スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (19)

サンブル運河とオアーズ運河: 運河を航行する船

翌日、ぼくらは遅くなってから雨の中を出発した。判事は傘をさして水門の端まで見送ってくれた。スコットランド高地をのぞけば、めったにこうなることはないのだが、ぼくらは今は天候についてはおそろしく謙虚になっている。ちらっとでも青空が見えたり日が差したりすると、それだけで鼻歌を歌いたい気分になった。ぼくらにとって、豪雨でなければ、その日はほぼ晴天とみなされるのだ。

運河では次から次にやってくる荷船が長い列をなしていた。その多くは、タールで固めた上に白や緑の塗料を塗ってあり、こぎれいで整頓されていた。鉄製の手すりがついていたり植木鉢が花壇のように並べてあったりもしている。スコットランドのキャロン湖付近で育った子供と同じように、船の子供たちも雨が小降りになると甲板で遊びまわっていた。男たちは船べりごしに釣り糸を垂れ、傘をさして釣っている者もいた。女たちは洗い物をしていた。すべての船で雑種の犬が番犬として飼われていた。そうした犬はぼくらのカヌーを見ると吠えまくり、船上を端まで追ってきて、次の船にいる犬に知らせて交代するのだった。その日は漕いでいる間ずっと、通りに立ち並ぶ家のように続いている百隻からの荷船とすれ違ったはずだが、そのうちのどれ一つとして、ぼくらを楽しませないものはなかった。ちょっとした動物園のようだなと、シガレット号の相棒が言った。

こうした運河に並んでいる船でできた、ささやかな村のようなものは、なんとも奇妙な印象をもたらした。植木鉢や煙の出ている煙突、洗濯物や食事の様子など、その土地の景色として根づいているように思えるのだが、その先にある水門が開くと、次々に帆を揚げるか馬に引かれて、てんでにフランス各地に散っていくのだ。一時的に形成されていた集落は家ごとに切り離されて、また散っていく。今日サンブレ運河やオアーズ運河で一緒に遊んでいた子供たちは、それぞれの家族と共に散り散りになり、次はまたいつどこで出会うことになるのだろうか?

しばらく前から、こうした荷船がぼくと相棒の話題の中心を占めていて、ぼくらも年をとったらヨーロッパの運河に船を浮かべて生活しようというような話をしていた。とてものんびりした旅になるはずだ。蒸気船に引かれて駆け抜けるように進んだり、小さな分岐合流地点で引いてくれる馬が到着するまで何日も待ったりするのだ。ぼくらは膝まで届く白いひげをはやし、年齢を重ねた者に伴う威厳をたたえて甲板を行ったり来たりしていることだろう。どこの運河でも、ぼくらの船ほど白いものはなく、ぼくらの船ほど鮮やかなエメラルドの色をしているものがないというように、ぼくらは絶えずペンキを塗ったりして忙しくしているはずだ。船室には本やたばこ入れや、十一月の日没ほどにも赤く四月のスミレほどにも香り高いブルゴーニュ産のワインが置かれている。リコーダーのようなフラジオレットもあるずだ。シガレット号の相棒は星空の下でそれを手に陶然とするような音楽を奏したり、それを脇に置いて――昔ほどの美声ではなく、ところどころ声をふるわせながら、あるいは自然な装飾音と感じられるものを織り交ぜながら――豊かで厳粛な賛美歌を歌ったりする。

こうしたことはすべてぼくの想像だが、こうした理想の家の一つに乗って外国を旅してみたいと思った。船は次から次へと通るので、選ぶのに不自由はない。また、そうした船では、きまって犬がぼくのような放浪者に吠えかかってくる。とはいえ、やがて感じのよい老人とその妻がぼくの方を興味深そうに眺めているのが目に入った。それで彼らに挨拶をし、カヌーをそばに寄せた。まず彼らの犬について、猟犬のポインターのようですねといった話をした。それから奥さんが育てている花を褒め、彼らの送っている生活がうらやましいと言ってみた。

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