現代語訳『海のロマンス』23:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第23回)


水の上で水の苦労

「事業やめ五分前」という風下当番(リーサイド)の予告に、今日もまたこれで平安に暮れたという、ちょっとのどかな気分が人々の胸に浮かぶころ、午後三時半の事業やめのラッパが心地よく、あまねく響きわたる。

フィラデルフィアの鐘*1が独裁(ティラニー)と独立(リバティ)との鮮やかなる分界線をなしたように、このラッパの音は力仕事と遊戯との鮮やかな境界線である。このラッパを境にして、二つの相異なれる性質と内容とを有する王国が隣(となり)あっている。本船では、左右両舷の当番の交代により、午前は九時より十一時半まで、午後は一時より三時半まで、二時間半の日々の作業がある。帆縫い、錆(さび)おとし、ペイント塗り等がその主な成分(エレメント)である。


*1: フィラデルフィアの鐘 - アメリカの独立や奴隷解放などの節目に、この鐘が鳴らされ、自由独立の象徴となっている。 現在は「自由の鐘」と呼ぶのが一般的。

三時半から七時半までの四時間を子供時間というのは、すこぶるゆかしい響きを与える。輪投げに二つ勝った、三つ負けたと、大の男が互いにシッペをしあっていると思えば、一方には、甲板球技(デッキゴルフ)にAは2、Bは5と血眼(ちまなこ)になって勝ち負けを争っている。ある者は船倉蓋(ハッチ)の上で禅ざんまいの瞑想にふければ、船首楼(フォクスル)で岡田式静座法で肺と横隔膜の操(あやつ)りに夢中の者もある。この労苦(ろうく)から放楽(ほうらく)に移る瀬戸際に立って思い切りの悪い雨雲のように、うろうろと歩きまわっている者がある。真水(みず)当番がこれだ。

一号から二十二号に分かれた十六の部屋から毎日一人ずつの真水(みず)当番なるものを選出して、一室八人が使用する真水(みず)が支給される。本船は品川を出帆するときに総容積七百トンの船槽(タンク)にいっぱいの真水(みず)を積みこんできたが、三時半のラッパを合図に真水(みず)士官とも呼ばれる四等運転士(フォース)が来て真水用のポンプの鍵を外す。薄汚い事業服(ジャンパー)を着た十六人の男が三つずつ小桶(バケツ)を持って中甲板(ちゅうかんぱん)に集まる。見ようによっては、鮫ヶ橋(さめがはし)近辺の共同井戸の光景(さま)とも思われるだろう。

一つの小桶(バケツ)にはほぼ五升(しょう)ほどの真水(みず)が入るので、一人一日が使用できる水の量はわずか二升である。この二升の水で顔も洗えば口もすすぐ。なかには冷水摩擦などとしゃれるのもいる。その使い方の細かいこと、細かいこと、なかなかの手際で、鮮やかだとほめてやるべきである。海水(みず)の上で真水(みず)に不自由するのは、銀行に勤めて金に不自由するようなもので、医師を商売にして病気をやるように、また嘘の花柳界(ちまた)に育ってもだまされるように、皆、前世の宿縁(しゅくえん)である。船乗りに向かって海水浴を平常(へいぜい)するから体が丈夫になるだろうとか、海からの生魚を直ちに口にするのはうらやましいなどと言ったら、それこそ大変! 神経質な船乗りはそれを比喩的(アイロニカル)な喧嘩(けんか)を吹っかけていると早合点するだろう。

おっと話が上陸した。そうそう、そこで十六人がわれがちに飛びつく。いの一番にかけつけた者が水を一番先にとるのだから、横着者(おうちゃくもの)は気の毒にも呆然として、十五分ほどは立ち続けて待っていなければならない。後から行ったものは、たちまちベヤリ損(そこ)なうことなる。

弥生が岡の寮舎(りょうしゃ)にコンバル、ギキョルなどの新語があるように、練習船の中にもベヤル、コミヤルなどの珍熟語がある。ベヤルはいわゆるベヤリングをとる(方位を知る)の省略(アブリビエーション)で、着目するとか先鞭(せんべん)をつけるとかいう場合に用いられる、外国の港でスタイルのよい金髪の女性が客としてたくさん来るときなどは、盛んにこの言葉が用いられる。コミヤルはヤリコメラルの反対で、コッソリ失敬するとの意味である。

せっかく汗水たらして汲(く)んできた真水(みず)を、いつの間にかコミヤられて落胆(がっかり)することがしばしばある。

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現代語訳『海のロマンス』21:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第21回)


船に無賃乗船した生き物たち

本船が七月十八日に房州(千葉県南部)の一角から辞し去ったとき、三種類の生き物が勢力を増やそうと、この世界的大旅行の途(と)に加わった。すなわちネコと赤とんぼとハエである。ネコは前に述べた船随一の愛嬌者である。

けなげにも一人、雄々しくも、なつかしき故郷の山野を離れ多くの仲間と別れて、本船に舞い込んだ赤とんぼ君は、二、三日の間はその美しい姿を船室(キャビン)の中に輝かせていたが、船が北上するにつれて加わってきた寒気のためにか、露が多く空気が冷ややかなある朝、そのあわれな最後の姿が後甲板の上に見出された。

最後に登場するハエこそ、世にも横着にして動いてやまざる底(てい)の不敵な曲者(くせもの)である。室町幕府の知恵袋といわれた細川頼之(ほそかわよりゆき)*1を出家させて以来、ハエはうさんくさいもの、しつこいものと相場が決まった。四枚の羽と六本の足でさえだいぶ厄介であるのに、複眼という八方にらみの怪しい道具を頭につけている。ときどきは造物主の持つ気まぐれな、いたずら好きの一個性をつくづくうらめしく思うことがある。こんな奇妙な動物を人間の厨房(キッチン)や居間に放った造物主の行動はすこぶる皮肉である。冷ややかなアイロニーである。いろいろの妖怪変化(ようかいへんげ)をパンドラ姫の箱に入れたジュピターの悪戯(いたづら)と同じである。いままで梁(ビーム)におった一匹のやつがブーンと不気味にうるさい音をだして降って来たと思ったら、自分の当然の権利であるかのようにゆらりと筆の先にとまる。じっとしばらくその行動を注視する。

悠々(ゆうゆう)として慌(あわ)てず急がず、後足をくの字に曲げて薄い羽をしごいている。しゃくにさわったから軽くフーッと吹いてみる。それでもいやに落ち着いて、静かに片方の二枚の羽と三本の足を動かして巧みに元の姿勢に戻り、効力の平均(バランス・オブ・エフィカシー)という力学的証明を最も簡単に最も愚弄(ぐろう)する方法でやってのける。愛想もこそもつき果てて、ただ見ていると、図に乗って今度は前の二本足を熊手のように動かし、例の傑物の眼をでんぐり返るほどゴリゴリとこする。やりきれない。ヒョーッと突然(だしぬけ)に一大陣風(スコール)を口から吐き出す。少しはひるんだろうと思ったら、パッと飛んでツーと電光石火(でんこうせっか)のごとく眉間(みけん)の真ん中にへばりついた。いまいましいと思って、十分の用意と成算とをもって、くたばれとばかりに額を打ったら、いたずらに悄然(しょうぜん)たる響きを残して高く飛び、舷窓(スカッツル)の縁(へり)にいた仲間の一つに飛びついた。付和雷同(ふわらいどう)と模擬踏襲(もぎとうしゅう)との両性能の活用において、ハエは犬にも劣らぬ豪(ごう)の者である。

一波起こって万波生じる。一匹の奴がさわぎだしたらもうだめだ。喧々囂々(けんけんごうごう)と百畳の食堂は一面にただハエの羽音のみだ。本船には種々の生の食料が保管されており、日々の献立(メニュー)を塩梅(あんばい)する衛生係は三人の学生が担当している。今、一人の衛生係が黒板に何か書いている。

今やハエはわれらの仇敵(あだ)となった。うるさいこと、おびただしい、諸君、とろうじゃないか、衛生部はこの犠牲的努力に向かって寸志を提供する。

    一、ハエ三十匹ごとにサイダー瓶一本
     一、ハエを追ってみだりに士官室に飛びこまないこと

と。
敵将を得たる者には報奨金と領地を与えるとは、春秋時代からの論功行賞の目安である。サイダー瓶一本はすこぶる奇抜(きばつ)である。

ただでさえ長航海の無聊(ぶりょう)に苦しみ、何かないかと手ぐすね引いて機会を狙っている連中である。
ワーッと鬨(とき)の声をあげて歓迎したのも無理はない。ある者は草履(ぞうり)を片手に天井を望んで震天動地(しんてんどうち)の大活劇を演じている。ある者は石油を入れたコップを持って巧みに壁間のハエを誘殺し、孔明の七縦七擒(しちしょうしちきん)の妙計*2を学ぶもの、用意周到に罠(わな)をしかけて待つ者、食堂はたちまちの間に一大修羅場(しゅらば)となった。なかには遠く厨所(ギャレー)や船倉(ホールド)にまで遠征して、にわかごしらえのハエ取りウチワや棕櫚(シュロ)の箒(ほうき)を手に普段は行かないところまで遠征して大量に捕獲した者もある。

多人数の努力というものはおそろしいものだ。さしも真っ黒に見えたハエ群も見事に全滅しさった。ついて衛星係に聞けば、サイダー瓶の支出百四十四本、ハエの死骸は実に四千三百二十と。テルモピレーの激戦*3も奉天の大勝利*4も一歩譲るだろう。



脚注
*1: 細川頼之(ほそかわよりゆき) - 室町時代の守護大名で幕府の管領(かんれい)を務めた。京都の地蔵院(臨済禅宗)に頼之の木像と墓がある。


*2: 孔明の七縦七擒(しちしょうしちきん)の妙計 - 中国の春秋三国時代の英雄・諸葛孔明(しょかつこうめい)が敵将を捕獲しては釈放するという硬軟両方の措置を使い分けて敵将を心酔させるに至ったことから。
原文では七擒七縦(しちきんしとちしょう)となっているが、一般に用いられる語順に改めた。意味は同じ。


*3: テルモピレーの激戦 - 紀元前五世紀のペルシャ戦争におけるギリシャ軍とペルシャ軍との戦闘。ギリシャ軍の中心だったスパルタ国の兵士三百人が全滅したとされる。


*4: 奉天の大勝利 - 日露戦争(1904~1905年)最後の大規模な戦闘となった奉天会戦。

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現代語訳『海のロマンス』20:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第20回)


ああ、七月三十日

帆を操作するために帆桁(ほげた)に取り付けられているタックというものがある。直径三インチ(七・五センチ)の鋼のロープだ。簡単には切れそうにない女の髪の毛は一房でも大きなゾウの強さをつなぐに足るそうである。ましてや太く強い鋼(はがね)の線である。見ようによってはずいぶんと強そうである。

バビロンの城壁はたあいもなくユーフラテス川の河畔に埋まり、ラメス王のオベリスク*1はその見苦しい姿をロンドンの真ん中にさらしている。そういう世の中である。まして、本当に細い一本のロープだもの、時間の経過という力の前には、すべての物質は無力である。ささいなことを論じるスコラ哲学には「朽ち果てて終わる」とある。

[訳注]*1: ラメス王のオベリスク - ラメス王は古代エジプトのファラオ(王)であるラムセス二世(治世は紀元前13世紀ごろ)と思われる。

オベリスクは特に古代エジプトで製作された細長い塔状の記念碑を指し、ロンドンには通称「クレオパトラの針」と呼ばれるオベリスクがある(かの有名なクレオパトラとは直接の関係はない)。
古代エジプトのオベリスクでは、ロンドン、パリ、ニューヨークに移設されている三本がよく知られている。

見ようによっては、芋のツルより弱くて切れるかもしれない。しかし、それほど風も吹かない快い凪(なぎ)の日であったんだが、などと小首をかしげても追いつかない。自分はこんなことを考えながら練習船の主帆(メンスル)の切れたタックを眼前にながめた。

ときは明治四十五年、七月三十一日の午前七時である。場所は北緯四十度八分、東経一六七度四十五分、広大な北太平洋のただなかである。タバコをかんで黄色いツバをペッペッと吐いて「ウイスキーこそ船乗りの生活にふさわしい」と歌った昔の船乗りは古い物語の中に葬り去られた時代である。デルファイの巫女(みこ)*2などはやらなくなった今日である。蒸気とプロペラとが、帆とロマンスを海から追放した海の上である。まして科学的な頭と排神秘的思潮とを持った賢明なる二十世紀の船乗りの前である。

*2: デルファイの巫女 - 古代ギリシャのデルファイで、神の意思(神託)を伝えるとされたアポロン神殿の巫女(みこ)。政治にも影響を及ぼしたとされる。

であるから、もしもこれよりわずかの後に、前檣(フォアマスト)のローヤルが目に見える変化の手で引き裂かれるようにビリビリとフットロープから見事に二つに裂けて飛んだりしなかったならば──まだ帆船では十三日という数字の威嚇(いかく)と金曜日という週日の権威とが失われていない*3のであるから──これほど乗組員の注意を引くことはなかっただろうに。

*3: 十三日の金曜日 - 一般には「キリストが磔(はりつけ)になった日だからキリスト教圏では不吉」とされているが、これは俗説で、明確な根拠はないようだ。洋の東西を問わず、迷信というのはそういうものかもしれない。

知識は記憶の堆積であるといえるならば、不安は同性質の予報的な奇妙な現象が集中することにより生じると推論することができる。ローヤルの破れた頃から、そろそろ人々の顔には疑わしい、不思議だ、妙だという雰囲気が流れ出した。迷信的な思いこみがソロリソロリと人々の頭を支配しかかる。神秘的な気分が船の空気を染めはじめる。シャロットの女の鏡*4はかくてだんだん曇りはじめた。雨でさえ降る前には青嵐(せいらん)が堂に満つといわれている。何事か起こらねばならぬ。

*4: シャロットの女の鏡 - 英国に伝わるアーサー王伝説に登場するシャロットは、英国の詩人テニスンの詩『シャロットの女』のヒロインであり、彼女をめぐる悲劇の詩に触発されて多くの絵画も描かれている。
シャロットは現実の世界を見ることを禁じられ、鏡を通して世界を見ていた。
夏目漱石の『薤露行(かいろこう)』はアーサー王伝説を取り扱ったファンタジー小説だが、この中でシャーロットの女についても取り上げている。

事件の進行が発覚するには、ある程度の空間と時間の推移とが必要であると哲理は教えている。空間は二千何トンという大容積で十分である。この上はただ時間の推移を待つばかりだ。

一時間後の船内の空気は、依然として静まりきっているわけにはいかなかった。時間の推移とともに、シャロットの女の鏡はついに破れた。そのときは北太平洋の妖霧(きり)のために乗組員の心を腐らせ、根気をけずり、神経を逆なでするするように、うっとうしく憂鬱な状態が続いていた。この場合、この霧はかなりの効果(エフェクト)を示すなかなかの背景だったと言わなければならない。加えて、無線電信という道具も加わった。ジャキジャキと鯨の脂肉を鉄火にあぶったような音と、青くすごく光る威嚇的で幽玄な光がまだほの暗い下甲板に射しているところはなかなか壮観である。舞台は整っていた。

天皇陛下のご病状については、七月二十二日に石橋校長から

陛下は十四日来胃腸を害せられ、体調不良のところ十九日より腎臓炎を併発され、熱が四十一度、脈拍が百八となり、すこぶるご重態にして、誰もが憂慮(ゆうりょ)している

との来電があってから以後、二十四日には、陛下はその後は快方にむかわれ、誰もがほっとしているという情報が、二十七日には、陛下のご容態はまたまた悪化し、脈が百七、熱が三十九度になられたという情報が、二十八日には、ご容態は良好に転じたとの報に接し、歓喜に堪えず、なお神のご加護と国民の心をこめた祈願により全快されることは疑いなしという情報の、計四回の喜憂(きゆう)相なかばする消息が伝えられたが、その後はなかなか晴れない妖霧(きり)と戦いつつ、心ひそかに憂慮(ゆうりょ)しながらもなお最後の望みがある消息に慰められていたのだったが、この日の朝になって、九時に整列し作業を開始するという航海中の行事が中止になり、九時半に総員、後甲板(こうかんぱん)に整列するよう命じられた。

ひょっとしてと、心臓が少し縮み上がって、肋骨の三枚目をける。四角い重いものがスーと腹の下から浮いてきて、胸のなかでもだえるように揺れ動く。どこの船室でも重苦しい空気だが、ヒソヒソとはばかるような低い声がしている。誰の顔にも緊張し興奮した様子と、おそろしく真面目な表情がみなぎっている。

暗い表情を浮かべた百十五の顔が後甲板に並ぶと、恒例の分隊点検が済んだ後、「集合っ──」と全員を海図室の前に集めた船長は、厳粛かつ荘重な口調で、まだ学校から正式の通知は来ないのだが、銚子局発の某軍艦および郵船会社の〇〇丸宛の無線通信により、畏(おそ)れ多くも天皇陛下におかれては、七月三十日午前零時四十分、ついにご崩御されたことを、ここに遺憾ながら発表する、国民として誠に哀悼の念に堪えないしだいであると述べ、いま我らは遠く千五百海里も離れた洋上にあるわけだが、母国にいる国民と同じように陛下の赤子(せきし)たる思いを胸に、八月一日午前十時二十五分──東京のちょうど八時──に先帝陛下の奉弔(ほうちょう)式を、または七月三十一日午後二時十五分──東京の正午──に新帝の即位祝賀式を挙行すること、ならびに今後は当分の間、行事および教習を中止し、音楽や唱歌や遊戯(ゆうぎ)を禁ずる旨を公表された。

ついに来た。もしやと思ったことが、ついに来た。言葉につくせない感情が湧いてきて、いまさらのごとく胸をふさぐ。寒い刃(やいば)の光が暗闇にひらめき、匕首(あいくち)を直ちにズバと胸元に突きつけられたような気持ちとでも言おうか。
かくて、自分らはその生涯に二度とない世界一周という革新的経験を試みつつある最中だったが、はからずもこの偉大なる荘厳で悲しみに満ちた国家的規模の革新を経験したわけである。

天子(てんし)崩ずるときは世の中もまた哀悼すると言われている。自分らも当分は敬虔(けいけん)な態度で筆を洗わねばなるまい。

帆繕(ほづくろ)い

巨大な黄色い帆柱(マスト)は三層の甲板を貫き、甲板から仰ぎ見るその頂(いただ)きは雲にも届きそうなほどで、かすかに揺れている。マストの涼しい影が長く甲板(デッキ)に落ちている。

維摩*5が堂にこもって無言の勤行をなすときのような静寂(しずけさ)が、八月一日以降、船内のいたるところをおおっていた。信号用のラッパはもちろん、士官の号笛(ごうてき)も、伝令管(ボイスチューブ)の鈴音(すずおと)も、すべて音という音は未練なく船の上からふるい落とされてしまった。一秒間六回以上の振動を空気にささやく発音体は禁止されたわけである。このクレタ島の迷宮(ラビリンス)*6のような、荘重な沈黙が保たれている練習船の上甲板(じょうかんぱん)で、かすかな、きわめてかすかなささやきが聞こえる。

*5: 維摩(ゆいま) - 釈迦(しゃか)の在家の弟子。初期の大乗仏教の経典の一つである維摩経(ゆいまきょう)にその名を残している。
黙して語らないことが意味を持つという「維摩の一黙、雷のごとし」など、禅と深い関係もある。


*6: クレタ島の迷宮(ラビリンス) - ギリシャ神話で、クレタ島のミノス王が牛頭人身の怪物ミノタウロスを閉じ込めたとされる迷宮。

練習生の実習科目として、帆縫(ほぬ)いなるものがある。鬼とも組みあって戦うぞという面魂(つらだましい)の豪の者が、甲板に座って、おぼつかない様子で糸で帆をつくろっている姿は、十五番の先が長い縫い針が厚い〇号のキャンバスを縫っていくときの小さなさっさっという音に聞きほれているように見える。手を縫った、指を刺したというような逸話を前の航海で残している二期生の古顔が、きょうは「君、ここはシツケをして一針(ひとはり)抜きにするんだよ」などと、さかんに裁縫の術語(テクニカルターム)を使う。自分の手塩にかけてどうやらできあがった新しい帆(セール)が初めて檣頭(マストヘッド)に高くかけられ、おりからの海軟風(シーブリーズ)に適度に湾曲して、快く船を押しやるのを見るときの快感と軽い誇らしい気持ちは、やったことのない者にはわからないと、髭男の一人が満足そうに見上げている。しかし、日焼けした黒く太い指をした髭面(ひげづら)の男が黙々と、危うげに仮縫(かりぬ)いをしたり、シツケをしたりするのを見るのは、かよわい女が力業(ちからわざ)をなすのを見るときに浮かぶような、ある種の複雑な感情にかられる。

君、こういうところを国のマザーやシスターに見せたら……と述懐する人の気持ちはどうであるか知らんが、自分はこの短い時間のうちに無限の憐(あわ)れさを感じて、真夏の夕暮れのような気分になるのである。

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現代語訳『海のロマンス』9:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第9回)。


水夫長と木工

「水夫長(ボースン)いなけりゃ夜も日も明けぬ、ましてこの船は動きゃせぬ──」
と気軽な若い一人の水夫が歌っている。

練習船を訪問し、水夫の会食部屋をのぞいた者は、日に焼けた髭面で童顔の小柄な一人の老水夫の周囲に、水夫長(ボースン)々々と親しげに多くの水夫が集まっているのを見ることだろう。水夫長の姓は神谷(かみや)といい、五十年ほど前に、三河のさる漁師の家に生まれたと言われている。

いったい船乗りはいつまでも男くささが抜けず、六十くらいまでは若々しく見えるが、この人もその例にもれず、五十をこえた今日このごろまで、かくしゃくとして若い水夫をしかりとばしている。見るからに貧相な小男だが、その身軽な動作は本当に巧妙で、目もあざやかな離れ業(わざ)を平気でやってのけ、そばにいる士官などをハラハラさせている。マストの上で、足で綱索(つな)を握って両手でむずかしい仕事をしたり、錨に抱きついたまま海面近くまで降りて錨鎖のもつれをとったりするのだ。この男、一九○四年に練習船が神戸の川崎造船所の船渠(ドック)で新造されて以来ずっと乗り組んでいるのだが、つい二日ばかり前に逓信省(ていしんしょう)*1の褒章(ほうしょう)制度によるメダルを貰った。

木工(カーペン*2)は姓を山内と呼び、こちらも練習船の名物男の一人である。「本船の大工は他船にみない優良なる者であるから……」と、常に一等航海士(チーフ)のおほめに預かっている人だ。バルカンの鉄槌*2の下に生まれたというような剛毛の髭に日焼けした黒い顔という不敵な面魂(つらだましい)で、気の弱い者は一目見てびっくりするくらい。

が、この男、面(つら)に不似合いな、やさしい涙もろい心を持っていて、水夫の間に不幸のあったときなどは率先してこれを救助し、誠の心の限りをつくすという変わり者である。

「いまどきの若いやつらのすることは手ぬるくってしかたがねえ」と罵倒する口の下から「無理ねえや、まだケープホルンはおろか紀州灘(きしゅうなだ)も玄界灘(げんかいなだ)*3も通らねえやつらだからなあ」と無邪気な哄笑(こうしょう)をするところなど、なかなかに愛嬌がある。

この人も前記のメダルを貰って、大臣から直接のご褒美(ほうび)だと子供のように喜んでいた。

脚注
*1:逓信省 - 明治時代の政府官庁。当時の役割がそのまま該当する現在の省庁は存在しないが、業務内容は現在の総務省と、民営化された日本郵政(JP)やNTTを併せた役割を受け持っていた。


*2:カーペンはカーペンター(大工)を指す。木造船や帆船の時代には、船大工が果たす役割は大きかった。


*3:バルカンの鉄槌 - バルカン半島にあるギリシャから東欧のブルガリアやクロアチアを含む広大な地域はヨーロッパの火薬庫と呼ばれ、戦火が絶えなかったことから。

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