現代語訳『海のロマンス』121:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第121回)

白川大路(アベニュー・ブランコ)の美人

南半球の心地よい秋の涼感を肌に味わいつつ、カフェの「店前のテーブル(テラス)」によって、見目美しく静かにリオ・ブランコの美しき人道(フットパス)をよぎる美しき女の群れを見るよりも美しきものはあるまいと思う。

静かに眠れるときの美しさを忍ばせるに足る。やさしい、情けある、長いまつげの奥に、ただ黒曜石とばかり輝ける黒い瞳が憂(うれ)いを含んで静かに動くさまは、まだ見はてぬ美しき夢に憧がれるようである。このラテン型の美しく大きな眼をさらに大きく、さらに愛くるしく見せんがために、黒いアイラインを入れて眼をくっきり見せた女が、わき目も振らずクジャクのように傲然(ごうぜん)と過ぎる。

舞踏服(ボールドレス)にもまがうような派手なワンピース(フロッグ)にわずかに身を包んで、見る人の官能をそそるがごとく、わざと白い襟筋(えりすじ)やなよやかな二の腕を露わにした女。黒いビロウドのサテンに錦繍(モール)を縫いとった女。スコッチ風の重々しい黒絹のスカートの下から燃ゆるような深紅の下袴(ペチコート)をひらめかす女。リヨン絹のなまめかしい腰帯(ガードル)からローズやカーネーションの造花を長く垂るる娘。目もさめるような青絹の上着(ガウン)を自慢げにはおれる奥様。

装飾された町を、ただ暇つぶしにしゃなりしゃなりとそぞろ歩く、驕(おご)れる女のさてもおびただしきことよ。リオの女はその巧みなる化粧法をひけらかすがために、その高価なる服装を見せびらかすがために、そのしなやかなる嬌態(きょうたい)を写真に撮ってもらわんがために、老いやすき青春をいたずらに街頭(まち)に空費して悔いざる虚栄の生き物であると、ある本に見えているのも無理はない。

しかし、思うにブラジルの女ほど、化粧が上手で表情が下手な女は他に多くあるまい。人は――彼らの南欧的なつぶらな美しい眼と、赤い小さい蕾(つぼみ)のような唇と、夢のごとくかすめる月の眉とを見た人は、かかる結構ないろいろの道具を具備せるにも似合わず、彼らの表情が拙劣で冷淡であるのを知って、意外と失望の感にうたるるであろう。

しかし、昔から豪華絢爛(ごうかけんらん)たる衣服で身を盛装(かざ)って、化粧に熱心な美人は、とり澄まして、いわれなき微笑(ほほえみ)を漏らさざるものと相場は決まっている。されば、わがリオの女はこの点において美人たるの重要な資格を具(そな)えているのかも知れぬ。

『吾(われ)盛装するとき吾(わ)が宿六(やどろく、夫)は人前にて鼻を高くするを得、吾(われ)巧みに化粧するとき吾(わ)が宿六は宴席において幅をきかすを得。さらば吾(われ)わづかな美衣宝玉(びいほうぎょく)の故をもって彼(か)れ宿六を悩ますといえども、宿六においてなんぞこれを拒(こば)むを得んや。』

『吾(われ)、午前の二時に舞踏場(ぶとうば)より帰り、十一時に目覚め、午後の半日を化粧三昧(けしょうざんまい)についやせばとて、なんぞ吾(わ)が宿六をして苦情(ぐづ)つかしめんや』

という立派な気位を持っている女ばかりである。

されば、リオ女に、アメリカンガールのごとき表情はこれを求むるに由(よし)なく、ケープタウン娘のごとき落ち着きを見いだすに難きはもちろんである。

彼らは享楽の女である。盛装することに熱中する人々である。虚栄の生き物である。されば美都リオデジャネイロの公道をほとんど半裸体の放逸的な出で立ちで踊り歩く女の多いのも、あるいはスカーフ(クラバット)や手袋(グローブ)を用いない外出姿の淑女の多いのも、あるいは一回に百ミル(六十五円)の髪結い料を要するそのヘアスタイルを見せるがために、わざと帽子(ボンネット)をかぶらない女の多い理由(わけ)も、あるいは白き指に燦(さん)として輝く指輪を誇らんがため冬でも手袋をはめる奥様のない理由(わけ)も、あるいは夏でも自慢げに立派な外套(オーバー)を持って歩く旦那様の多い理由(わけ)もすべて氷解するであろう。

かくいろいろの理由(わけ)は苦もなく氷解しても、独り苦しいのは宿六殿の財布である。亭主独りが寂寞(せきばく)である。しぼるものは、かくすさまじい気位をもって、父母から生まれる以前に既得した権利を行使する勢いで傲然(ごうぜん)と振る舞うのも、振る舞われる者こそ災難である。財布の重みには限りがある。奢侈(しゃし)虚栄(きょえい)の欲求には限りがあるとは思われない。

かかる窮境を救済する目的と使命とを持って、まがいものなる者は生まれてくる。ゴムが真珠のごとく光り、ガラスが紅玉(ルビー)のごとく輝けるは、すなわちこれである。

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