ヨーロッパをカヌーで旅する 75:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第75回)
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ナイフをまた失くした。くやしい。今日は一日、憂鬱な気分だった。イギリスを出発するとき、カヌーには三本のナイフを積んでいた。そのうちの一本は連絡の手伝いを頼んだ人にお礼として提供した。一本はうっかり落としてしまった。何度か跳ねたりしたのだが、つかむことができず、川に落ちてしまった。カヌーではナイフにはちゃんとラニヤード、つまりヒモをつけておけというのが教訓だ。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 74:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第74回)
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カヌーで川下りしながら、川沿いの景色にも慣れ、流れにも気をつかうべき難所がなくなってくると、気持ちはどうしてもそこにいる動物や鳥たちに向かうことになる。五分も眺めていれば、きっと楽しいものと出会えるはずだ。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 73:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第73回)
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第十三章

川は葉の茂った枝々がアーチ状に伸びた下を流れていた。水深があり、穏やかだった。長く伸びた草にロープを結んでカヌーをつなぎとめ、こわばった両手両足を思いっきり伸ばして体を休めた。ワインやパンはまだ残っている。ハチや蝶が飛んでいた。カブトムシやネズミもいた。ほんの半時間ほど休憩しただけだが、空中や水辺でさまざまな生き物を見ることができた。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 72:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第72回)
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ここでまた洗濯女たちのことに話を戻したい。というのは、イギリスの川には、こういった岸辺に設置された浮桟橋の洗濯場などはないのだが、ヨーロッパ大陸の河をカヌーで下っていると頻繁に出くわす。

ヨーロッパの東の方にある国々ではよく知られているが、噂というものはこういうところから広がっていくのだ。季節がもう少し寒くなると、それが床屋に移動し、そこでさかんに政治談議がかわされたりする。というわけで、川の近くでは洗濯用の浮桟橋が女性たちの社交の場になっている。

川を下っていて集落が近くなると、その集落がどんなところか気になるが、川辺に設置された洗濯用の浮桟橋の規模や装飾で大体の見当がつく。一か所に五十人もの女たちがずらっと並んで洗い物をしているところも珍しくない。洗濯場で洗い物をしている女たちを見れば、その土地の女性たちの様子がわかる。彼女たちは洗い物をしながらおしゃべりに興じ、話をしながらも手を休めず洗い物をたたいたりこすったりしている。周囲に気を配っている者もいて、カヌーで通りかかったりすれば見のがされることはまずない。

集落が小さくて専用の浮桟橋がないようなところでは、女たちは岸辺にしゃがんで作業をしている。カヌーの方でも、かなり遠くから彼女たちを見つけることができる。川が曲がっていて先の様子が見えなくても、バシャッ、バシャッという単調な音が聞こえてくると、きまって二、三人の女たちが洗濯をしていたりした。地味な格好をした中年の婦人たちだ。顔は日に焼け、帽子をかぶり、「下着」をしぼったり、たたいたり、ごしごし洗ったりしている。生地がいたむのではと気になるほど、激しくやっている。まあ、それ自体はフランスの繊維業界にとって歓迎すべきことなのかもしれない。ぼくのシャツは丈夫な毛織物なので、こんな風に乱暴に扱われても大丈夫だとは思う。

そういう洗濯をしている婦人たちを見かけると、ぼくはいつも声をかけるようにしている。帽子をとり、陸上で出会ったときの挨拶と同じ要領で左足を引く。とはいえ、カッパを着ていたりするので、せっかくの優美な姿勢をきどっても相手に見えることはないのだが。川を旅していて、こういう洗い場になっている浮桟橋を見かけたら、ちょっと立ち寄って五分でも話をしてみるといい。何か貴重な情報が得られたりする──かもしれない。そうしなさいよという助言ではないが、大勢の人と一か所で出会うということ自体、いろんな人がいるなあと人間観察ができたりして面白いのだ。新しい景色を見たり、外国語の元気なおしゃべりを聞いたり、やさしい言葉をかけてもらったりする。苦労しながらカヌーを漕いでいる者にとって、そういう歯に衣を着せない母親みたいな婦人たちと知りあって話をするのは、しんどい思いをしているときのいい気分転換にもなる。

人に喜んでもららうというのは、旅行する者にとって最上の楽しみの一つである。それに、こういう川下りで、まったく一人ぼっちの旅だとしても、誰かを楽しませたり相手から楽しませてもらったりしている間はさびしさを感じることもない。同国人同士二人で外国を旅をしても一週間は仲良くやっていけるだろう。が、それで人生について多くを学ぶということにはなりにくい。一人ぼっちで異邦人に取り囲まれ、人見知りして相手を避けるわけにはいかず、といって母国や自分の自慢話をするわけにもいかない。何も見落とさないよう目を見開き、耳をすまし、とつとつとではあっても自分の言葉で語れば、団体で旅をするときとは相手の対応が違ってくるのがわかるだろう。「すべてのイギリス人が島である」*1という警句にも例外があると感じるはずだ。

*1: ドイツの作家ノヴァーリスの言葉。正確には、「イングランドだけでなく、すべてのイギリス人が島である。」

気分転換を兼ねて、どこかで朝食を食べよう思った。で、水車小屋に続くと思われる長い水路に漕ぎ入れてみた。水路はカヌーを浮かべたまま、干し草畑の間を曲がりくねりながら音もなく流れていく。いつしか本流から遠く離れ、灌漑用の小川のようになった。水深も一インチほどしかない。このまま行き止まりかと思った。が、そこからまた流れは力強さをとり戻し、草地の間を早いペースで流れていく。ときどき出会う田舎の人に会釈したりしていると、川沿いの土手を十二歳くらいのかわいい男の子が小走りでついてくる。ぼくは声をかけた。「君って信用できる?」 相手は顔を赤らめて「うん」と答えた。「じゃあ、ここに一フランあるんだけど、これでパンとワインを買ってきてくれないかな。あの水車小屋のところでまた会おうよ」

水車小屋で作業している人たちはすぐにカヌーを見つけて係留させてくれた。予想した通りだ。カヌーを降りて木陰で休んでいると、ぞくぞくと人が集まってくる。うれしそうに大きな声を出して、珍しい闖入者(ちんにゅうしゃ)を一目見ようと押しよせてくる。例の男の子は、ワインの大ビンと大量のパンを運んできてくれた。四人分はありそうだ。朝からずっとカヌーを漕いでいて腹ペコだったので、夢中で食べた。大勢の人が集まっていたが、誰も話しかけて邪魔をする者はいなかった。やがて一人の女性が自分の家に来ないかと誘ってくれた。その家ではおいしそうな料理がテーブルに並べられた。その部屋もすぐに人で一杯になった。一度に五十人ほどが入れ替わり立ち替わり見物にくるのだ。皆、ニコニコしていて、礼儀は守っている。

とはいえ、その場所はとにかく暑かったし、なにかとせわしなかった。どこか他のところ、誰もついて来られないような中洲にでも移動し、一人でのんびり食事を楽しみたいと思った。群衆をかきわけて進むのは、軍隊の演習でも基本中の基本だ。それで、カヌーで草地を通り抜ける際の見張り役の「警官」として、一番やんちゃそうな四人の少年を指名した。ところが、彼らはこの任務に大張り切りで強権を発揮したりしたものだから、小さい子供が二人もカヌーの上に押し倒されたりした。そんなこんなで、ぼくはなんとかカヌーに乗りこみ、その場所を離れた。紡績工場の女工さんたちが大声でカヌーに声援を送ってくれる。工場長とおぼしきおっさんが仕事に戻れと必死に怒鳴っているが、作業する手を休められるのだから誰も耳を貸さない。

この原稿を書いていると、その様子を思い出して笑いがとまらなかった。で、読み返してみると、暗い十二月の夜みたいにしんみりすることもあった。ヨーロッパの恵まれているとはいえない子供たち。笑ったり、叫んだり、歌ったり、怒ったり。いろんな国のペテン師やいたずらっ子、いろいろ楽しませてくれた人々。ぼくは君たち──かわいくて、ちょっとおバカなフランスのことを、少しはずかしく感じつつも誇らしく思っている。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 71:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第71回)
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川は数マイルにわたり、いつもと違う様相を呈していた。両岸の土手は低く、そこから草の絨毯(じゅうたん)でおおわれた緩やかな斜面が続いている。どちらの側の眺めも、広々としてしている。両岸を緑で縁どられた、透き通った川面をカヌーは滑るように進んでいく。前方には、広大な平原が果てしなく続いている。そこを過ぎると、川は再びはしゃぐように飛び跳ねたり、大きく落下したりしていた。たいていの場合、それは人工物が設置されているためで、そのたびにカヌーを降りて障害物を乗りこえたり、船体を手で押さえつけて下をくぐらせたりと、なにかと手間がかかった。苔(こけ)や地衣(ちい)類がびっしり生えた岩は滑りやすく、そういう場所で力のいる作業をするのはけっこう重労働だ。

パドルについていえば、毎日ずっと、来る日も来る日もパドルを漕いでいたので、もう体の一部のようになっている。ほとんど無意識に動かしていた。カヌーを始めたばかりの頃は、大切な物を落としたり失くしてしまっては大変なので、ヒモやロープをつけたりしていた。波に負けてパドルが手から離れたり、不注意で川に落としたりしたときに備えて、どうすればよいか考えて練習していた。とはいえ、実際の川下りとなると、そういう事前に考えたことは、なかなかその通りにはいかないものだ。カヌーから飛び降りる際にヒモがからんだり、逆にヒモがついているのを失念して岸に放り投げようとしたこともあった。というわけで、パドルのヒモは長めにするか、あるいは、まったくなくてもよかった。一度に二十もの作業を、しかもすべて最優先でやらなければならないというような、もう頭がこんがらがって訳が分からないというようなときでも、実際にパドルを落としたことはない。カヌーが転覆しそうになったときも、なんとかカヌーから抜け出して事なきを得た6

原注6: これまで十回ほどの航海を行ったが、結果はまったく同じだ。予備のパドルを用意するよう助言を受けることも多かったが、ぶっちゃけ、そんなのまったく不要と言っていいかもしれない。竹製のマストについては、元をただせばボートフックとか棒としても使えると思っていた。先端に継ぎ手を取り付け、魚をかけるギャフも用意していた。ボートフックとしては、イギリスのグレーブゼンドで一度使ったことがあるだけだ。すぐに無意味だとわかった。カヌーを岸のそばまで寄せたいときには、水深があればパドルで漕げばいいだけで、ボートフックなど使わない。逆に岸の近くが浅ければ、カヌーの底がつかえてしまうので、ボートフックがあっても使えない。しかも、ボートフックに握り替える際にパドルを落とすことだってありうる。

パドルで漕ぐのは、歩くときに足を動かすのと同じように、ほぼ無意識にできるようになった。川でも普通の難所であれば、入念に下調べしなくても直感的にわかるようになった。ためらうとか、何をどうしようとか、あれこれ考えなくても、自然に対処できるようになった──ような気がする。こういう一種の上の空という状態は、急流を流れ下る際に、ずっと高いところの地面やもっと上空の雲をじっと見つめていても、安定した適切なカヌー操作の支障にはならないという神がかり的な境地に至るまでになった。

夢見心地でそういうことをあれこれ考えていたものだから、ふと気がつくと、川の周囲の景色が最高なのに、それに背を向けて見過ごしていたとわかって後悔した。それで、その場で二、三回ぐるっとまわりながら、沈む夕日に照らされて輝いている峰々をうっとりと眺めた。そうした光景に心を奪われながら、そうやってぼんやりとした気持ちのまま、また川をゆっくりと下っていく。カヌーというものは、カヌー自体が常に最善のコースを選んでくれるので、乗っている人間の方は特別な操船などしなくても問題ないという、なんとも非論理的でおバカな妄想にふけったまま、数多くの岩が点在している早瀬までやってきた。水流はそのまま岩を乗りこえて流れているし、ぼくはまだ魔法にかかっていて、どのコースを通るのが安全かといったコース選択など何もせず、カヌーが流れていくままにまかせておいた。と、この能天気な男に対して川が反撃した。はっと気がつくと、カヌーは水面下にある巨大な岩めがけてまっすぐ進んでいた。水流は巨大な岩盤上を流れているが、水深は数センチしかない。次の瞬間、カヌーの底が岩に当たった。カヌーは急停止し、その場で旋回する。流れに対して横向きになる。ゆっくり転覆しかける。カヌーの傾きがきつくなったところでやっと、ぼくの緊張感を欠いた筋肉も目ざめた。というのは、この愚かでものぐさな態度の結果として沈は避けられないと感じられたからだ。

さらにまずかったのは、ぼくはそのときちゃんと座っていなかった。カヌーに寝そべるようにして、片足はバッグのベルトにからんだままだった。次の瞬間(こういうとき、ほんの一瞬が数分にも思える)、この小さく哀れなカヌーは横倒しになった。脳裏にはいろいろな思いが激流のように浮かんでは消えた。ぼくはなんとか脱出しようともがく。と、カヌーが岩から離れた。カヌーの船長たるぼくは、自分の頭と腕だけを水につっこんだ状態で──なんとも情けない状態だ。まあ、これはこれで笑い話にはなるだろうが──、なんとか立て直してちゃんとカヌーに座ったときには、頭からずぶぬれになっていて、服の袖から水がしたたり落ちた。それでどうにか酔いからさめたみたいに、目がさめた。その瀬を過ぎると、また感傷的になり夢想にふけっても大丈夫になった。つまり、川はまた元のように普通の流れに戻った。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 70:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

緑色)現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第70回)eyecatch_2019

ルミルモンには宿屋が一軒あったが、ひどいところだった。すべてに秩序がなく汚れていた。御者もぼくと同じテーブルについて遅い夕食をとった。彼はフランス流の洗練というものを見せてくれた。そういうものは、一人でいるときよりも、他に人がいるときに発揮されるものだ。また、本当の自己否定とか、堅い友情をためしたりするときに示されこともある。で、御者氏は五つの異なるコースの食事を注文し、ワインを飲み、果物やいろんなものを食べまくった。翌日に渡された請求書の金額は、二人分の宿泊費込みでちょうど三シリング四ペンスだった。この御者氏は聡明な男で、自分がよく知っている分野の話題となると、話にまったく如才がなかった。そして、ぼくらの会話がもう一つの世界の、もっと大きなことについての話になると、「あの連中も向こうでは幸福なんだろうね。だって、向こうに行って戻ってきた人なんて誰もいないからね」と言った。── ちょっと変わった考えの持ち主で、妙な言いまわしをする人だった。相手が話題に興味を持ったようなので、ぼくはそれについて書いてある冊子を彼に手渡した。すると、彼はすぐさま声に出して読み始めた5

原注5: 何日か前、知らない人がぼくに読んでみてくれと紙の束を渡してくれたことがあった。礼を言い、後で気まぐれにその束を調べてみた。三十枚ほどの大判の用紙を綴じたもので、政治や科学や文学や宗教についての論考が掲載されていた。一番最後のテーマが面白かった。なんとも巧妙かつ辛辣に、批判的な論じ方をしてあったので、それがぼくには面白かった。その雑誌は上質の紙にタイプ印刷したものだったが、印刷はイギリスで行われていた。週刊で出ているようで、どこでも十二冊につき六シリングで売られていて、各ページには「サタデーレビュー」というタイトルがついていた。

翌朝、つまり九月二十日の朝、カヌーを手押し車に載せて運んだ。例によって、すぐに人垣に囲まれた。この町に着いたのは昨夜だが、もう暗くなっていたので、いまぼくらを眺めている見物人は、どういう事情でこんな通りの真ん中に小さな舟がいきなり出現したのかについては何も知らない。で、どう反応したものか、とまどっている様子だった。もうこのあたりで川に浮かべられるんじゃないかと言う人もいれば、いや、あと一、二マイル先に行ってみるべきだと言う人もいた。朝食の前にあちこち歩きまわってモーゼル川については調べておいたので、ぼくとしては、今は乾季で水位は下がっているだろうが、ここからでも川下りはできるだろうと思っていた。で、運搬してくれる人にはそのまま先へ進むよう指示し、冷やかし半分の喝采を浴びながら川へと向かった。緑色のメガネをかけて白い帽子をかぶった一人の老紳士が興味津々といった様子で近づいてきて、自分はこのボートの航海についての記事を読んだことがあると言いながら、群衆に道をあけるよう命じてくれたので、もうからかわれたりすることはなくなった。

群衆は態度を一変させ──フランス人は移り気だ──ぼくに積極的に手を貸し、スタート地点に決めていた地点まで一マイルもカヌーを運ぶのを手伝ってくれた。なんとも迅速な対応で、皆が大声で「さよなら!」とか「よい旅を!」とか、あたたかい声をかけてくれた。

また透明な水の上をカヌーで漕いでいくのは楽しかった。水の透き通った川というは、ドナウ川以来だ。流れも安定していた。流速のないイル川やバーゼル運河では味わえなかった爽快さを味わうことができた。水辺の花が、苔むした岩の周囲にできたさざ波でゆれている。川岸はゆるやかな傾斜になっていて、草地が公園のように広がっている。果樹はたわわに実っている。半時間ほどの快適な川下りで、ソーヌ川やドゥー川ではなくモーゼル川までやって来た。ぼくは喜びを感じながらカヌーで川を漕ぎ下ることに専念した。

この川の水は非常に透明度が高く、冷たかった。深く長いよどみもあれば、せせらぎが聞こえる浅瀬もあり、川は曲がりくねって流れていた。この前までの運河に比べれば、魚や水鳥がいたり、木々や愛すべき草原があるというのは、何とも歓迎すべき変化だった。太陽の日射しも強烈だった。そのため、予備の帆を両肩にショールのようにかけて、強い紫外線に抵抗した。そうやって独りきりで、楽しさをかみしめながら、滑るように川を下った。浅瀬も数多くあった。パドルで懸命に漕いだのだが、この日にカヌーが川底につかえた回数は、これまでの航海のどの一日よりも多かった。カヌーの舟底がドシンとかズズズッといった感じで川底とこすれる。何度も何度もだ。そのたびにカヌーを降りて、水深のあるところまで曳いて行かなければならない。時には、上陸して野原を通り抜けたり、岩を乗りこえて進んだこともあった。とはいえ、ズック靴にフランネルのズボンといいうラフな格好だし、川にいるときは常に濡れたような状態なので、どうということもなかった。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 69:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第69回)
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左手を上ったところは巡礼者が集まる聖地になっている。毎年何千人もの人々がやってきては、新鮮な空気を吸い、山を歩いていい汗をかいている。フランス人たちは、運動や娯楽のためというより、信仰心にかられて、こんなところまで登ってきているようだ4

原注4: 有名なフランスの「聖地」としては、他にもグルノーブル近郊のラ・サレットの山がある。ここでは一日に一万六千人もの巡礼者が登ってきて、聖母マリアが時代を超えて出現し、羊飼いたちに語りかけたとされる場所を訪ねるのだそうだ。ぼくも実際に訪ねたことがあるのだが、そのときは聖なる水をレモネードのビンに詰め、それを荷かごに載せて運んでいる何頭かのロバと出会った。山のふもとに住んでいた僧侶が自家用ポンプを設置するまで、この聖水はヨーロッパ中でビン一本につき一シリングで販売されていた。現地で読んだ報告書によれば、聖人のふりをするために雇われた女がその手口を告白したので裁判沙汰にまでなったそうだ。イギリスでも、ローマカトリック教会の新聞は、この言語道断な詐欺行為を立証するための興味をそそる記事を掲載したりしていた。とはいえ、聖母マリア出現の目撃談における真実性と善良性については、バーミンガムのローマカトリックの司教がローマ教皇の承認を得て書いた本でも熱心に支持されている。


ぼくが思うに、ごく普通の人生という道の上を丈夫な靴をはいて真実かつ正直な生活を送るより、鋭い石の上をはだしで百マイル行進する方がやさしいのではあるまいか。

イギリス人の友人が合流し、ぼくの馬車に乗ってきた。モーゼル川の様子を調べるため、ぼくらは本通りを離れて、ビュッサンの町の方へ少し進んだ。この美しい川は、山頂の傾斜がゆるく丸みを帯びたバロン・ダルザス山(1247m)から流れ出しているのだが、四、五本の細かなちょろちょろした水の流れはバスタブほどの大きさの泉に流れこみ、そこで合流していた。その泉からあふれた水は山道に流れ出て、指を広げれば橋がかけられるほど小さな川の赤ちゃんとなっていた。このぶくぶくと涌き出している流れこそは、ぼくの興味をそそるものなのだった。というのも、今はまだ、かわいらしい小さな音をたてて草むらをちょろちょろと流れているだけだが、ぼくはこの冷たく透き通った流れがカヌーを浮かべられるほど力強い川になるまで追いかけていくつもりだからだ。

こうした大河の源流を実際に目撃すると、ロマンティックな空想癖のある者が興奮しないわけはないし、詩人は感情が高まり心がゆり動かされるはずだ。偉大な思想というものにはすべて、その源流というか萌芽というものが存在するに違いない。後世に大きな影響を与えるような偉大な考えというものが、一人の天才や戦士や賢者や政治家の頭の中でどのように誕生し、どのように脳を刺激したのかを知ることは興味深いだろう。源流の存在に加えて、思想というものにも、それぞれさざ波や深い淀(よど)みや周囲の美しい景観というものを伴った流れが存在している。気高い考えの者もいれば、視野の広い考えを持つ者もいるし、まっすぐ直接的なものもあれば、遠まわしなものもある。急流もあれば、静かで円滑な流れもある。すみきっていて、しかも深い、という流れは、ごくわずかしかないが。

とはいえ夢見心地で現実を見ずに出発するわけにはいかない。といって、ボージュの居心地のよい集落でいつまでもぐずぐずしているわけにもいかない。カヌーを浮かべられる本物の川があるところまで、冷静に状況判断しながらとにかく進むしかない。ぼくらは、川を浮かべられる川を探しながら峠を下った。うっそうと茂った木立のあちこちに、星のようにきらきらする光が見えている。湧き水がたまって陽光を反射しているのだ。そうした水たまりはから本物の川が流れ出しているはずだ。薄暗いなかで、カヌーが浮かべられるか否か、ぼくは小さな沼の一つ一つをチェックした。

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カテゴリー:読み物
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ヨーロッパをカヌーで旅する 68:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第68回)
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鉄道は緑の山々を縫って曲がりくねりながら走っている。あちこちの村に「工場」があり、夜になると、無数ともいえる窓の光で山の中腹の斜面が照らし出される。こうした工場群は、女性が大好きな──買うのはその夫たちだが──流行のフランス製のショールやスカーフを作り出しているファッション業界の拠点でもあるのだ。ここで図案化されたデザインは、一流の名人の手になる油彩画のように高額で、フランスでは、一つの図案を彫るごとに、イギリスの製造業者が支払う金額の三倍のお金が支払われているらしい。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 67:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第67回)eyecatch_2019

第十二章

カヌーで航海するときはいつも小さな旗を揚げているのだが、それは荷馬車で運ぶ時も同じだ。ゆっくり歩いていく。目的地には少しずつ近づいてはいる。夕方になると、美しいボージェの山々から涼しい風が吹いてきて、旗も生き返ったようにひらめいた。トゥーア川が道をさえぎるように流れていて、そこを渡らなければならない。とはいえ、日照りが続いていて水が少ないので、渡渉は簡単だった。ぼくらの荷馬車の行列は、やがてタンというかわいらしい町に入った。御者はこのまま自分が定宿にしているホテルまで行こうと言った。ぼくとしては、その宿を見た瞬間に、この規模の町でこれが一番ということはないなと、すぐにわかった(何度も経験しているからね)。それで、ぼく自身が手綱(たづな)をとって引き返し、もう少しましな宿を探した。

見つけた宿の主人はぼくのカヌー旅の記事を読んでいたそうで、大歓迎してくれた。最高だったのは、なんでも自由にできるということだ。夕方、集まった地元の人々を楽しませるため、マグネシウムのランプを点灯してみせた。大勢の人が道路にあふれている。摘みたてのブドウを満載した大きな樽を載せた荷車を牛にひかせて家路に向かうところなのだ。花束を振りまわし、花の冠を高く掲げ、踊ったり、しわがれ声で歌ったりしている。朴訥(ぼくとつ)な感じではあるが、ブドウの豊作を祝っているのだ。国境を超えてフランス領に入って気がつくのは、フランス人は歌が下手だということだ。そういうのを聞かされると、すぐにドイツ人の上手な歌がなつかしくなるから不思議だ。このあたりの農民たちの言葉はまだドイツ語で、気質もドイツ的なのだが。

夜になると、火事を消す実験があるというので、それを見物しにいった。市場に大きなかがり火がたかれていた。新しい装置の発明者が前に出てくる。背中に水を入れた容器を背負っている。炭酸ガスで大気圧の六倍の圧力がかかっているらしい。細くなったホースの先端を火に向ける。かがり火は驚くほど短時間で消えた。大成功だ1。この発明家と町の頭のよい人たちは、その後で、ぼくのカヌーを見物しにきた。例によってスケッチブックを広げて楽しんでもらい、気持ちよく一日が終わった。この日のはじめは苦労の連続だったが、一日の最後ですべて逆転した。にぎやかな町ではあるものの、本屋は一軒しかなく、品揃(しなぞろ)えも貧弱だった。一人の神父と修道女二人が、そこで本を買っていた。活字がびっしり詰まった本より絵や図入りの本の方がよく売れているようだ。

原注1: この発明(消火器)はロンドンでもよく知られているし、非常に価値のあるものだと思う。

翌朝、新しい鉄道を利用してカヌーを丘陵地帯まで運ぶことができた。鉄道の係はカヌーを別便で送るように言った。つまり「貨物」専用の汽車に載せろというわけだ。このカヌーは自分にとって、いわば「女房」のようなもので、それと別々の汽車に乗るなんてできないと、ぼくの方も説を曲げなかった。彼らは額を寄せ、知恵をしぼり、五種類の書類に何やら書きこみ、二倍の料金を請求した。とはいえ、ぼくが払った費用は全部で九ペンスだった。まったく、フランス人は相も変わらず書類仕事が好きで、臨機応変ということを知らない。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 66:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第66回)
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日曜は散歩したり本を読んだり、のんびりとすごした。宿の気持ちのいい離れで、ミュルーズから釣りに来ていたイギリス人一家と一緒に食事をした。娘の一人が深い池に落ちておぼれかけた。叫び声が聞こえたので、すぐに駆けつけて引き上げた。

このイギリス人の英語には、ちょっと外国人風のアクセントがあった。もうフランスに六年もいるのだそうだ。とはいえ、故郷のランカシャーなまりは会話の随所に出ていた。彼は「マンチェスターの新聞で、ちょうどカヌーについての記事を読んでいたところなんだよ」と語った。その日の朝、子供たちは日曜学校に行き、それから汽車でここまで来たらしい。英国北部の、およそ上品とはいえない彼の所作と、「小さな紳士淑女」たる子供たちのお行儀のよさは対照的だった。その上品な子供の一人であるフィリバートは非常に利口で、一時間か二時間、ぼくの話の相手をしてくれた。仲良くなり、その子はイギリスやアメリカについて、ありとあらゆることを質問しまくった。挿絵の入った本を渡すと、大喜びでフランス語の本を父親に読んでやっていた。その本では、ナポレオンと元帥が、島流しにあったセントヘレナ島でキリスト教の信仰について語りあったりしている、ちょっとびっくりするような本なのだ。フランス語を解する者にとっては、読む価値のある本だ。

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