現代語訳『海のロマンス』119:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第119回)

リオ市の美観

昔、十返舎一九(じゅっぺんしゃいっく)という滑稽(こっけい)の珍を傾け、洒脱(しゃだつ)の妙を極めた戯文(げぶん)の天才がいたが、その人一生の傑作『東海道膝栗毛』において、主人公たる弥次郎兵衛(やじろべえ)と喜多八(きたはち)のおどけた道行きを述べるくだりで、

暁(あかつき)の風、樹木を鳴らし、波の音、枕に響き、つき出す鐘に驚き目覚めてみれば、はや往来のさま賑やかに明け方のカラスがカアカア、馬のいななきヒインヒイン、鈴の音シャンシャン、

と写実の真髄をうがち、はては

馬の屁(へ)ブーブー。

と、八十年後の今日まで、筆も巧みにさすがの弥次郎兵衛を恐縮させた、かすかな薫香の余韻をにおわせている。

この一九氏の筆法にならおうと、たったいま描いたようなリオ・ブランコの並木街(ブールバード)と万華鏡をのぞいたような雑踏のルア・オビドールの小路との十字街(クロッス)に立って、この驕(おご)れる市(まち)、忙しき市(まち)、最先端のパリのファッション(レイテスト・パリス・スタイル)があふれて息も絶え絶えになっている町を冷ややかに鼻の先にながめたぼくは、当然このリオ第一の大通りのスケッチとして、

電車のひびきゴーツン、魚売りの木靴(タマンコ)の音カツカツ、洗濯女のスカートは淡紅色(ときいろ)にヒラヒラ、客待ちの自動車のドライバーのあくび、アア、アア、コーヒーを煎(い)る焦げ臭い香(かおり)プンプン

などと、簡単で奇怪な形容語を用いて、冗長にして拙劣なる駄文を捻出(ねんしゅつ)する苦労をまぬがれえたであろうし、読者もまたむだに理解力を消耗しなくてすんだであろうに!!

ところが、こんなとぎれとぎれなエピグラムの集合体で聖なる南十字星(サザンクロス)の下にある大共和国の大首都を紹介しようとするのは、満州の荒野にさらされたる幾万の死屍(しし)のうちよりわが恩愛(おんあい)の一骨片を拾い出すようなものである。

何事も新しいもの、何事も珍しいもの、何事も手軽で早いものが歓迎される世界の自由の都パリの真ん中でも、未来派(フューチュリスト)の動詞抜きの詩はさすがに不評判だというから、チョンマゲのそり跡のまだ青い日本でこんなふざけた所作(まね)ができるとも思えない。

だから読み続けたついでに、書き続けたついでに、例の牛のよだれ然たるひねくれた悪文も読んでもらいたく、また書かして貰いたいものである。

イタリア・ルネサンス式の堂々たる大きな白い建物が隙間もなく立ち並び、幅十八間(じゅうはちけん)のアスファルトの大きな道路が、目もはるかに一マイル半の長さで続いている。初秋の力ない低い明け方の光線(ひかり)はこれらの高い建物にさえぎられて花模様の飾りのついたガス灯台を中央に、熱帯植物の並木を両縁(マージン)としたアスファルトの車道も、天神石(てんじんいし)を光琳波(こうりんなみ)模様にモザイクした立派な歩道(フットパス)も、みな一様に、涼しいくらいの影に包まれて、混沌としてまだ覚めやらぬ昨夜(ゆうべ)の夢を追っているようである。

南米の美都リオ・デ・ジャネイロの一日の活動を先導しようという心構えのように見える。電車の響きや木履(タマンゴ)の音、ドライバーのあくび、コーヒーの香(におい)、すべての風物と音響とを超越しようという勢いで急にどこからか、パカパカドンガラカッタドンガラカッタという、すこぶる景気のいい音が聞こえてきた。

さてはただごとではない。由々しき一大事だと思ったぼくは、なんでも全市の病院という病院すべてから脱走してきた、幾千万の陽気な精神を病んだ患者たちが一度に騒ぎだしたのだと思った。ところが、町の曲がり角を出てきた化け物の正体を見届けたとき、必ずしも自分の直感が当てにならないことを自覚した。

見ると、同じように灰色のヘルメット、紺の上衣(コート)、緋(ひ)の長袴(ズボン)という衣冠束帯(いかんそくたい)の兵隊さんが、鼓手、ラッパ手などからなる楽隊を真っ先に、十八間の大通りをところ狭しとばかり目白押しに横に並んで、ブラジルコーヒーのような浅黒い顔を惜しげもなく振りたて振りたて、しっかりした足どりで粛々(しゅくしゅく)と一列横隊に行軍してくる。

堂々とした規律ある軍隊である。おおかた宵(よい)っ張りの朝寝坊をもってわれも許し人も許せるアペニダ・リオ・ブランコ(白川大路)の享楽(きょうらく)の民を、そのだらしない惰眠から覚醒(かくせい)させようとする意気込みであろう。

紀元一五〇二年の元旦に、かの有名なるアメリゴ・ヴェスプッチ*から「正月の川」という見当違いながらすこぶる縁起のよい名前を貰ったわがリオ・デ・ジャネイロは、それから六十余年後の一五六六年に、当時のブラジル総督の甥(おい)のエスタシオ・ダサという男から今日の壮麗なる世界的都会を生み出すべき基礎を与えられた。

* アメリゴ・ヴェスプッチ(1454年~1512年)はイタリアの探検家で地理学者。
主にカリブ海から南のブラジルを含む南米大陸沿岸を航海しつつ探検調査した。アメリカという新大陸の名称はこのアメリゴ・ヴェスプッチに由来する。

すなわち、同年、総督の命を受けたエスタシオは、少数の植民を率いて今のパンダスカル(シュガーローフ)山の麓(ふもと)に上陸し、そこに小さな城塞を築いて、この最初の植民地にビラベラ(古町)なる名を与えた。翌年には総督もまたその都城(とじょう)をバイアからこの地(目下の新リオ市)に移し、ポルトガル王の名誉のためにサン・セバスションという名前を与えた。そこで、お高くとまったブラジル人は上品ぶって、わたくしは南米プラジル合衆国の首都サン・セバスション・ド・リオ・デ・ジャネイロ市の一市民でございます、とくる。先の太政大臣関白(だじょうだいじんかんぱく)……どころの騒ぎではない。

かくして、ポルトガル・アメリカの新首都が(南米の十の共和国はすべてラテン系に属して北米合衆国に対してラテンアメリカと言われているが、そのうち、このブラジルのみは他の九ヵ国がスペイン・アメリカなるに反し、言語、風俗、人情などがみなポルトガル的であるところから、ポルトガル・アメリカと言われている)はじめてここに誕生したわけである。

それ以来、ポルトガル式建築によって徐々に多くの建物が建てられたが、今日となってみるといずれも狭くるしい小さな路地の町にすぎなかったので、二十世紀の初めから大仕掛けの市街を改正する計画が企てられた。

ところが、さすがは成り上がり者の悲しさである。国力からいえばわずかに列強圏外の二等国にすぎないが、奢侈(しゃし)と虚栄(きょえい)と見栄坊(みえぼう)の点においてはあえて先進流行のフランスにも引けをとらぬ気位(きぐらい)を持ったブラジル人であるから、歴史と伝説と風聞と典雅とをどこ吹く風と無視した破壊的改正が無遠慮にいたるところに行われたのも、あえて不思議ではない。

その結果として、白川大路(リオ・ブランコ)のような広壮なブールバード(日よけの棚が人道をおおって美しい常緑樹(ときわぎ)の並木が車道の両側にある)や、ビエラメルのような贅沢で華美な景観道路(ドライブウェイ)(アベニダ・リオ・ブランコから始まって長さ四マイルの間、ボタファゴ湾の長く入り組んだ海岸線に沿って、目もはるかに延々と連なるアスファルトの車道)やロイヤル・パームの高い並木が十一町の長さにわたって花美しく影をおとすマンゴの運河や、ムニユシバル劇場や、壮麗な国立美術館のルネサンス式摩天楼(スカイスクレイパー)が続々と現実になって、珍奇を好み新人とはやされたい欲求を持つ軽佻(けいちょう)なブラジル人を満足せしめた。

まったく足ひとたびリオ・ブランコ街頭に立って、絨毯(じゅうたん)のように美しい人道と、モンロー宮殿、ムニユシバル劇場、美術館、ジョーナル・ド・コムメルシヲ新聞社等の広壮たる光景を望んだ者は、有名なる建築家ベリエラ・パソ博士(前々リオ知事)の大勢力と、四億円という巨額の市債とを払ってなれる大規模の市街地改正事業に驚嘆するであろう。そして、この大工事がわずかに十八ヶ月(一九〇四年三月起工)の短期間に完成されたと聞いて、さらに一層驚嘆するであろう。

ところが、他の大路小路の外観が割合に強い印象を与えないところをもってみると、見栄坊でしゃれ好きのブラジル人は、その全力を最も外国人の目につきやすいこの白川大路(アベニュー・オブ・ブランコ)とアベニダ・ビエラメルとの二つに集中して、その堂々とした姿や構えでなるたけ肝(きも)を潰(つぶ)させ、圧倒する効果(エフェクト)を生じさせるように示威的な運動を試みたということが判然(わか)った。

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2 thoughts on “現代語訳『海のロマンス』119:練習帆船・大成丸の世界周航記

  1. 上から約37行目の「熱帯植物の並木を南縁」は「熱帯植物の並木を両縁」の校正漏れかと思います。

    • ご指摘ありがとうございます。
      両の旧字(兩)を誤読していましたので、修正しました。

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