スナーク号の航海 (90) - ジャック・ロンドン著

ある日、ボーイのナカタがアイロンをかけようとして誤って自分の足をアイロン台代わりに使ってしまい、ふくらはぎに長さ三インチ、幅が半インチのやけどを負ってしまった。ぼくが自分のひどい体験から昇こうを塗るよう勧めると、彼も苦笑いし、最高の微笑を浮かべて拒否した。ぼくの血筋では問題であっても、ポートアーサーの誇り高き日本人にしてみれば、こんな病原菌なんか屁でもないと、上品かつ穏やかにぼくに教えてくれたわけだ。


来訪者たち――ソロモン諸島イザベル島のメリンゲ礁湖

コックのワダはボートで上陸する際に、ボートから飛び降りて、押し寄せる波からボートを守ろうとして貝殻やサンゴで足を切ってしまった。ぼくは昇こうを塗るよう勧めた。が、またしても奥ゆかしい微笑でやんわり拒否された。自分の血筋はロシアを打ち負かし*1、いつの日にかアメリカをも打ち破ろうかというものであり、そんなちっぽけな傷すら治せないのであれば、メンツもまるつぶれで切腹も辞さない、といった誇りを抱いていると知らされた。

というわけで、しろうと医師としてのぼくは、自分の傷を治してみせたのにもかかわらず、自分の船においてすら、まるで信用がなかった。他の乗組員たちは、ケガの原因や昇こうを用いる治療に関しては、ぼくをある種の偏執狂者だとみなすようになっていた。自分の血筋が純血ではないからといって、ほかの誰もがそうだと考えるべき理由はない、というわけだ。それからは、ぼくも、こうした提案はしなくなった。ぼくの味方は時間と病原菌で、いずれそれがはっきりするときまで、ぼくにできるのは待つことだけだった。

数日後、「この傷にはなんか変なところがあると思うんだ」と、マーティンがおずおずと切り出した。ぼくは起き上がりもせず無視してやった。彼は「傷口を洗ってやれば、よくなると思うんだ」とも付け加えた。

さらに二日が過ぎた。が、傷はそのままだった。ぼくは、マーティンが自分の足全体にお湯をかけているのを見た。

「お湯なんかじゃねえよ」と、彼は憤然として言った。「医者のくれる薬より効くと思ったんだ。これで朝になれば、よくなってるさ」

だが、朝になっても、彼は顔をしかめていた。勝利のときが近づいているのをぼくは知った。

その日も遅くなって、「その薬をちょっとためしてみようかな」と彼が言ったのだ。「効くと思ってるわけじゃないんだが」と、彼はあいまいに語をにごした。「ともかく、ためしてみようと思うんだ」

その次には、誇り高き日本人の血を引く二人がひどい苦痛に耐えかねてやってきた。ぼくは悪の報いに徳をもって応じた。つまり、二人に同情しつつ、どういう治療をすべきかを事細かに説明してやったのだ。ナカタはだまって指示に従った。彼の傷は日ごとに小さくなった。ワダは関心が薄く、治りも遅かった。とはいえ、マーティンはまだ疑っていた。すぐに治療をしなかったために、医者の処方が正しいという思いこみをさらに強めることになってしまったが、同じ処方が誰にでも有効であるということにはならないのだ。彼自身については、昇こうは何の効果もなかった。おまけに、それが正しい治療であると、ぼくにわかるはずもないのだった。ぼくには経験がなかったし、自分に使ったときはたまたまうまくいったというだけで、それだけでは、どんなときも治癒するという証明にはならない。偶然もあるからだ。この傷を治する治療は疑いもなく存在したし、本物の医者にかかったときに、その処方が何なのか、それでどうなるかがわかるということなのだろう。

ぼくらがソロモン諸島に到着したのは、その頃だった。ぼくら病人に治療や療養について何かを示してくれる医者はいなかった。ぼくは人生で初めて、人間というものはどんなに虚弱でデリケートなのかを身をもって知った。スナーク号の最初の泊地はサンタアンナ島のポート・メアリーだった。一人の白人の貿易業者がやってきた。名前をトム・バトラーといい、どんなに丈夫な男でもソロモン諸島ではどうなってしまうかを見事に示していた。彼は自分の捕鯨船で横になったまま死にかけていたのだ。顔には笑顔一つなく、知性も感じられなくなっていた。骸骨のような憂鬱な顔をして、笑うことを忘れているようだった。ひどいイチゴ腫もわずらっていた。ぼくらは彼を引きずってスナーク号に乗せた。健康状態はよく、しばらくは発熱もないと、彼は言った。腕をのぞけば何も問題はなく体調は悪くなかった。問題はその腕で、どうやら麻痺しているようだった。
彼は苦笑いしながら、麻痺については否定した。以前にわずらったことがあるが、もう回復したというのだ。サンタアンナ島の原住民によくある病気だと言いながら、動かない腕をだらりと下げたまま、体を支えられ、船室に通じるコンパニオンウェイのステップをよろよろと降りていった。これまでにも少なからぬ数のハンセン病患者や象皮病患者をスナーク号に乗せたことがあったが、これまで遭遇したこともないほどぞっとする怖さを感じさせる客だった。


ソロモン諸島ウギ島のエテエテの村

*1: スナーク号の航海に出発する数年前に起きた日露戦争(1904年~1905年)で日本が勝利したことを指す。ジャック・ロンドン自身もこの戦争の取材で来日し、スパイ容疑で逮捕されたりもしている

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です