オープン・ボート 17

script async src="//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js">

スティーヴン・クレイン著

だが、とうとう、それ以上はどうしても進めなくなった。その場所の潮流がどんな風に流れているのか泳ぐのをやめて調べたりはしなかったが、どうしても前に進まない。海岸は舞台の景色のように目の前にあった。細部にいたるまではっきり見えたし地形もよくわかった。

ずっと離れた左の方を料理長が追いこしていった。船長が料理長に声をかける。「仰向けになれ、料理長くん! そうしておいてオールを使んだ」

「了解」 料理長は仰向けになり、自分自身がカヌーになったように一本のパドルをうまく使って漕ぎだした。

船長が片手で竜骨につかまっていたボートも、やがて記者の左側を通過していった。ボートが上下左右にとんでもない動きをしていなければ、船長は自分の体を持ち上げて板塀の上からのぞきこんでいる男のように見えただろう。彼は、船長がまだボートにつかまっていられることに驚いた。

彼らは記者の先を進んでいった。機関士、料理長、船長の順にどんどん岸の方へ近づいていき、その後を追いかけるように水瓶が跳ねまわりながら流れていく。

記者はといえば、潮流という奇妙な新しい敵にずっととらえられていた。白い砂浜や緑の断崖、その上にある静まりかえった小さな家々のある海岸が絵画のように眼前に広がっていた。すぐそばにあるのに、フランスのブルターニュ地方やアルジェの風景画を画廊で眺めているような気分だった。

「自分はおぼれ死ぬのだろうか? そんなことがありうるだろうか? ありうるのか? 本当に起こりうるのか?」と思ったりした。人間は、自分自身の死を最後の自然現象とみなすほかないのだ。

とはいえ、その後で、ひとつの波が、死を招く小さな潮の流れから彼を引き出してくれた。彼はふいに自分がまた岸の方へと進むことができるとわかった。片手でボートの竜骨につかまっていた船長が海岸ではなく記者の方を見て、「ボートまで来い、ボートまで来るんだ!」と彼の名を呼んでいた。

船長やボートのところまで行こうと悪戦苦闘しつつも、人が本当に疲れきっているときには、溺死は実際にはむしろ心地よい救いとでもいうべきものであって、苦しみから解放され、やっと楽になれるのだと思ったりもしてした。だから、もうじき楽になれると、ほっとしてもいたのだが、それというのも、一時的にせよ苦痛があるのではないかという恐怖感があったからだ。負傷して苦しむのはごめんだった。

と、一人の男が浜辺を走っているのが見えた。驚くべき早さで服を脱ぎ捨てている。上着、ズボン、シャツなど、あらゆるものが魔法のように脱ぎ捨てられていく。

「ボートまで来い」と船長が呼んでいた。

「わかりました、船長」 泳いでいきながら、船長が竜骨から手を離してボートから遠ざかるのが見えた。その後で、記者はひとつの小さな驚異を体現することになった。大きな波が彼をとらえると、彼の体をものすごい速度でボートの方へ、それを飛びこえた向こう側へと軽々と放り投げたのだ。まるで体操競技のようだった。まさに海で起きた本当の奇跡だった。波打ちぎわで転覆しているボートは、泳いでいる人間にとってはオモチャどころではない凶器なのだから。

水深が腰くらいまでしかないところに到達した。一瞬も立っていられないほど体力を消耗していた。波が来るたびに何度も倒され、引き波にさらわれそうになる。

すると、男が走りながら服を脱ぎ、脱いでは駆けて、海に飛びこむのが見えた。彼は料理長を浜に引き上げ、それから船長に近づこうとしたが、船長は手を振って来なくていいと合図し、記者の方へ向かわせた。男は裸だった。冬の木のように裸だったが、その姿には後光が射して見えた。聖人のように光り輝いていた。男は記者の手をつかみ、力強く引き寄せ、引きずり、かかえ上げてくれた。身につけた習慣で彼は礼儀正しく「ありがとう」といった。だが、男はいきなり「あれは何だ!」と叫び、指さした。記者は「行ってやってくれ」と応じた。

浅瀬で機関士がうつぶせに倒れていた。その額は、寄せては返す波で規則的に水が引いたときにできる砂地にくっついたままだ。

記者は、その後のことは何も覚えていない。やっとのことで上陸すると地面に倒れてしまい、全身を砂にぶつけた。まるで屋根から落ちたようだったが、ドスンという衝撃も心地よいものだった。

海岸にはすぐに人々が集まってきた。男たちは毛布や服や気付けのウイスキーの瓶を手にし、女たちはコーヒーポットや薬などをかかえていた。海からやってきた男たちに対する陸の人々の対応は温かくて寛大だった。海水をしたたらせながらもじっと動かない一人は、砂浜の上の方へと運ばれていった。生還者の場合と少し異なり、死者に対する人々の対応は重苦しいものだった。

夜になると、月明かりの下で、白い波が寄せては返すのが見えた。浜辺にいる男たちに、風が大海原の声を届けてくる。彼らは風の声を通訳できるような気がした。

<完>

スティーヴン・クレインの『オープン・ボート』は今回で終了です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です