スモールボート・セイリング(3) - ジャック・ロンドン著

重労働とアドレナリン? 風はきまぐれで、小さなスループで帆走しながら狭い跳ね橋を通り抜けようとしているときに限って、潮の流れが速いところでやんでしまう。頼みのセイルはと見ると、ふいに風がなくなってしまったので、パタパタしているだけだ。それから、いたずらな風が吹くのだが、九十度も方向が変わったところから突風がおそってきてジブに裏風が入る。船の向きが変わり、波に押され、開けた水路ではなく、頑丈な杭に向かって流されている。潮は音を立てて流れていて、船は橋脚の間に吸いこまれようとする。かわいい、ペンキを塗ったばかりの自分の船が杭に押しつけられ、ぶつかる音が聞こえる。丸みをおびた丈夫な船体を通して衝撃が感じられる。横棒が実際に食いこんでいるのが見える。帆が裂けるのが聞こえる。末端が黒い角材が帆を突き破るのが見える。衝突! トップマストのステイが吹っ飛び、トップマストが頭上で酔っ払いのように暴れる。引き裂き、かみ砕かれる。このままだと右舷側のシュラウドが切れてしまうだろう。ロープをつかめ。なんでもいい。そして、杭に巻きつけろ。とはいえ、ロープが短すぎる。しっかり固縛することができない。ロープから手を離すわけにもいかず、大声で仲間の一人を呼び、もっと長いロープを巻きつけてもらう。しっかり持ってろ! 顔が紫色になるまで、腕が引きちぎられそうになるまで、指から血が流れだすように思えるまで握ってろ。自分がそうやって支えている間に、パートナーがもっと長いロープを持ってきてしっかり結んでくれる。やれやれと背を伸ばして手を見る。傷だらけだ。握りしめていた指は曲がったまま伸ばせない。痛みはひどくなる。だが時間がない。いつも頑固で思いどおりに動いてくれない小船は杭についたフジツボに激しく押し当てられて、ガンネルがこそげ落とされそうになっている。帆を降ろさなければ! ジブを降ろせ! それから、ロープをかけ、引いて、たぐって、持ち上げて――そういうときに限ってやってくる橋の管理人と不愉快なやり取りを交わすはめになるのだ。そうやって一時間も格闘して苦境を脱したときには、背中は痛むし、シャツは汗でびしょぬれ、指は傷だらけ、というわけで、土手の間の狭いところを流れている穏やかで慈悲に満ちた潮流にわれわれが翻弄される様子を、膝まで水につかった牛たちが、びっくりしたように眺めていたりするのだ。なんとも刺激的ではないか! 大海原の穏やかな航海の日々でこれほど刺激的なことがあるだろうか?

私はどちらの経験もある。ニュージーランドの沖で十四日間嵐に苦労したこともおぼえている。われわれは六千トンの石炭を積んだ石炭船の作業員で、錆まみれになり疲れきっていた。ライフラインは前後に伸びきっていた。海の力に抵抗するため、風上側の煙突を支える張り綱と索具に太いロープの網をかけて食堂室の扉を守っていた。しかし、扉は打ち砕かれ、食堂室も同じように海水に押し流されたりした。しかし、そのさなかにも、一つの感覚、つまり退屈だなという感じがあったことは否定できない。

それとは対照的に、私の人生で最も鮮烈な八日間は、朝鮮半島の西岸で小型船に乗っていて体験したものだ。氷点下になる二月になぜ黄海くんだりまで航海したのかはともかく、肝心なのは、私はサンパンという無甲板の船に乗っていたということだ。岩礁の多い海岸で灯台なんかないし、干満の差は三十フィートから六十フィートもあった。一緒に乗っていたのは日本人の漁師たちだ。お互いに相手の言葉ははなせなかったが、その航海は退屈ではなかった。刺すように寒かったことが忘れられないのだが、雪が猛烈に吹き荒れたので、帆をたたんで錨を降ろした。北西の風が吹き荒れ、風下には陸が迫っていた。前後の脱出路は切り立った岩だらけの岬で、その足下では波が砕け散っていた。風上側の遠くないところに低い岩礁があって、吹雪の合間に見え隠れしている。荒れ狂う黄海から私たちを不十分ながらも守ってくれていたのがこれだった。

● 用語解説
シュラウド: 横静索。マストなどを支えるために舷側から伸びているロープ/ワイヤー
ガンネル: 船縁
干満の差: 朝鮮半島では仁川付近の干満の差は最大十メートル(約三十フィート)といわれている。日本国内では有明海で最大六メートル程度

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