現代語訳『海のロマンス』94:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第94回)

セントヘレナを奪取する方法

「……なあにわけはないさ。この島を奪取(と)るにはね……」
ちょっと驚かされる。
こいつ、なめてるなと、さっそく眉(まゆ)に唾(つば)をつける。
「……二つの急所がある。一つは南側のサンデイ湾から上陸し、その他はシューダー岬(ポイント)の裏手からこっそり失敬するのさ……」
Town of St James, Island of St Helena (1794)
海から見たセントヘレナ島のジェームズタウン(作者不詳、1794年)

十八ポンド砲*を二、三門、十二ポンド砲を数門、野ざらしに押し据(す)えた旧式の後装砲(きこうそうほう)**の砲坐(バッテリー)の前に立って、その歴史的な由来(ゆらい)について一通り講釈した後、彼はしごく真面目(まじめ)にこう話しだした。彼とは、セントヘレナのラダーヒル駐屯(ちゅうとん)要塞(ようさい)砲兵の○○君である。猫にもれっきとした名前のある世の中に、○○君などとむげに侮辱(ぶじょく)されては、本人が聞いたらさぞ牙(きば)を鳴らしてくやしがるだろうが、忘れたものは仕方がない。

* 十八ポンド砲: 砲弾の重さが18ポンドの大砲。ポンド数が大きいほど大型で威力がある。現在は口径を基準にした…mm 砲という呼び方が一般的。
** 後装砲(こうそうほう): 銃口(先端の穴の空いているところ)ではなく砲身の最後部から砲弾と火薬を充填する方式のもの。

実は、彼が「ラダーヒルの砲台は一七九七年にはじめてブルーク総督の指揮の下に築造したもので、スエズ運河開通前は堂々たる要塞であったが、現今(いま)は純然たる骨董品にすぎん」とか、「もっか山上のバラック(兵舎)にいる砲兵はおおよそ五十家族、皆のんきに家庭をかまえている」だとか、今信号用のアンテナ(スタッフ)が立っているところは、昔はお仕置(しお)き場で、無念の形相をした青白い顔がたくさん絞架(ギベット)*からぶら下がっているのを見上げて、ジェームズタウンの全市民は思わずブルブルと戦慄(せんりつ)したとか神妙に話しているうちは、こっちも先方に劣らぬ神妙さで、なんでもフランクとかジョージとかいった名前をしっかり覚えていたが、急に前記のようなちゃらっぽこ(でまかせ)を言い出したとき、不思議にもおこりを落とした病人のようにきれいに忘れてしまったのだから……どうも仕方がない。

* 締架(ギベット): いわゆる断頭台(フランス語でギロチン)のこと。
ちなみに、ギロチンは貴族に対する処刑方法で、人間が刃物で首をはねる際、首切り役人の腕が悪いと非常な苦しみを与えてしまうため、一瞬にして確実に切断し「苦痛を少なくする」人道的な装置について医師で政治家のギロチン氏(ジョゼフ・ギョタン博士)が提案し、依頼を受けた外科医が設計したとされる。

こんなに腹の中でさかんに軽蔑(けいべつ)されているとも知らぬ○○君は、……実はこれから南方へ約二マイルばかりのところにハイノートという高地に砲台があって、比較的新式の旋回砲があるが、さらに恐るるにたるものではないとか、盛んに見当違いの怪気炎(かいきえん)を吐いておった。こんな非愛国的な変人を相手にひまどっていては、今にセントヘレナ特有の急激なスコールをくらうに違いないと、挨拶(あいさつ)もそこそこにスタコラと険(けわ)しい七百の石畳(いしだたみ)を逆落(さかお)としに馳(は)せ下った。

後で、あのバラックには一九〇〇年から一九〇二年の項に、この島に抑留せられたボーアの残党が少なからず立てこもっていると聞いて、○○君もてっきりその一人と判明(わか)っては、いまさらながら「なんてこった!!」 ところが船に帰って、友達から、この「なんてこった」ではすまされん話を聞いて、そのために物事を総合して理解する能力にとぼしいぼくには、何が何だかさっぱりわからなくなった。その友達の話はこうだ。

ジェームズタウンの港務部長(ハーバーマスター)といえば、この島では相当に名前の知られた顔役であろうが、この港務部長が「君は聖書(バイブル)を読んだか」と友にたずねた。聞かれた友達はいずれまた例の宗教的うぬぼれの強い白人の自慢話(じまんばなし)くらいに解釈して「読んだ」と答えた。

これが口切りとなって、ジャイアント・キリングの由来となったとされる聖書における若いダビデと巨人ゴリアテの戦いの話になり、それが日露戦争に例(たと)えられ、とどのつまりが、そういう日本であるから(つまり、ゴリアテたる大国のロシアにダビデたる小さな日本が勝ったのであるから)、今後いつなんどき、この島を奪(と)りに来るかも知らん……。しかし、少しもかまわん、正々堂々たる勝負の後に、もしも旭日旗(きょくじつき)がユニオン・ジャック(英国の国旗)を打ち倒したならば、そのときはすぐ快(こころよ)くこの島に熨斗(のし)をつけて日本へ献上(けんじょう)する、決して卑怯未練(ひきょうみれん)なアングロ・サクソンではないと、意気軒昂(いきけんこう)であったそうな。

一種の生命力(ライフフォース)たる遺伝的習性はなるほどえらいもので、一五〇二年にノバカステロにより発見されてから、あるいはポルトガル、オランダ、あるいは英国というように、種々さまざまの主権者を迎え入れてきたセントヘレナ島の「強者には逆ら(さから)わない」という精神(スピリット)は、二〇世紀の今日まで三千の島民に祟(たた)るとみえる。強者の権利(力は正義=マイトイズライト)とは四十七平方マイルの一小島(いちしょうとう)に広がっている大気の色彩であろう。

しかし、過去の追憶(ついおく)にのみ生きているような、こんな小さな島など、くれるといったってこっちの方でご免をこうむって、さっさと逃げ出したくなるほどである。せっかく親切に教えてくれた○○君の、敵の裏をかく戦術など糞くらえ、ナポレオンに裸足(はだし)で逃げろ的な妙計(みょうけい)も、かくしてついに施(ほどこ)すにいたらなかったのは、ちょっと残(のこ)り惜(お)しいような気もする。

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