ヨーロッパをカヌーで旅する 48:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第48回)
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ロイス川のもっと寂しい場所では、川の淵まで木々が繁茂し、その陰からカモがばたばたと羽ばたきしながら飛び出してきたり、山七面鳥とも呼ばれる大型のノガンがカヌーの上空をゆっくり舞っていたりした。空を飛んでいる鳥にはホオジロもいた。これはドイツ語で「アンマー」というが、英語のイエローハンマー(キアオジ)に由来している。またキジバトの仲間のモリバトや非常に美しいタカ類もいた。むろん、ここにはサギやカワセミもいたのだが、ドナウ川ほど多くはなかった。

朝の楽しい航海ではあった。イミルで橋をくぐり抜けるまで、特別なことは何も起こらなかった。イミルでは、宿屋は土手をずっと登っていったところにあった。厩務員がカヌーを厩舎に運び入れるのを手伝ってくれた。女主人はぼくが行きずりの客で再訪はないと知っていたので、最初の食事で四シリング六ペンスも請求した。というのも、ぼくは丸一日しっかり漕いだ時は普通の人の倍の量を食うからだ。

この後の川下りでは、土手は危険な小石や近寄れない岩壁になっていた。水路も複数に枝分かれしている。どこを通るかを即座に判断する必要があるため、ナビゲーションの面白さが増した。しかも渡し船用のワイヤーロープが川に張り渡してあったりもするので油断がならない。ロープが水平にピンと張られていると、それを手前から見つけたり、自分の目線でロープとの位置関係を正確に判断するのはきわめて難しいのだが、それはこれまで述べてきたことでもわかってもらえると思う。いわば、釣り船が何艘(なんそう)も舫(もや)われた浜辺を歩いていて、係留用のロープがあることがわかっていても距離感がつかめずに、うっかり鼻先をぶつけたりすることがあるようなものだ。

なぜそうなるのかと言えば、ある物体までの距離を判断する際、人は両眼で物体の表面を見て、左右の眼による見え方の差によって、つまり二枚の写真のずれを利用して立体画像を作るように、両者を比較して距離を判断するのだが、逆にそのために錯覚が生じてしまうのだ。つまり、それぞれの眼がその物体の面をそれぞれ見て、堅そうだとか距離がどれくらいあるかを脳が判断するのだが、頭をどっちに向けたとしても、水平に張られた丸いロープだと、両眼の視野の差を認識して差を出すことができにくい。

こういうことを長々と説明しても、読者は実感しにくいかもしれない。実際に川に張られたロープに頭を一、二回ひっぱたかれてみれば、「見えていたはずなのになぜぶつかったのか、その理由」を探ることが、楽しくはないにしても、少なくとも関心を抱く対象にはなってくるはずだ。というわけで、ぼくとしては「ロープを見たら、さわらぬ神にたたりなし」という教訓を得た。

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