ヨーロッパをカヌーで旅する 56:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第56回)
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カヌーを載せた牛車の行進はまもなく小さな町に入ったが、地名はわからない。通りに敷いてある大きな丸石を乗りこえながら、荷馬車ならぬ荷牛車がガタゴト音を立ててゆっくり進んでいくと、昼間で人の気配がなかった窓から、たくさんの人が顔を出した。ぼくらをのぞき見て、なんだか面白そうだ、もっとよく見ようと家から飛び出してくる。立派なホテルの入口まで牛が小舟を引いていくのは、確かにめったにお目にかかれない珍光景には違いない。主役となった殊勲の四つ足動物の名誉のために言っておくと、この牝牛はここでは由緒正しい淑女のごとき振る舞いをしてくれた。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 50:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第50回)
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波の高さが問題なのではない。これが海であれば、相当に大きな波であってもカヌーは乗りこえていける。だが、川のこういう場所では、カヌーを持ち上げる波自体は動かないのだ。じっとしている。が、カヌーの方はといえば、強い流れに押し流されてどんどん進んでいく。で、いきなりカヌーの下にあったはずの波が消えた。カヌーは大量の水のかたまりに突っこんでいく。浮き上がる気配はない。で、やはりこの疑問が残る。「この波の向こうには何があるのだろうか?」と。岩があったとしたら、カヌーもろとも一貫の終わりだ2

原注2: 当時、川でこういう風に波が急に盛り上がっているところでは、その先に岩などは存在しないという貴重な事実を、ぼくはまだ知らなかった。流路の先が狭くなって波が高く盛り上がっている場合、その背後では川は自由に流れている必要がある。でないと、こうならない。隠れている岩などの危険に関する限り、そういった場所は、むしろ安全なのだともいえる。これが、多くの似たような場所で何度も同じような目にあって得た、ぼくの結論である。
水に関する限り、ロイス川の出来事を忠実に表現したものをスケッチしてみた。水量が多くなるにつれて川の流速は増すが、流れそのものはスムーズになる。水が少なければ速度が遅くなって、あちこちでよどみが生じる。

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もう避けられないと覚悟したぼくは、歯を食いしばり、パドルを握りしめた。カヌーは真っ逆さまに明るい水の壁に突っこんでいく。尖った船首が水の奥深く突き刺さり、ぼくは無意識に目をつむった。大量の重くかたい水の塊が胸にのしかかる。首は水の冷たい手で絞めつけられているように息ができない。そうしているうちに、カヌーはやっと浮き上がりはじめる。

この緊迫した一瞬に、いろんなことが脳裏に浮かんだ。さっきとは別の小さい別の波にこずかれ、下方の渦にぐるぐる回転させられたりしたものの、やがて、最悪の事態がすぎたとわかる。ちっぽけなカヌーは大量の水に押さえつけられてはいるものの、少しずつ浮上していく。両手はまだ水圧で自由に動かすことができない。カヌーは大きな衝撃に身震いするようにして水面に浮かび出た。よろけながら岸辺に漂着する。荒れ狂っていた水流も、川岸では穏やかになっている。ぼくは手近な岩にしがみついて身体を休ませた。疲れ切って震えている神経と、生きているという喜びとが入り混じった奇妙な気持ちのまま、ぜえぜえと息を継ぐ。

身体や足にはものすごい水圧がかかったが、すべては一瞬のことだったので、スプレースカートの内側は、ほとんど水に濡れてはいなかった。身体の前側はネクタイにいたるまでびしょ濡れなのに、上着の背中側はほとんど濡れていなかった。幸運だったことに、カヌーにいつも取りつけている英国旗は一時間ほど前に下ろしてしまっていたので流されずにすんだ。

ともかく危機を脱して、一息いれる。また新たな気持ちで川下りを再開することにする。というのも、この先も大波の急流が続いているわけなのだった。とはいえ、最大の難所はすぎたので、この後は──こういう経験をした後では──難所だと言われるようなところは十分に用心すべきところではあるものの、そうたいしたこともないように思えた。そうして、やっとゆっくり休めるところまで到達した。ブレームガルテンという、ローマ時代からの由緒ある古い町だ。急流のロイス川が蛇行しているところに存在している。家々は川沿いの岩の上に建てられていて、ある洗濯婦の家の戸口でカヌーをとめたときも、そのすぐ脇を川が流れていた。カヌーを川から引き揚げると、そこがその家の台所になっていて、そのまま部屋を突っ切って反対側にある通りまでカヌーを引っ張って運んだのだが、その家の奥さんはよくできた人で、こっちの事情はよくわからないらしかったが、突然の闖入者(ちんにゅうしゃ)に驚いたり面白がったりしていた。

というようなわけで、平和な街の舗道にいきなりカヌーが出現したものだから、人々はそれを見て驚いたに違いない。やがて人込みができ、カヌーはホテルまで運ばれていった。宿は、お世辞にもほめられたものではなかった。翌朝、宿賃十二フランを請求された。相場の二倍だ。一日に二人も法外な料金を請求する宿屋の主人に遭遇したことになる。この二軒目の方は、交渉してなんとか八フランまでまけてもらった。

この古風なブレームガルテンの街には高い壁や堀や遺跡があり、翌日の早朝の散歩で見物して歩くだけの価値はあった。それから、またカヌーに乗って出発した。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 49:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第49回)
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で、そういう障害物がある場合には必ずカヌーから降りて、歩きながらカヌーを引きずって野原を迂回(うかい)するか、次のスケッチに描いたように、岩場を乗りこえ、カヌーをその先に下ろさなければならない。たいてい、こんな感じだ。
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ヨーロッパをカヌーで旅する 39:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第39回)


第七章

朝になると、大気に不思議な変化が生じていた。あたり一帯が白く濃い霧に包まれていた。これは「ぞくぞくするような川下り」ができそうだと思ったので、急いでこの乳白色の世界にカヌーを浮かべた。たとえば、橋の下をくぐるとする。人々の声がまるで頭上から、というか天から降ってくるように感じられるのではないかと思ったのだ。しかも、この霧は十一月のチェシャ―チーズほどにも濃厚で、それだけ興味深いものになりそうだった。川旅での霧は何度か経験しているのだが、今回は、つい目と鼻の先にあるカヌーの先端すらまったく見えない。こういう状況──何も見えないまま速い流れに乗って漕ぐという状況──は、まったく予想外だし、新鮮でもあった。何も見えないという状態が、大きな喜びを感じさせてくれる。

空想はいつも無限だ。しかも、脳裏に描く絵はいきいきとして、色もあざやかだ。結局のところ、外部の物体の印象というものは絵にすぎないと、哲学者たちも述べているではないか。景色など見えない霧中の川旅だとしても、頭の中で思い描きながら楽しめばよいのではないか、と。

音もそうだ。声はたしかに聞こえるのだが、魔女や妖精がしゃべっているようでもある。実際には、川岸で女たちが洗濯しながらおしゃべりしているだけなのだろうが。とはいえ、現実と空想の両方で姿の見えない人々の相手をしつつ、神経は極限まで集中させる。またも声が近づいてくる。これは、カヌーがまっすぐ岸に向かっているということだ。気をつけろ! そのうちに霧が晴れてくると、自然の景色の移り変わりが最も興味深いものの一つとなった。山や荒野の旅で、こうした霧に遭遇し、また霧のカーテンが急激に、あるいは徐々に薄れていくのを楽しんだ人は多いと思う。が、なにしろ自分が今いるところは、美しい川の上なのだ。

こうした様子についてうまく表現できればと思ってはいるのだが、なかなかうまく伝えられない。いわば、ターナーの一連の風景画のような景色が左右にちらほら見えたり、頭上に木々や空や城が一瞬だけ輝いて見えたりもした。それがまたベールに包まれ、すっかり隠れてしまったりもした。心の中で、そうした一連の景色をつなげて想像してみるしかない。たまに日光が差しこんできて現実の風景が見えたりもするのだが、それはまったくの興ざめだったりした。しまいには霧はすっかり晴れてしまったのだが、これは太陽神ソールが異様なほど暑い光線を投げかけて霧を払いのけ、自分を隠した恨みをはらしたのだろう。

このあたりのライン川は、土手が急な崖になっている。その向こうには、気持ちのよい草原やブドウ畑、それに森がバランスよく混在して広がっていた。もっとも、カヌーの川下りがそれなりに快適なときは、どんな景色でも好印象になりがちだ。やがて、森が深くなった。背後の山々は屹立していく。流れはどんどん速くなり、丘の上に点在していた家々はぐんぐん近くなり、だんだん都会風になってきた。と思うと、視界がパッと開けて、シャフハウゼンが見えてきた。その間も、不機嫌そうな川音が「前方に急流あり」という警告を発している。こういうところを航行する際は注意が必要だ。とはいえ、別に難所というわけではない。というのも、このあたりになると、蒸気船が通ってきているからだ。蒸気船が航行するような川は、むろん、カヌーにとっては何の支障もない。大きな橋のところまでやってくると、「ゴールデネン・シフ」(英語では、ゴールデン・シップ)という名前のホテルがあった。こういうのを見てしまうと、人は我知らず愛国者になる。というのも、名前はイギリスのもののパクリだし、隣接する壁には、なんとも微妙な一人のイギリス人の巨大な絵が描かれていた。その絵のイギリス人は、スコットランドのハイランド地方の民族衣装らしきものを着ていて、キルト特有の格子柄らしいのだが、イギリスではまったく見かけることのない柄なのだった。

ここでもカヌーは人々を驚かせた。が、その反応は今までにない新しいものだった。現地の人々が「どこから来たの?」とたずねるので、ぼくがイギリスからと返事をする。ところが、相手は、そんなことはありえないと、なかなか信じてくれない。ぼくがたどってきたコースでは、ドイツから来たとしか思えないらしい。

とりあえず宿を確保するという午前の作業はすぐに終わり、それからは一日中ぶらぶらと街を散歩した。太鼓や楽団の演奏が聞こえたので、そっちに行ってみると、そろいの制服を着た二百人ほどの子供たちの集団がいた。本物の銃を持った少年兵だ。命令を聞く合間にリンゴをかじったりしていたが、なかなか勇ましい一団で、歩調を乱す年少の子供をにらんだりもしていた。その子はまだ八歳くらいで、歩幅が足りず、行進についていくのに苦労していた。

連中は小競り合いを模した演習をしていた。ラッパではなく、小さなヤギの角で命令を伝えている。角笛は鉄道でも使われていた。音は明瞭で、遠くからでもよく聞こえる。イギリスの軍事演習でも、この手の角笛を使えば、もっとましになるかもしれない。

シャフハウゼンの滝の上にあるベル・ヴューまでは、わずか三マイルだった。そこまで行けば、気品のある景色が一望できる。ライン川のこの大きな滝は何年か前にも訪ねたことがあった。そのときの記憶よりはずっと立派に見えた。最初に見たときより二度目の方が印象が強くなる景色というのはうれしいものだが、珍しいことではある。夜になると、川はベンガル花火の光を反射して一段とすばらしかった。そして、沸き上がるような水の泡や絶えることのない豊かな水量の流れにその光が当たると、まるで光の川が流れ落ちているようで、魔法のような美しさと華やかさだった。そうした光景はホテルのバルコニーからよく見えた。ホテルにはいろんな国から大勢の旅行者が来ていた。ぼくの隣にはロシア人が、反対側にはブラジル人がいた。

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