ヨーロッパをカヌーで旅する 49:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第49回)
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で、そういう障害物がある場合には必ずカヌーから降りて、歩きながらカヌーを引きずって野原を迂回(うかい)するか、次のスケッチに描いたように、岩場を乗りこえ、カヌーをその先に下ろさなければならない。たいてい、こんな感じだ。
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現代語訳『海のロマンス』35:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第35回)

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遠く離れた地から哀悼(あいとう)

大正元年九月十三日! いかに厳(おごそ)かにして悲しき日なることか。天地ただ喪(も)に服すさびしさのうちに、秋も深まっていくが、この日はすぐれた元首にして聖なる方の葬儀が行われる日である。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 48:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第48回)
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ロイス川のもっと寂しい場所では、川の淵まで木々が繁茂し、その陰からカモがばたばたと羽ばたきしながら飛び出してきたり、山七面鳥とも呼ばれる大型のノガンがカヌーの上空をゆっくり舞っていたりした。空を飛んでいる鳥にはホオジロもいた。これはドイツ語で「アンマー」というが、英語のイエローハンマー(キアオジ)に由来している。またキジバトの仲間のモリバトや非常に美しいタカ類もいた。むろん、ここにはサギやカワセミもいたのだが、ドナウ川ほど多くはなかった。

朝の楽しい航海ではあった。イミルで橋をくぐり抜けるまで、特別なことは何も起こらなかった。イミルでは、宿屋は土手をずっと登っていったところにあった。厩務員がカヌーを厩舎に運び入れるのを手伝ってくれた。女主人はぼくが行きずりの客で再訪はないと知っていたので、最初の食事で四シリング六ペンスも請求した。というのも、ぼくは丸一日しっかり漕いだ時は普通の人の倍の量を食うからだ。

この後の川下りでは、土手は危険な小石や近寄れない岩壁になっていた。水路も複数に枝分かれしている。どこを通るかを即座に判断する必要があるため、ナビゲーションの面白さが増した。しかも渡し船用のワイヤーロープが川に張り渡してあったりもするので油断がならない。ロープが水平にピンと張られていると、それを手前から見つけたり、自分の目線でロープとの位置関係を正確に判断するのはきわめて難しいのだが、それはこれまで述べてきたことでもわかってもらえると思う。いわば、釣り船が何艘(なんそう)も舫(もや)われた浜辺を歩いていて、係留用のロープがあることがわかっていても距離感がつかめずに、うっかり鼻先をぶつけたりすることがあるようなものだ。

なぜそうなるのかと言えば、ある物体までの距離を判断する際、人は両眼で物体の表面を見て、左右の眼による見え方の差によって、つまり二枚の写真のずれを利用して立体画像を作るように、両者を比較して距離を判断するのだが、逆にそのために錯覚が生じてしまうのだ。つまり、それぞれの眼がその物体の面をそれぞれ見て、堅そうだとか距離がどれくらいあるかを脳が判断するのだが、頭をどっちに向けたとしても、水平に張られた丸いロープだと、両眼の視野の差を認識して差を出すことができにくい。

こういうことを長々と説明しても、読者は実感しにくいかもしれない。実際に川に張られたロープに頭を一、二回ひっぱたかれてみれば、「見えていたはずなのになぜぶつかったのか、その理由」を探ることが、楽しくはないにしても、少なくとも関心を抱く対象にはなってくるはずだ。というわけで、ぼくとしては「ロープを見たら、さわらぬ神にたたりなし」という教訓を得た。

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現代語訳『海のロマンス』34:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第34回)


(前回までのあらすじ)太平洋横断中に明治天皇が崩御され、サンディエゴ到着後には上陸した船長が失踪するという前代未聞の出来事が相次いで起こりましたが、今度は航海士が急死します。

意気揚々たる世界一周航海の前途に、なにやら暗雲がただよってきた気配です。

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先帝をしのぶ

「本日午後二時ごろ、いま当地を視察されている竹越代議士が来船されてスピーチをされることになっている……」という一等航海士の説明が、九月六日の朝に与えられた。

母国においてならばいざ知らず、五千里も離れた異国において、しかも国内外の五千万の国民が等しくやるせない思いを抱いて暗く沈んだ心でいるときに、日本の政界の一方の論客として知られた知名の士を迎えるのは、少なからず心強く、またなつかしく思われる。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 47:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第47回)
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ロイス川は険しい岩山を流れ落ちているため激流で滝も多い。ルツェルン湖に達するまでの高低差は六千フィート(約二千メートル)もある。それでも、この湖自体がまだ海抜千四百フィート(約四百二十六メートル)の高地にあるのだ。

湖の端に向かうゆるやかな流れは、橋の下へと向かっていた。そこからまた川として流れていくのだが、最初のうちは穏やかなので、この先がごうごうと音を立てる激流になっているとはとても思えない。数マイル進んで森に入ると、まったく一人きりになった。地図を見ると、ロイス川はアーレ川に合流するようだ。とはいえ、どっちがどっちなのか、ぼくにはまったく判断がつかない。詳しい人なら「ロイス川の方が急流だ」と言うかもしれないが、数年前、ある男がボートでアーレ川に乗り入れたところ、警察に捕まって処罰されたことがある。何の罪かというと、自分の命を危険にさらしたことらしい。真偽は不明だが、それほどの急流ということだ。話がとんでもなく誇張されているとしても、こうした話から推測すると、スリルのある川として、すべてが満足のいくもののように思えたので、ぼくはそのままカヌーを乗り入れることにした。イギリス人の友人たちが橋の上に集まり、笑顔を浮かべている。ぼくは黄色のパドルを振って挨拶を返した。それから、パドルを漕いで街に入る。いい雰囲気の街並みを通り抜けると、またもや爽快な川下りが始まった。

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現代語訳『海のロマンス』33:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第33回)


太平洋横断に成功し、無事に米国西海岸南部のサンディエゴに入港した大成丸ですが、あろうことか船長が行方不明になるという前代未聞の事件が発生します。
しかも、不幸はそれだけにとどまらず……

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船長、船に帰らず

船の乗組員一同の敬愛と期待との中心をなせる船長の上に何かの異変が生じたという風説が、誰いうとなく隼(はやぶさ)のごとく船の中に広まった。九月二日の午前(ひるまえ)である。船長が八月三十一日入港と同時に上陸したまま陸上にあって、杳(よう)として消息がわからないのは確かな事実である。

ある者はいう。船長は急性脳膜炎で入院したと。他の者はこれを修正して、船長は過労の結果、意識の混乱をきして自刃(じじん)したという。何にしても、おそるべき、悲しむべき、心痛すべき惨事(ざんじ)である。前途悠遠(ぜんとゆうえん)な大使命の端緒(たんちょ)において容易ならざる蹉跌(さてつ)である。悪運である。百二十五の子弟後輩はそのために困惑して、ただ次に来たるべき結果の範囲や程度の広狭深浅を忖度(そんたく)するとき、悄然(しょうぜん)として意地悪き運命の黒き手を呪(のろ)わないわけにはいかなくなった。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 46:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第46回)
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丸一日の間、ずっとカヌーに乗っていた。一日に十時間から十二時間ほども本格的に「漕ぐ」のは久しぶりだったので、ぼくは無理をしないよう、のんびりと、尽きることのないルツェルン湖の景色を眺めてすごした。それでもこの豊かで圧倒的な自然の中で、まだ見ていないところも十や二十はありそうだった。とはいえ、さすがに夜中も漕いでまわるというわけにはいかないので、俗事というか、今夜泊まる宿を探さなければならない時間になった。しかし、すでに述べた観光客用の巨大な宿泊施設などには泊まりたくない。どこか日曜には休息できるような静かな場所を見つけたかった。木々が生い茂っている小さな岬をまわると、いきなり探しているものが眼前に飛びこんできた! とはいえ、あれはホテルなのだろうか? そう、「ゼーブルク」という名前が出ている。静かだろうか?  薄暗くなった歩道を観察する。風呂はあるだろうか? はは、そんな心配は不要だろう。庭先に湖が広がっているのだから。釣りはどうだろう? 湖畔に茂ったアシの上から少なくとも四本の釣り竿が伸びていた。その背後には息をひそめて竿先の動きを注視している人影もある。

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現代語訳『海のロマンス』32:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第32回)
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サンディエゴの名物

クラゲとガラガラヘビと火事は、ここサンディエゴの名物である。しかし、『名物にろくなものはない」という諺(ことわざ)は茫漠(ぼうばく)たる北太平洋を超えて、五千里離れたアメリカにおいてもなお、少なからぬ権威を持っている。

(上)クラゲ

サンディエゴ湾はわずか四町ないし六町*1の幅をもって、十二海里*2も奥に突入しているところであるから、一日四回の満潮干潮の際は、非常な速力で潮が流れる。だから小舟やボートなどは、よほど気をつけていないと、思わぬところに流されることがある。このボートでの上陸のつど、美しいと感じるのは、速い潮流のまにまに漂い流れているクラゲの大群である。中秋の空のような瑠璃(るり)色に光った帽子くらいの大きさのやつが、鉄色に濁った水の中でヒレを伸縮させながら続々と流れ去っていく。壮大にして秀麗な天然の一大(いちだい)象嵌細工(ぞうがんざいく)である。

*1: 町 - 長さの単位で109.09m。四町~六町はほぼ436~654メートル。
*2: 海里 - 長さの単位で1852m。十二海里は約22キロメートル。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 45:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第45回)
今回から第八章になります。ジョン・マクレガーのいう「世界一美しい湖」であるルツェルン湖(スイス)にカヌーを浮かべるところから、旅が再開されます。
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イミンで例の三人の釣り客が蒸気船に乗って出発すると、小さな桟橋は静かになった。ぼくは丘をこえたルツェルン湖までカヌーを荷馬車で運んでもらう値段の交渉をした。距離にして徒歩で三十分ほどだが、料金は五フランで決着した。宿の主人はカヌーに非常に興味を持っていたので、彼自身が荷馬車のたずなを持ってくれた。ところが、道すがら、会う人ごとにその話をしてまわるのだ。しまいにはリンゴの実の収穫をしている男たちにまで声をかけるほどだった。声をかけなければ、連中は作業に夢中で、ぼくらが通過したことすら気づかなかっただろう。こういう場合、スイスでもドイツでも定番のジョークが飛び交う。「ちょっとアメリカまで行ってくるよ!」と叫び、気のきいた台詞(せりふ)だろ、という風にニッと笑うのだ。

ぼくらがやってきたルツェルン湖畔の集落は、あの有名なキュスナハトだった。とはいえ、一帯の村ぜんぶがキュスナハトを自称しているので、そのうちの一つということになる。中央ヨーロッパには、こういうハネムーンの旅行先に選ばれる、絵にかいたように美しい町がたくさんある。ぼくらの周囲には例によって物見高い連中が集まってきたが、今回は宿の主人が同行して一席ぶってくれたので、カヌーを無事に隣の湖に浮かべることができた。おそらく、ここは世界で最も美しい湖だ。

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