スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (33)

 

中に入って服を着替え、ワインを頼むことができれば、行き違いは解決されるだろうと感じていた。それで「泊まれないんだったら、食事だけでもしようか」といって、バッグを下ろそうとした。

そのとき女将の顔に、けいれんの発作のようなものが浮かんだ! 彼女はぼくらに向かって突進してくると、足で床をドンドンと踏みならした。

「出ておいき――出口はそっち!」と彼女は叫んだ。「さあ出ておいき、ドアから出るのよ!」

何がどうなったのかわからなかったが、次の瞬間には、ぼくらは雨の降っている暗い屋外に放り出され、門前払いをくらった物乞いのように入口の前で悪態をついているのだった。ベルギーの親切なボート乗りたちははどこへ行ったのだろう? あの判事やおいしいワインはどこに消えてしまったのだろう? オリニーの娘たちはどこにいるのだろう? 明るい厨房から夜の闇に放り出されると、本当に真っ暗に感じられたが、それはぼくらの暗澹たる思いによるのだったろうか? 宿を断られたのは、これが最初ではなかった。こんな屈辱をまた受けたときにどうすべきか、ぼくは何度も何度も頭の中で対策を練っていた。とはいえ、計画を立てるだけなら簡単だ。だが、はらわたが煮えくりかえっているときに、どうやればうまく実行できるというのだろう? 誰か実際にやってみて、どうなったか教えてくれないか。

放浪者や規範意識について語るのは大いに結構だ。(ぼく自身が実際に体験したように)六時間も警察で監視されたり、にべもなく宿泊を断られたりすると、そうしたテーマについて一連の講義を受けたように、物の見方が変わるはずだ。上流社会にいて、世間というものすべてが自分に頭を下げてくれている限り、この社会の取り決めは非常にうまくいっているように思える。だが、いったん自分が車輪の下敷きにされてしまうと、こんな社会なんか悪魔に食われちまえと願いたい気になってくる。正論を唱えている立派な人々にそうした生活を二週間もさせてみて、それでも彼らに多少なりとも立派な規範意識が残っているとすれば、それは賞賛に値する。

ぼく自身についていえば、牡鹿だか牝鹿だか、そんな名前の宿から追い出されたとき、ぼくは近くにダイアナ神殿があればすぐにでも放火したいくらいだった*1。人間の社会なんか認めないぞと叫びたいほどだったが、それに見合う犯罪など他になかった。シガレット号の相棒も豹変した。「また行商人と思われたのさ」と、彼はいった。「くそったれが。実際に自分が行商人だったらどんな気持ちがするだろうな!」 彼は女将の体の関節一つ一つが病気にかかるよう念力をこめて文句をたれた。シェークスピア作の人間不信にこりかたまったアテネのタイモンですら、この相棒に比べれば博愛主義者だった。彼は罵詈雑言を口にしたかと思うと、いきなりそれをやめて、今度は貧しき者たちに同情してめそめそ泣き出した。「神よ」と、彼は誓った――そうして、ぼくはこの祈りはかなえられたと信じているのだが――これから私は決して行商人にそっけなくしたりはしません」 これがあの沈着冷静なシガレット号の相棒なのだろうか? これが、この男が彼なのだった。あまりの変わりように、まったく信じられない!

その間も、ぼくらのために天も涙を流しているように雨が降り続き、夜の闇が増すにつれて家々の窓は明るさを強めていった。ぼくらはラフェールの通りをとぼとぼと歩いた。店があり、人々が豊かな夕食をかこんでいる住宅があった。馬小屋も見た。たくさんの飼い葉や清潔なワラを与えられた荷馬車を引く老いた馬がいた。あちこちに予備役の姿があった。この雨で彼らも夜間の勤めをなげき、故郷を恋しがっているだろうとは思ったが、彼らも皆、このラフェールの兵舎には自分の居場所があるのだった。が、ぼくらには何があるというのだろう?

 

脚注
*1: ダイアナ神殿 - トルコのアルテミス神殿のこと。ダイアナはローマの呼び方。アレキサンダー大王時代に全盛だったとされるこの神殿は放火などで何度も破壊されたが、その都度再建され、世界の七不思議として知られている。
スティーヴンソンによるこの航海の少し前にイギリスの探検隊が神殿跡を発掘し世界的に話題になっていた(さらにその数年後にシュリーマンのトロイ遺跡の発見があり、一大考古学ブームが訪れることになる)。

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