ヨーロッパをカヌーで旅する 70:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

緑色)現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第70回)eyecatch_2019

ルミルモンには宿屋が一軒あったが、ひどいところだった。すべてに秩序がなく汚れていた。御者もぼくと同じテーブルについて遅い夕食をとった。彼はフランス流の洗練というものを見せてくれた。そういうものは、一人でいるときよりも、他に人がいるときに発揮されるものだ。また、本当の自己否定とか、堅い友情をためしたりするときに示されこともある。で、御者氏は五つの異なるコースの食事を注文し、ワインを飲み、果物やいろんなものを食べまくった。翌日に渡された請求書の金額は、二人分の宿泊費込みでちょうど三シリング四ペンスだった。この御者氏は聡明な男で、自分がよく知っている分野の話題となると、話にまったく如才がなかった。そして、ぼくらの会話がもう一つの世界の、もっと大きなことについての話になると、「あの連中も向こうでは幸福なんだろうね。だって、向こうに行って戻ってきた人なんて誰もいないからね」と言った。── ちょっと変わった考えの持ち主で、妙な言いまわしをする人だった。相手が話題に興味を持ったようなので、ぼくはそれについて書いてある冊子を彼に手渡した。すると、彼はすぐさま声に出して読み始めた5

原注5: 何日か前、知らない人がぼくに読んでみてくれと紙の束を渡してくれたことがあった。礼を言い、後で気まぐれにその束を調べてみた。三十枚ほどの大判の用紙を綴じたもので、政治や科学や文学や宗教についての論考が掲載されていた。一番最後のテーマが面白かった。なんとも巧妙かつ辛辣に、批判的な論じ方をしてあったので、それがぼくには面白かった。その雑誌は上質の紙にタイプ印刷したものだったが、印刷はイギリスで行われていた。週刊で出ているようで、どこでも十二冊につき六シリングで売られていて、各ページには「サタデーレビュー」というタイトルがついていた。

翌朝、つまり九月二十日の朝、カヌーを手押し車に載せて運んだ。例によって、すぐに人垣に囲まれた。この町に着いたのは昨夜だが、もう暗くなっていたので、いまぼくらを眺めている見物人は、どういう事情でこんな通りの真ん中に小さな舟がいきなり出現したのかについては何も知らない。で、どう反応したものか、とまどっている様子だった。もうこのあたりで川に浮かべられるんじゃないかと言う人もいれば、いや、あと一、二マイル先に行ってみるべきだと言う人もいた。朝食の前にあちこち歩きまわってモーゼル川については調べておいたので、ぼくとしては、今は乾季で水位は下がっているだろうが、ここからでも川下りはできるだろうと思っていた。で、運搬してくれる人にはそのまま先へ進むよう指示し、冷やかし半分の喝采を浴びながら川へと向かった。緑色のメガネをかけて白い帽子をかぶった一人の老紳士が興味津々といった様子で近づいてきて、自分はこのボートの航海についての記事を読んだことがあると言いながら、群衆に道をあけるよう命じてくれたので、もうからかわれたりすることはなくなった。

群衆は態度を一変させ──フランス人は移り気だ──ぼくに積極的に手を貸し、スタート地点に決めていた地点まで一マイルもカヌーを運ぶのを手伝ってくれた。なんとも迅速な対応で、皆が大声で「さよなら!」とか「よい旅を!」とか、あたたかい声をかけてくれた。

また透明な水の上をカヌーで漕いでいくのは楽しかった。水の透き通った川というは、ドナウ川以来だ。流れも安定していた。流速のないイル川やバーゼル運河では味わえなかった爽快さを味わうことができた。水辺の花が、苔むした岩の周囲にできたさざ波でゆれている。川岸はゆるやかな傾斜になっていて、草地が公園のように広がっている。果樹はたわわに実っている。半時間ほどの快適な川下りで、ソーヌ川やドゥー川ではなくモーゼル川までやって来た。ぼくは喜びを感じながらカヌーで川を漕ぎ下ることに専念した。

この川の水は非常に透明度が高く、冷たかった。深く長いよどみもあれば、せせらぎが聞こえる浅瀬もあり、川は曲がりくねって流れていた。この前までの運河に比べれば、魚や水鳥がいたり、木々や愛すべき草原があるというのは、何とも歓迎すべき変化だった。太陽の日射しも強烈だった。そのため、予備の帆を両肩にショールのようにかけて、強い紫外線に抵抗した。そうやって独りきりで、楽しさをかみしめながら、滑るように川を下った。浅瀬も数多くあった。パドルで懸命に漕いだのだが、この日にカヌーが川底につかえた回数は、これまでの航海のどの一日よりも多かった。カヌーの舟底がドシンとかズズズッといった感じで川底とこすれる。何度も何度もだ。そのたびにカヌーを降りて、水深のあるところまで曳いて行かなければならない。時には、上陸して野原を通り抜けたり、岩を乗りこえて進んだこともあった。とはいえ、ズック靴にフランネルのズボンといいうラフな格好だし、川にいるときは常に濡れたような状態なので、どうということもなかった。

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