スティーヴン・クレインの手記 4

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航海士に手を貸す

書き忘れていたが、ぼくらはコモドア号と小舟をつないでいる細いロープを伸ばしていたので、ボートはずっと風下に押し流されていた。当然のことながら、なぜ連中がまだ船に残っているのか、ぼくらには不可解だった。すべての救命ボートが船を離れるのを見届けてから小舟に乗り移ったはずなのに。ボートを漕いでコモドア号に戻ろうとしたものの、ぼくらは近づくことさえできなかった。わずか三メートルの小舟に四人もの男が乗っているため、舷側に手を置いただけで水没しそうなほどだった。

船上の一等航海士が、自分たちの三番目の救命ボートは沈没したと叫んだ。人数分の筏(いかだ)のようなものを急ごしらえで作ったので曳航してほしいというのだった。

船長は「わかった」と返事をした。

筏はコモドア号の後方に浮かんでいた。「飛び乗れ」と船長が叫んだが、彼らはむずかしい顔をして、ためらっている。白人五人と黒人二人だ。薄暗い早朝の淡い光を受けて、幽霊がゆっくり動いているような感じがした。沈みかけたコモドア号に残っている七人の男たちは無言だった。航海士が船長に話しかけるのをのぞいて、会話がかわされることはなかった。死がそこにあった。だが、同様に、言葉ではいい表せない不屈の精神もたしかに存在していた。

ぼくの記憶では、四人の男たちが手すりをよじ登って立ちあがり、見渡す限り波が冷たい鋼のように輝いているのを見つめていた

「飛び降りろ」と、船長がまた叫んだ。

最初にその命令に従ったのは老機関長だった。彼は筏のそばに落ちた。船長は筏から離れないように、どうすればつかまっていられるかを指示した。機関長は、乗馬学校の生徒のように、すぐに素直にそれに従った。

航海士の決死のダイブ

一人の機関員が彼に続いた。それから、一等航海士が両手を頭上にかかげ、頭から海に突っこんだ。航海士は救命具を身につけていなかったし、この恐ろしい行為をするときに彼が両手で表現したことに、そし死に向かってダイブする際の彼の頭の動きに、ぼくは彼の心にある言葉では表させない怒りのようなものを感じた。

それから、今度の航海が終わったら、この手の仕事はやめるつもりだと語っていたトム・スミスが筏に飛び移り、ぼくらに顔を向けたのが見えた。残った三人はコモドア号の船上でぐずぐずしている。黙ったまま、顔だけぼくらの方に向けていた。一人は腕を組み、デッキハウスにもたれていた。両足を交差させ、左足のつま先は下を向いていた。彼らは立ったままぼくらを見つめていたが、コモドア号の甲板からも筏からも、ひと声も発せられなかった。重苦しい沈黙が続いた。

筏を曳航しようとしたが……

先頭の筏に乗った有色の機関員がぼくらにロープを投げてよこしたので、ぼくらは筏の列を曳航しながら小舟を漕ぎはじめた。むろん、こんなことは絶対に無理だとわかってはいた。ぼくらの乗ったボートの海面からの高さは十五センチたらずだったし、大海原で波が押し寄せてきているのだ。こんな状況では、タグボートでもこんな風に筏を曳航するのは容易ではないだろう。

だが、ともかくやってみた。どこまでも続けてみるつもりでいたのだが、深刻な事態が起きてしまった。ぼくはオールを握って漕いでいたので、後方の筏の方を向いていた。曳航のロープの調節は料理長がやっていた。と、ボートがいきなり後方に引かれはじめたのだ。先頭の筏に乗った黒人が、両手で曳航ロープをたぐり、どんどん自分の方に引きよせているのだった。

何か悪霊でも乗り移ったようだった。野生のトラのようでもあった。筏にしゃがんだ状態で、いまにもこっちに飛び移ろうとしている。筋肉という筋肉が盛り上がっていた。目はほとんど白目で、自分を見失い、心ここにあらずといった顔をしている。彼の手の重みがボートの舷側に加わった瞬間にボートは転覆するしかなかった。

コモドア号の沈没

料理長が曳航ロープから思わず手を放してしまった。ぼくらは小舟を漕いで、なんとか老機関長の乗った筏の曳航ロープをつかもうとした。その間ずっと、悲鳴もなければ不運を嘆く声もなく、ただただ沈黙だけがあったことを忘れないでほしい。そうこうしているうちに、コモドア号が沈んでいった。

コモドア号は急に風上側に傾き、それから後方に振れ戻すように動いて、そのまま直立しつつ海中に没した。すると、この恐ろしい大海原に開いた口に、筏がいきなり飲みこまれてしまった。三メートルの小舟に乗ったぼくらは声にならない声を発した――言葉でいい表せない出来事だった。

モスキート湾の灯台が、ピンの先端のように、水平線から突き出ていた。

甲板のないむきだしの小舟での三十時間の漂流は、うたがいもなく、ぼくのような若造にも何かしらを教えてくれたのだが、それについては、ここでは語らないことにする。エドワード・マーフィ船長とウイリアム・ヒギンズ機関士の立派な男らしさを伝えるために、ぼくとしては一度はその話をするつもりではいるのだが、ここで語る気にはならない。とりあえず、ボートが波打ち際で転覆したこと、やっとのことで海岸にたどりついたこと、押し寄せる波に翻弄されながらも船長は軍艦の指揮をとっているように明確に命令を発しつづけたことを述べれば十分だろう。

デイトナのジョン・キッチェル氏が服を脱ぎ捨てながら浜辺を駆け下りてきた。彼が馬車を止めて服を脱いだのだとしても、それが消防馬車の馬具だったとしても、ぼくには、あれ以上の早さで服を脱ぐことはできないように思えた。氏は海にとびこむと、料理長を引きづりあげた。それから船長の方へ向かったが、船長はぼくを先に助けるよう合図した。その後で、氏は、寄せては返す波の合間に露出する砂地で、ビリー・ヒギンズがうつぶせに倒れているのを見つけた。すでに死んでいた。

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