スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (4)

ウィレブルークとヴィルボールデの途中で、地主の館へと続く道のように美しい運河のところで、ぼくらは昼食にしようと上陸した。アレトゥサ号には卵二個とパン、ワイン一本があり、シガレット号には卵二個とエトナ製のコンロを積んでいた。シガレット号の相棒は上陸する際に卵一個をつぶしてしまった。とはいえ、そいつは薄焼き卵にすればいいとなって、フランドル語*1の新聞がついたままコンロに放り込んだ。晴れている間に上陸したが、二分もしないうちに風が強くなり、雨が音を立てて降りだした。ぼくらはコンロにできるだけ体を近づけた。燃料のアルコールがいきおいよく燃え上がり、一、二分ごとに炎が草に燃えうつるので、それを踏み消さなければならなかった。ぼくらはまもなく何本か指をやけどした。こんな騒動をした割に、料理の方はパッとしなかった。二回も火をつけてみて、やっとあきらめたが、割れなかった方の卵は生暖かいままだし、紙がついた卵といえば印刷のインクと割れた殻を一緒に煮こんだ、いかにもまずそうなフリカッセ*2みたいだった。ぼくらは残りの卵二個を燃えているアルコールの方に押しやるようにして焼いたが、こっちはなんとかうまくいった。それからワインのコルクを抜き、溝の縁に座ってカヌーのスプレースカートを膝に広げた。雨は激しくなった。まずい状況だ。正直、不快ではあるのだが、不快すぎてしかめっつらもできない。屋外でびしょ濡れになり感覚もなくなってしまうと、ただ笑うほかはない。そう考えれば、食べるつもりだった紙まじりの卵も一興ではある。とはいえ、こうしたことは笑いとばすことで、なんとかしのぐことはできるが、もう一度やれと言われたって繰り返す気にはならない。というわけで、それ以降、エトナのコンロはシガレット号の奥深くしまわれたままになった。

昼食を終えたぼくらが、またカヌーに乗りこんで帆を上げたとたんに風がなくなったことは言うまでもない。ヴィルボールデまでの残りの旅では風に恵まれなかったが、帆は上げたままにしておいた。ときどきは風も吹いたし、それが途切れると、水門から水門まで両側に規則正しく並んでいる木々の間を漕いでいった。

緑ゆたかな風景だった。というか、村と村をつなぐ緑の水路のようだった。ずっと長く人が住んできた、落ち着いた土地のようだった。ぼくらが橋の下に差し掛かると、坊主頭の子供たちがよそ者に対する敵愾心を発揮してつばをはきかけた。だが、もっと保守的なのは釣り人で、浮きに集中し、ぼくらが通りかかっても一顧だにしなかった。彼らは橋脚の水切りや補強部のでっぱり、土手の斜面に座って静かに釣りに没頭していた。生命のないものが流れていくように、ぼくらには無関心だった。古いオランダの版画の中の釣り人のように、彼らはまったく動かなかった。葉が風にそよぎ、川面にさざ波がたっても、国法で設立された多くの教会のように、彼らも微動だにしなかった。連中の無邪気な頭の一つ一つに穴を開けてみても、頭蓋骨の下には巻いた釣り糸しか見えないのではないか。インドゴム製の長靴をはきマス釣りの竿を手に山岳地帯の急流に立ち向かう屈強な釣り師なんかどうでもいいが、こうやって穏やかで人影もまばらな水面で釣れもしない釣りに打ち込んでいる連中は嫌いではない。

ヴィレボールデをすぎたところにある最後の水門には、上手なフランス語をはなす管理人の女性がいて、ブリュッセルまで二リーグ(約十キロ弱)ほどだと教えてくれた。その場所で、また雨が降り出した。雨粒はまっすぐ平行線を描いて落ちてきて、川面は雨に打たれて無数の小さく透明な噴水でおおわれた。近くに宿屋はなかった。ともかく帆をたたみ、雨の中をひたすら漕いだ。

時計があり鎧戸を閉めた窓がたくさん並んでいる田舎の美しい館や、林や通りに立つ立派な老木を見ていると、運河の岸辺に降り続く雨や深まっていく夕闇とあいまって、豊かで厳粛な雰囲気がもたらされてくる。版画でも同じ効果を持つものを見たことがあるような気がする。豊かな風景が迫りくる嵐のために見捨てられた印象を与えるやつだ。そうして、運河を進んでいる間ずっと、運河沿いの道を速足で進む幌のついた一台の粗末な荷馬車と一緒だったが、ほぼ同じ距離でついてくるのだった。

脚注
*1: フランドル語 - 広い意味のオランダ語。特にベルギーで使用される言語を指す。
*2: フリカッセ - フランスの家庭料理。白いソースの煮込み料理。

スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (3)

ウィレブルーク運河

翌朝、ぼくらはウィレブルーク運河に入ったが、雨が激しく降って寒かった。こんなに冷たい雨が降りそそいでいるのに、運河の水は紅茶を飲むのにちょうどよいくらいの温かさだったので、水面から蒸気が立ち上っていた。あいにくこんな状態だったが、出発するときの高揚した気分もあったし、パドルでこぐたびにカヌーが軽快に動いてくれるので、苦にはならなかった。雲が流れて太陽がまた顔を出すと、家に引きこもっていては感じられないくらいに、ぼくらの気分も高揚してきた。風は音をたてるほど吹き、運河ぞいの木々が揺れていた。葉もかたまりとなって揺れ動き、陽光に輝いたり影になったりしている。目や耳にはセーリング日和という感じだったが、土手にはさまれた川面までおりてくる風は弱く、気まぐれに強く吹いたりするものの、ちゃんと帆走できるほどではなく、速くなったり遅くなったりムラがあった。かつて船乗りだったと思われるひょうきんな男が船を曳いて歩く道からぼくらの方に向かって「速いな、だが先は長いぞ」とフランス語で声をかけてきた。

運河の交通量は多かった。ときどき緑色の大きな舵柄のついた列をなす船と行き会ったり追い越したりした。船尾が高く、舵のいずれの側にも窓があり、そうした窓の一つには水差しや花瓶が置かれたりしていた。船尾から小さなボートを曳航し、女性が食事の準備に忙しそうだったり、子供がいたりした。こうした荷船は二十五か三十もあっただろうか、牽引ロープでつながれ、風変わりな構造の蒸気船に曳航されていた。牽引している蒸気船には外輪もスクリューもなかった。機械工学の心得のないものには理解できないような装置があるのだろう。その船は運河の川底に敷かれた細い鎖を光を反射させながら引き上げては船尾から降ろしていき、そうすることで鎖の輪をたどって積み荷を搭載した平底船の列を進めているのだった。この謎を解くカギを見つけるまでは、前進しているのを示すものはなにもないのに、こうした荷船の列が穏やかに水面を進み、横を流れる渦が航跡の中に消えていく様子には、どこか厳粛ではあるが妙に落ち着かないものがあった。

商業目的で作られたあらゆるもののうちで、運河の荷船ほどあれこれ考えさせることができて楽しいものはない。帆を展開して水路橋をわたったり緑のトウモロコシ畑を通り抜けたりすると、その帆が木々や風車ごしに見えるし、水陸両用のものでは最も魅力的だ。また、まるで世の中にそんな商売はないとでもいうように、馬が並足で歩きながら船を引き、ぼんやりと夢うつつで舵柄を持っている男は一日ずっと水平線に同じ尖塔を見ているのだ。こんなペースで荷物をどうやって目的地に運べるのかと不思議にもなってくる。さらに水門で荷船が順番を待っているのを見ると、これが世の中だと教えられもする。こうした船に乗っている人々には自分の生活に満足している人が多いはずだ。というのは、こういう船での生活は、旅をすることと家にいることの両方を兼ねているからだ。

進んでいくと、夕飯の支度をする煙が煙突から立ちのぼる。運河の土手からの景色が少しずつ展開していき、荷船は大きな森のそばに浮かんでいたり、公共の建築物があったり夜に街灯のきらめく大都会を通り抜けたりしていく。船頭にとって荷船は浮かぶ家であり「旅の寝床」でもある。他人の話を聞いたり関心のない絵本のページをめくっていくようなものだ。運河の土手に上がればそこは外国だし、そこで午後の散歩をし、それから家に戻って自分の炉端で夕食をとってもよいのだ。

こんな生活は、健康という観点からは、運動が十分とはいえない。とはいえ高い健康意識は健康でない人々に必要なだけだろう。病気でも健康でもない怠け者はこんな感じで静かな人生をすごし、そうやって安らかに死んでいくのだ。

ぼくは通勤の必要があるどんなよい地位につくよりも、荷船の船頭でいたほうがいいと思っている。呼び出されることはほとんどないし、暮らしに困らないようにするために断念する自由が少なくてすむからだ。荷船の船頭は船に乗っているが、自分の船だ。自分が上陸したいと思えばいつでも上陸できるし、ロープが鉄のように固く凍りつく寒い夜に一晩中、風上帆走しつづけることもない。ぼくにわかる範囲では、就寝時間や夕食の時間はあるものの、時間はほとんど静止している。荷船の船頭には死んだりする理由もあまりなさそうだ。

夫婦でヨットによる世界一周へ

この6月(2017年)に四国から夫婦でヨットでの世界一周に出発した花丸(池川富雄さん)のご紹介。

ヨットの世界では木造ヨットの製造で有名な人ですが、子育ても終わったとして、65歳で5年をかけての世界一周への挑戦です。

すでに太平洋横断や縦断(ニュージーランド)を経験しているベテランです。

ホームページはこちら(航海中も毎日更新予定)
http://ikegawa-yacht.com/
現在地・航跡を示すサイトはこちら
https://forecast.predictwind.com/tracking/display/Hanamaru
出発時の動画(テレビのローカルニュース)
https://www.youtube.com/watch?v=08BdS4mpj7c&feature=youtu.be

スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (2)

川の上は快適だった。一、二隻の干し草を積んだ荷船と行き過ぎた。川の両岸にはアシや柳が生えていて、牛や灰色の年老いた馬がやってきた。土手ごしに頭を出してこちらを眺めている。木々に囲まれた感じのよい村には活気のある造船所があり、芝生に囲まれた館も見えた。風に恵まれてスケルト川をさかのぼり、ロペル川までやってきた。さらに追い風を受けて先へと進むと、はるか遠く右岸にボームのレンガ工場が見えてきた。左岸はまだ草の生い茂った田園地帯で、土手ぞいに並木が続いている。あちこちに船着き場の階段があり、婦人が肘を膝に乗せて座っていたり、銀縁メガネをかけてステッキを持った老紳士がいたりした。だが、ボームとそこのレンガ工場群に近づくにつれて、すすけた印象となり、みすぼらしくもなったが、時計台のある大きな教会や川にかかる木の橋のあたりまで来ると町の中心という感じになった。

ボームはすてきな場所というわけではなく、唯一の取柄は、住人の大多数が自分は英語を話せると思っていることだった。が、実際はそうではない。話をしても、何を言っているのか、よくわからない。宿をとったオテル・デ・ラ・ナヴィガシオンについて言えば、この場所の悪いところが全部でているようなところだ。通りに面して休憩室があり、床には砂をまいてあって、一方の端にはバーがあった。別の休憩室はもっと暗く寒々としていて、飾りといえば空っぽの鳥かごと三色旗をつけた寄付金用の箱があるだけだ。ぼくらはそこで愛想のない技師見習い三人に寡黙なセールスマンと一緒に食事をすることになった。ベルギーではよくあることだが、食事はなんの変哲もないものだった。実際、この感じのよい国民の食事に、人を喜ばせる何かを見つけだすことは、ぼくにはできなかった。ここの連中はたえず何か食べ物をつまんだり口に入れたりしているのだが、およそ洗練されているとは言えず、フランス風ではあるが根はドイツ、どっちつかずの中途半端という代物だった。

空の鳥かごはきれいに掃除され飾りもつけられていた。が、鳴き声を聞かせていた鳥の姿はなく、角砂糖をはさむため押し広げられた二本の針金が残ったままで、宴の後のようなもの悲しさがあった。技師見習いたちはぼくらに声をかけようとはしなかったし、セールスマンにも何も言わず、声をひそめて話をするか、ガス灯の明かりにメガネを光らせながら、こっちをちらちら見ていた。顔立ちはよいのに全員がメガネをかけていた。

このホテルにはイギリス人のメイドがいた。国を出て長いので、いろんなおかしい外国の言いまわしや奇妙な外国の習慣が身についてしまっていた。そうした変な流儀について、ここで書いておくことはあるまい。彼女は手慣れた様子で独特の表現を使ってぼくらに話しかけ、イギリスで現在はどうなっているのかと情報を求め、ぼくらがそれに答えると、親切にもそれをいちいち訂正してくれるのだった。とはいえ、ぼくらの相手は女性なのだし、ぼくらが提供した情報は思ったほどは無駄にならないのかもしれない。女性はなんでも知りたがるし、教えてもらう場合でも自分の優越性は保とうとするものなのだから。それは、こんな状況では賢明なやりかただし、そうする必要があるともいえる。というのは、女性が自分をほめているとわかると、たとえそれが道をよく知っているという程度のことであっても、男はすぐに調子にのって鼻の下を長く伸ばしたがる。この手の図に乗った男をあしらうには、女の立場としては、たえず肘鉄をくらわせるようなことをしていくしかないわけだ。男なんて、ハウ嬢やハーロー嬢*1が述べているように「そんな侵入者」なのだ。ぼくは女性を支持している。幸せな結婚をした夫婦は別として、狩猟する女神の神話ほど美しいものはこの世に存在しないと思っている。男が森で苦行しようとしても無駄だ。ぼくらは実際にそうした男を知っている。聖アントニウスもずっと前に同じことをやって悲惨な目にあったではないか。しかし、女性には男の最高の求道者にもまさる、自分に満足できる者がいて、男の顔色をうかがうこともなく、寒冷の地で気高く生きていくことができる。ぼくは禁欲主義者というわけではないが、女性にこうした理想があるということには感謝している。ただ一人を除き、どんな女性に自発的にキスされたとしても、それ以上に、こういった女性という存在がいることに感謝している。自主独立してやっている人々を見ることほど勇気づけられるものはない。スリムで愛らしい娘たちがダイアナ*2の角笛の音に駆られて一晩中森の中を走りまわり、そうした木々や星あかりのように、男たちの熱い息吹やどたばた騒ぎにわずらわされず、オークの老木の間を縫って動きまわっているのを想像すると──ぼくにとってもっと好ましい理想は他にもたくさんあるが──そういう様子を思い浮かべるだけで、ぼくの胸は高鳴ってくる。そうした生き方はたとえ失敗したとしても、なんと優美な失敗だろうか! 自分が後悔しないものを失ったところで、それは失ったことにはならない。それに──ここでぼくの内なる男がでてきてしまうのだが──こっちを軽蔑している相手をなんとか説き伏せていくのでなければ、どこに恋愛における喜びがあるというのか?
脚注
*1: ハウ嬢やハーロー嬢 - 英国の小説の祖と言われるサミュエル・リチャードソンの書簡体小説『クラリッサ』の登場人物。
*2: ダイアナ - ローマ神話の月や狩猟の処女神ディアーナ。ギリシャ神話では月と貞潔と狩猟の女神のアルテミスとなり、鹿の角と関係が深い。

スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (1)

ロバート・ルイス・スティーヴンソン著
明瀬和弘訳

原著の序は本文の末尾に掲載します。

アントワープからボームまで

アントワープ*1のドックではちょっとした騒ぎになった。港湾作業の監督一人と荷役人たちは二隻のカヌーをかつぎ上げると船着き場に向かって駆け出し、おおぜいの子供たちが歓声をあげながらそれを追った。まずシガレット号が水しぶきをあげて水面に突進し、アレトゥサ号がすぐにそれに続いた。ちょうど外輪式蒸気船がやってきたところで、船上の男たちは大声で警告し、監督や荷役人たちも波止場からどなっていた。とはいえ、ぼくらのカヌーはひとかきふたかきしただけで、軽々とスケルト川*2の中央部まで進んだ。行き交う蒸気船や港湾作業の人々、陸の喧騒はすぐにはるか後方に遠ざかった。

太陽はきらきらと輝き、上げ潮が時速四マイルでいきおいよく流れていた。風は安定していたが、ときおり突風が吹いた。ぼくはこれまでカヌーで帆走したことはなかった。正直、この大河のど真ん中で初めて経験するという不安はあった。この小さな帆に風を受けたらどうなるのだろう、と。最初の本を出版したり結婚に踏み切ったりするのと同じで、未知の世界に乗り出していくようなものだろう。とはいえ、ぼく自身の不安はそう長くは続かなかった。五分もすると、ぼくは帆を操るロープをカヌーに結びつけていた。

これには自分でも少なからず驚いた。むろんヨットで他の仲間と一緒にいるときには、帆を操るロープはいつも固定していたが、こんな小さく転覆しやすいカヌーで、しかも、ときおり強風が吹くような状況で、同じやり方をする自分が意外だった。それまでの自分の人生観がひっくり返るような感じでもあった。ロープを固定しておけば、たばこだって楽に吸えるが、ひっくり返るかもしれないという明らかな危険があるときに、のんびりパイプを吹かそうという気になったことは、これまで一度だってない。実際にやってみるまで自分でもよくわからないというのは、よくあることだ。だが、自分で思っている以上に自分が勇敢でしっかりしているとわかって自信が持てたという話は、あまり人の口からは聞こえてこない。似たようなことは誰でも経験しているだろうが、妙な自信を持ってしまうと、この先で自分に裏切られるかもしれないという不安があるので、そういうことをあまり人に吹聴しないのではないか。もっと若いころに人生に自信を持たせてくれる人がいてくれたら、危険は遠くにあるときにこそ大きく見えるが、人間の精神の善なるものはそう簡単には屈服しないし、いざという時に自分を見捨てることは稀か決してないと教えてくれる人がいてくれたらと、心から思う。そうであったら、ぼくはどれほど救われていたことだろう。とはいえ文学では誰もセンチメンタルになるし、こんな勇気を鼓舞するようなことを書いてくれることはないだろう。

脚注
*1: アントワープ - ベルギー北部の都市(オランダ語ではアントウェルペン)。
*2: スケルト川 - 源流はフランス北部。ベルギーのフランドル地方を流れて北海にそそぐ国際河川。スヘルデ川、エスコー川(フランス語)とも呼ばれる。

スティーヴンソンの欧州カヌー紀行

ジャック・ロンドンの『スナーク号の航海』に続いて、ロバート・ルイス・スティーヴンソンの『欧州カヌー紀行』(新訳)の連載を開始します(6月4日から毎週日曜日)。

R.L.スティーヴンソンは『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』などの作品で知られる十九世紀イギリスの作家で、晩年(というか、四十四歳で死亡しているので短すぎる人生の後半)は療養をかねて南太平洋のサモアに移り住み、その地で没しました。

この紀行は二十代の若きスティーヴンソンが友人と二人で大陸(ヨーロッパ)にカヌーを持ちこんで旅した記録です。

カヌーといっても、セーリングカヌーです。一人乗りですが、一人では持ち運べない重さがあるようなので、現代の感覚ではディンギー(機関や船室のない小型ヨット)に近いかもしれません。

スティーヴンソンの母国のイギリスもそうですが、ヨーロッパは船が航行できる大小の川とそれを結ぶ水路が縦横に張り巡らされていて、ほとんどすべての地域を国境をこえて航行することができます。高低差があってもロック(水門)を利用すれば低地から高地へ行くことも可能です!

本作には故吉田健一の名訳(岩波文庫)がありますが、現代の若い人々には旧字体を含めてとっつきにくい印象があるため、現代感覚の新訳でお届けします。