現代語訳『海のロマンス』132:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第132回)

南米に向く商品

リオの人々にはまがいものを収集する傾向があるという例は、演劇(しばい)の代わりにお手軽な活動写真を好むことや、美術館で陳列されている作品に示されているのみならず、そのあふれんばかりの虚栄心を満足させてくれる贅沢品や骨董品の選び方においてもよく観てとることができる。

ルア・ノバ・ド・オビールの八番地に長野県人の塩川伊四郎(しおかわいしろう)という人が経営している日伯(にちはく)貿易商会というのがある。外国語学校第一期の出身者で、在ブラジルの邦人間に南米通として認められている古株である。とある午後、例の珈琲(コーヒー)店でウーロン茶をすすりながら、塩川氏から聞き得た堅実な日本とブラジルの貿易についての話と、リオ市における邦人経営の商店の中で最も目立っている山縣商会の商況とを総合してみると、南米における本邦唯一の輸出商品である陶器、磁器、漆器の前途はいまだ楽観できるような状況ではない。

『草枕』に、日本は巾着(きんちゃく)切り*の態度で美術品を作る、西洋は大きくて細かくて、そしてどこまでも娑婆(しゃば)っ気がとれない、という文句があったように記憶する**。なるほど、柴垣(しばがき)に囲まれた四畳半の茶室で、紫檀の机や中国製の花毯(かたん)***、それに南宋画の軸に鼻をつきあわしては、巾着切りの態度で作られた日本美術品もよかろうが、こうやって日本とはちょうど裏表になっているブラジルくんだりまで流れてきては、大きくて細かくて、そうしてどこまでも娑婆(しゃば)っ気のとれない西洋の方がうらやましくなる。

* 巾着切り スリのこと。巾着は小物を入れる携帯用の袋。
** 夏目漱石の『草枕』の八。ほぼ正確に引用してある。漱石の芸術観が画家の目を通して語られるところで、作者はブラジルでの体験からそれに異を唱えている。
*** 花毯(かたん) 絵模様を編み込んだつづれ織りのタペストリ。

ドイツやイタリアやスウェーデンなどの向こうを張って外国向けの陶磁器をさらに海外発展させようと計画するのであれば、いきおい「世俗を離れて気の向くまま」などと、風流におさまってはおられぬ。他人の国で外国の飯を食って異人種の財布からお金を出させるには、あくまで娑婆(しゃば)っ気があって、あくまで通俗でなければならぬ。清廉(せいれん)だとか脱俗だとかいっておっては、手をこまねいて自滅を待つようなものだ。早晩(そうばん)、舌が乾き、顎(あご)が干上がるにきまっている。日本人は商業的道徳観念が乏しいという非難はしばしば聞くところである。もっともである。しかし、ぼくはこう信じる。日本人はまがいの九谷焼(くたにやき)を作りながら、本物のような顔つきをするから悪い。これからはドイツのように、贋物(にせもの)でございと堂々と銘うって「粗悪な実用品」を売り出すがよかろう。

要するに、今日では残念ながら、まだ娑婆(しゃば)っ気が少し足りないようだ。こわごわ巾着切りをしているようだ。もう少し肝をすえて大胆に切るがよかろう。

いくら日本の美術品の評判がいいからといって、「純なる骨董品」として「鑑賞目的のみ」で外国の閑人(ひまじん)の間にのみ珍重されるだけでは、すこぶる心細いものである。そうそういつまでも、移り気な彼らがひいきにしてくれるとは限らない。また、そう皆が皆まで四畳半の茶人式の趣味性の者ばかりでもあるまい。この際、大いに俗気を出して実用向き輸出向きの陶器業、漆器業を勃興せしめなくては、重要な日本の輸出品として大いに前途に期待を集めて注目されたかいがない。それには大製造場(会社でも組合でもよい)をドシドシ起こして、廉価(れんか)にして需要が多い実用的な陶磁器を生産するよう努めるのがよかろう。科学的な製造方法のもとに、堂々と贋物(にせもの)の商標(レッテル)付きで、九谷や伊万里(いまり)のまがいものをドシドシ輸出するがよかろう。

現に、山縣商会では、同じ九谷物でも五枚一組が十二ミル(八円)から三枚一組五十ミル(三十二円)のまがいものの皿小鉢が盛んに売れて、大物の花瓶(かびん)やこりすぎた茶器一式の高価な美術品は売れ行きがふるわない、とのことである。故(ゆえ)に、ブラジルのような成金党の多い国に向く商略としては、なるだけ廉価な対価を払うのみで、たやすく彼らの骨董趣味や虚栄心の満足を与えられるように、できるだけ低いパーセンテージの輸入税の下にできるだけ運賃の安い航路をとって、科学的に製造した骨董品(クューリテ)を輸出しなければならぬ。現今、ブラジル国の陶磁器に課する輸入税率は十五割という法外のパーセンテージであるが、粗成品(そせいひん)に対してはその半ばにすぎないので漆器とか扇子(せんす)とかいうものは、木型や漆や骨や紙を別々に輸入してブラジル国内で邦人の手で(ブラジル国は極めて人件費が高いため)製作販売を営むがよかろう。もっとも陶磁器に対しては内容物の重量の二割は船積みの破損リスクとして課税を免除されることになっている。

ところが商業学の原則としては、生産不足等を予想して外国製品を輸入する見越し輸入なるものは最も忌むべきもので、往々にして、そのために商機を逸(いっ)することがある。この機会に、なるべく連絡輸送が煩雑にならないように、貨物輸送の直通航路を開始する必要がある。今日においては同業の荷主はジャーマンロイド汽船会社に委託輸送を特約してハンブルグで積み替え(以前はジュネーブだったが、期限満了したため)、英国のローヤルメイル航路その他にて輸送しているが、所要日数は八十日、運賃では一トン七十五シリングを要するとのことである。一、二の社外船のほか有力なブラジルの定期航路を有せぬ日本海運界は諸般事情に留意して、パナマ運河開通の暁(あかつき)には大いに活躍するところがあるはずである。

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