面の反射鏡と、四分の回転周期と、五秒間の照射期間を持っているという。到達距離は二十海里で、光力は十二万燭光*2を数える。

*2: 燭光(しょっこう)は光度の単位で、現在のカンデラとほぼ等しい。カンデラは、照度の単位である「ルクス×距離の二乗」で計算される。

ここのローマ岬(ポイント)は音に聞く海上の難所で、三年前には鉄船が、七年前にはスクーナー型の帆船が相次いで同じような場所で座礁し、粉々に破壊されたという。現に、灯台の下には、いたましくも赤く錆びた鉄片が、世を呪うもの、海神の権威をないがしろにする不届きものの末路を見よやとばかり、敗残の跡をさらしている。

快く軽い汗を感じながら小さな多くの小山を北に越したぼくらは、スペイン人がこの地の覇者であった時代の旧灯台(オールド・ライトハウス)に行く。一八五四年に建てられたもので、荒廃した壁の中には、古いカビくさい、一種いやなにおいがしみじみと人の追憶に迫るように漂っていた。

この旧館と同じ背の山には、日本のコックが埋葬されている墓地(セメタリー)があるという。何でも十何年前に米国の一砲艦がここで爆破したとき、一緒に乗りこんでいた志願兵であるという。

なつかしさと、あわれさとのまじった気分で、山の頂上にあるその墓地(セメタリー)に行く。墓地というよりは遊山地といったほうが適当なほどに明るい華やかな空気が、敷物のように青くきれいな芝地の上に広がっていた。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 60:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第60回)
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ラインフェルデンの町が見えてきた。ファウフェンブルグからぼくが跡を追う形になっている例のイギリスの五人組のボートは、ぼくがたったいま通過したこの激流の瀬をどうやって下ったのだろうかと気になった。後になってわかったが、この漕ぎ手四人の五人乗りのボートが瀬にさしかかったときは増水していて、岩が露出していなかったらしい。上流側の水深のあるところで川の水が渦を巻いているのはぼくも見たが、そういった渦に遭遇しただけらしかった。それで、連中はバーゼルまで一気に漕ぎ下ったのだという。バーゼルのホテルで関係者から聞いたところによると、五人のイギリス人たちは服も荷物もびしょぬれの状態で到着したそうだ。ウェイターはにやにやしながら、洗濯係をしている女友達が一晩で二十七フランも稼いだらしいと教えてくれた。

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現代語訳『海のロマンス』45:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第45回)
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ミセス・ホラハン

ぼくはかつて、外国へ行っている日本の留学生が、心さびしい異国の地で、「ドイツの母」とか「ロンドンの母」とか、なつかしげに呼びならわしている老婦人を持っていると聞いている。そうして心の中で、物の道理のわかった、親切で、心の広い、どんな人種に向かっても快い抱擁を与える年とった女性を描いてみた。

この多年、心の中で描いていた美しい絵が現実となって現れたのが、わが「カリフォルニアの母」ミセス・ホラハンである。

船は「女性」である。練習船・大成丸はそのあらゆる種類の女性の中でも、最も優艶(ゆうえん)にして最も高雅な一人である。

美しく清らかな女には、また美しく清らかな同性の友がある。美しく気品のある友人として最もすぐれた人が二人いる。すなわち、日本の伊藤静代夫人と、カリフォルニアのホラハン夫人と……

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ヨーロッパをカヌーで旅する 59:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第59回)

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カヌーの運搬では自分たちを雇えと言外に示唆しているのかを確かめるため、ぼくは二人に、万一に備えてそっちの船でついてきてもらえませんかと聞いてみた。彼らは相談していたが、この提案には乗ってこなかった。それで、問題の激流の瀬を通過するためのベストなコース選択について聞いてみた。彼らは砂の上によくわからない絵を描き、かなりこみ入った指示を授けてくれた。が、それを実行するのは無理だった。で、ぼくは静かに頭を下げ、砂に描かれた絵を足でもみ消し、何も聞かなかったことにして行き当たりばったりでいくことにした。まあ「知らぬが仏」というが、実際に行ってみないとわからないとも思ったのだ。進むべき道は自分で見つけるという高揚した意気ごみと、それを自分で見つけたときの満足感は、そのためにした苦労には十分報いてくれる。それだけの価値がある。山岳地帯を旅しているときもそうだった。単に足の筋肉を動かして景色を見るためだけに行くのであれば、ガイドを三人ほども雇い、互いに身体をロープで結びあってガイドの後を黙ってついていけば成功するだろう。だが、頭を使い、気を配り、判断するのはガイドの役割で、案内される側はただその尻を見ながらついていくだけだ。

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現代語訳『海のロマンス』44:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第44回)

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「湖畔」行き

十月八日朝九時、サンディエゴの第七街(セブンス・ストリート)から「湖畔(レイクサイド)」に向け出発した特別列車には、百三十の詰襟(つめえり)に三つボタンの練習生と、百人近い背広の紳士とが睦(むつ)まじく乗りこんだ。

サンディエゴ市およびその付近の日本人会の主催のもとに、練習生の招待会がレークサイドであるからである。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 58:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第58回)

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ぼくがカヌーをつないだ地点から、通過可能と思われる中央付近の水路に直接向かうのは無理だった。もっと上流からじゃないと駄目なので、そこまでカヌーを引っ張っていくしかない。浅瀬をわたり、でこぼこした川縁に沿って、渡渉したり牽引したり、悪戦苦闘しながら、やっと半マイルほど川をさかのぼった。カヌーに乗って急流を横切って川の中央付近の水路まで到達できそうな場所に、なんとかたどりついた。とはいえ、そこから川を横切るように進んでも、流れが速いので、カヌーは波が荒れ狂っている方に横向きのまま押し流されていきかねない。

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現代語訳『海のロマンス』43:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第43回)
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闘牛見物(その二)

闘牛場の開場は三時とのことである。それではと、一同メキシコ料理で腹ごしらえをする。舌を刺すような辛辣(しんらつ)な怪味(かいみ)に、長い間の海上生活で缶詰ばかり食べていた腹が驚いている。

直径三十間(けん)の場面(シアター)をまわって三尺の幅を持つ観覧席(スタンド)が数層の同心円をなして階段を作り、十間(けん)の空にそびえているというのが、闘牛場の概観である。ゆるやかに隣の娘のボンネットを吹く南風の絶え間絶え間に、風車ののんびりした平和な響きが聞こえて、青い空を背景(バック)にヘビとワシのメキシコ国旗がひらひらとなびいたとき、観覧席台(スタンド)の中ほどにあったコロナド・バンドが急に演奏をし始め、まさに来たるべき痛快味と残酷性とを甘受すべく期待した群衆は、靴音高くこの人々の心を先導するマーチに合唱(あわ)せながら「進め敵地へ!」と歌っている。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 57

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第57回)
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第十章

カヌーをまた荷車に載せ、再び通りを抜けて滝の下の地点まで運んだ。数時間休憩した後、ロ・ブロイ・カヌーを水面に浮かべると、カヌーはまた生き返ったようになった。周囲のすべてがすばらしかった。川には十分な深さがあり、空はどこまでも高く、ぼくは幸福感に満たされた。まもなく、遠くで波が砕け散る鈍い音がまた聞こえ始めた。近づくにつれて、その音が大きくなってくる。無視するわけにはいかない。ラインフェルデンの急流までやってきたのだ。

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現代語訳『海のロマンス』42:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第42回)
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闘牛見物(その一)

九月十四日正午、前回のサン・ペドロへの航海で大変なご厄介をかけた佐野氏とその友人の福島氏とが二百二十五浬(マイル)の道を遠しとせず、わざわざロサンゼルスから南下して来て、明日、メキシコのティファナ市の闘牛(ブルファイト)にご招待しようという。

故国(くに)を出るときから、アメリカはかのパトリック・ヘンリーの有名なる自由独立の大演説*1より以来、遠慮や辞退はすべきではないという国柄(くにがら)だと聞く。思わせぶりや、うわべだけの遠慮は百二十年の昔に振り捨てて、今はいちずに直情径行(ちょくじょうけいこう)の道にいそしむ国民だと聞く。その国へ来て、かかる国民に接する現今(いま)は、たとえ相手が在留邦人であろうが、小笠原流の挨拶(あいさつ)や遠州流の作法では肝胆(かんたん)相照(あいて)らすわけにはゆくまいと考えた。そこでさっそく、かたじけない御意の変わらぬうちにと、委細合点、ありがたし、かたじけなしとお受けしてしまった。

*1: パトリック・ヘンリー(1736年~1799年)は米国の弁護士で政治家。雄弁で勝訴率の高いことでも知られた。
イギリスのアメリカ支配に抵抗し──やがては独立戦争へとつながっていく──「私に自由を与えよ、さもなくば死を!」と結んだ演説が広く知られている。

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