スモールボート・セイリング 〜 スモールボート・セイリング(その5)

Small-Boart Sailing (5)

ジャック・ロンドン著
結局、こういう厳しい出来事というものは、小さな船でのセイリングで最上の部分である。振り返ってみれば、そうしたことが楽しさにメリハリをつけてくれたのだと思う。小さな船での航海では自分の勇気や決意が試されたり、また神様に恨まれていると思いこむほど悲観的になったりもするのだが、後になってみると、そう、後になってみると楽しい記憶として思い出されるし、小さな船で帆走している仲間のスキッパーたちとの交流にもなつかしさを感じるのだ!

狭くて曲がりくねった沼沢地。潮が半分引いて出現した泥の海。近くの皮なめし工場のタンクから出る廃液で変色し濁った海。両岸のいたるところに点在する荒れ果てた果樹園の陰で草が生い茂っている湿地帯、倒壊しそうな古くこわれた波止場。そうした波止場の先端に係留されている白く塗られた小さなスループ型のヨット。ロマンティックなところは微塵もない。冒険の香りすらしない。小型艇でのセイリングでよく語られる楽しさとは裏腹の、絵に描いたような見事に逆の現実。クラウズリーと私にとっては、それは朝食を作り、デッキを洗うといった、つつましくも地味な朝ということになるだろうか。デッキ洗いは私の得意技だが、デッキの向こうに広がっている汚れた海面を見たり、ペンキを塗ったばかりのデッキを見たりしているうちに、やるきが失せてしまう。で、朝食後、チェスを始めた。潮が引き、ヨットが傾き始める。だが、転げ落ちそうになるまでチェスを続けた。傾きがますますひどくなったのでデッキに出てみると、船首と船尾の舫い綱がピンと張っていた。傾いた船の様子をうかがっていたところ、急にまた傾いた。綱は限界まで張りつめている。
「船腹が海底についたら傾きもとまるさ」と私が言った。
クラウズリーは舷側からボートフックで水深を測っている。
「水深七フィート(約二・一メートル)」と彼は言った。「深いところと浅いところがあるが、船がひっくり返って最初に当たるのはマストだろうな」

船尾の係留ロープから不気味な、かすかに切れる音がした。見てみると、ストランドがすり切れていた。おおあわてで船尾から波止場にもう一本のロープを渡して結ぶのと同時に、元のロープが切れた。船首側のロープにも一本増し舫いをしたが、最初に結んでいたロープが音をたてて切れた。その後の作業と興奮は地獄絵図さながらだった。

私たちは舫い綱の数を増やしたが、ロープは次々に切れていき、いとし愛艇の傾きはますますひどくなった。ありったけの予備ロープを使った。帆の展開に使うシートや帆を揚げるハリヤードも外して使った。太さが二インチもある綱も使った。マストの上部や真ん中あたりなど、いたるところにロープを結びつけた。懸命に作業し、汗をかき、神が自分達を呪ってるんだと互いに本気で言いあった。地元の連中が波止場にやってきて、じろじろ眺めている。クラウズリーが巻きとったロープを傾いたデッキから汚いヘドロに落としてしまい、船酔いした蒼白な顔で引きあげていると、地元の連中が大声ではやしたてたので、私は、彼が波止場に登っていって人殺しするのをかろうじて阻止した。

スループのデッキが垂直になるまでに、ブームリフトの下端をほどいて波止場の係船柱に結びつけた。一方の端はマストヘッドに導かれている。滑車とロープを組み合わせたテークルでピンと張った。ブームリフトは鋼線だ。これなら荷重に耐えてくれるだろうと確信したが、マストを支えているステイの保持力についてはそうは思えなかった。

引き潮はまだ二時間は続く(潮が大きい時期だ)し、となれば、また潮が満ちてきてスループが無事に起き上がるかどうかわかるまであと五時間はかかるということだ。

● 用語解説
スキッパー: 小型船の艇長
ボートフック: 舫先端が鉤(カギ)状になった竿
ストランド: より糸。細い糸を束ね、より合わせて太いロープが作られる
ブームリフト:  マストトップからメインセールのブーム(帆桁)を吊っているロープ

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